断酒をして、瞑想をやってみた

私は躁鬱の傾向があるものですから、お酒を飲むとスパークしてとことん飲んでしまい翌日ほとほと後悔して自己嫌悪に陥り、自己嫌悪から逃れるために再びお酒を飲むという振り返ってみるとあまり酷い負のスパイラルに陥っていたのですが、断酒をしてみて気分が明るくなり、自己嫌悪からも逃れて一安心と思っていたところにふと気づいたのが、タバコとコーヒーの量が随分増えているということでした。

思うに、お酒で確かに何かを発散していた面もあり、お酒で発散しなくなった分無意識のうちにタバコとコーヒーに手が伸びているということなのかも知れません。ただ、幸いにしてまた飲みたいという欲求はないですし、飲んだ翌日の自己嫌悪はもう繰り返したくないですから、このまま飲まない人生を歩みたいのですが、タバコとコーヒーに対する自分の変化を見過ごすのも問題を先送りにすることになるなあと考え、で、たどり着いたのが「瞑想」というキーワードでした。

以前も時々思い出して瞑想するように心がけた時期もあったのですが、最近ばたばたと忙しくストレスばかりが溜まり、瞑想することすら忘れていました。瞑想は海馬の働きを活性化すると言います。意図的に脳を休ませ、結果として疲労回復、思考の発達、ストレスの軽減に良いらしいということ、自分で以前やってみて、ああ、これは確かにいいなあと思っていたのにそういったことを忘れていたのです。お酒を断つことが自分の目的と習慣になったので、そこから発想を辿り、そうだ瞑想があったと思うのはいい意味での自分の変化ですから、プラスの現象として受け入れて楽しみたいと思います。

で、少しやってみたのですが、瞑想をちっとやそっとやったところで雑念はどうしても浮かんできますし完全に何も考えないということはなかなかできません。それに3分程度やってみようと思って始めたものの、実際に3分やってみると長いと感じる…という、自分がまだまだ初歩の段階にいることに気づいたのでした。しかし、毎日10秒くらいなら瞑想にチャレンジできるのではないか、10秒は短いかも知れないがやらないよりはいいだろうとも思えました。知識提供、見解記述ブログであるにも関わらず、自己啓発的な内容の記事を入れ込んでいるわけですが、自分のブログなので、まあ、好きなことを書いていこうとも思います。最近は自己改革が自分のテーマになってきているようなので、しばらくは自己改革に取り組み、また経過などここで備忘も兼ねて積み重ねていきたいと思います。

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ヨーグルトを毎日食べると体調が良くなった

断酒は精神の安定に効果があると気づいた

飽くまで一般知識ですが、飲酒は人の心を抑うつへと誘導しやすいと言われています。もちろん反対にお酒を飲むと心が晴れやかになるという面もありますから、どちらが絶対ということはなのかも知れません。私は以前はお酒を飲んでうさを晴らすということをしていたのですが、際限なく飲んでしまうため、お酒をやめようと思い、ここしばらく全く飲まずに過ごすことができています。で、気づいたのですが、落ち込みにくくなり、葛藤することが明らかに減ってきたと感じます。

お酒を飲むと、過去の嫌なことを思い出し、あの時ああしておけば、それともこうしておけばというタラレバを考えてしまったり、取り返しのつかないことへの後悔に苛まれるということがままありました。以前はそれは自分の性格の問題かあるいは運勢の問題で、お酒を飲むこととは関係ないと考えていましたし、際限なく飲んでしまうほど自分が荒むのはそういう過去があったからだと考えていました。ただ、お酒を飲む自分がすさんでいるという自覚はあったので、そういうすさんだ自分が嫌だなあという思いがあって、健康もかなりむしばまれているに違いないという不安もあり、お酒を断ってみたのですが、以前の自分とは大きな違いがあるということに気づきました。

それは何かというと、以前は朝起きたときにまず過去の不愉快なことを思い出し、一日かけてその心境を修復し、心境修復にエネルギーを使ったのでお酒を飲むというサイクルだったのですが、お酒を断ってからは朝起きた時の心境がニュートラルなもので、特に何かを考えることもなく、あ、朝だな。起きようかという心境で一日の始まりを迎えることができたということです。このことに気づいて私は驚愕しました。嫌な気分だからお酒を飲んで忘れようとしていたのに、実はお酒を飲むから嫌な気分が増幅されているという逆の視点を手に入れた自分自身にも驚愕してしまいました。睡眠の質も明らかに違い、今の方が良質な睡眠を得ることができていると実感しています。

お酒を飲まなければお金を節約できますし、お酒で失敗することもありません。心が荒んだ醜態が人に見られることもありません。健康にもいいですし。それだけでもお酒を飲まないメリットは大いにあると思いますが、更に心理的な安定を得ることができるのであれば、もはやプライスレスといったところではないかと思います。このような心境に自分がなり得ると気づいただけでも、感謝したいような気持ちになりますねえ。

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ヨーグルトを毎日食べると体調が良くなった

ヨーグルトを毎日食べると体調が良くなった

健康管理の目的でヨーグルトを一日一個食べるようにしてみたのですが、体調にいい効果があると実感してきましたので、ちょっとここで書いてみたいと思います。結論から言うと便通がよくなり、爽快ですからその分、体も軽やかに動けるようになったと感じるわけです。

ヨーグルトは達人になると自家製で作るとか、そういう凄い人もいますけど私は普通にコンビニやスーパーで売ってる市販のタイプを食べてます。以前、腸内環境を良くしたいと思って乳酸菌のサプリを使ってみたことがあります。ヨーグルトよりサプリの方がコスパがいいと思ったからなんですね。ですが、当該のサプリを使ってから体調が悪くなり、水便が出たりするようになってしまいましたので、あ、これは俺に合わないんだなと思ってしばらくしてやめてしまいました。

で、ヨーグルトに戻るわけですが、市販のヨーグルトについては賛否両論あるようです。というのも確かに乳酸菌を摂取するのは体にいいということで議論は一致しているようなのですが、市販のヨーグルトの場合、添加物の不安があるとか糖が入っているのが良くないとかいう意見もあるようです。私は文系人間ですから、そこについて深く立ち入った議論をすることはできないのですが、実感ベースで言うと、そういう不安要素があったとしても市販のヨーグルトを食べることで実際に体調が良くなったと感じますから、このままヨーグルト一日一個ペースでやっていこうかと思います。

ヨーグルトは安い場合は一個100円ほどで買えますが、毎日のことですから出費がちょっと…という意見があるかも知れません。私の場合、お酒を飲まなくしてその分ペットボトルの水を飲むようにしましたが、お酒とおつまみにかける出費を考えれば全然安いものです。お酒を飲む場合、1か月のヨーグルト代を1日で使ってしまいます。ましてや体調が良くなるわけですから効果的な投資と思えます。水については「コンビニのペットボトルには防腐剤が入ってるから不安」という意見を読んだことがありますが、水道水よりはもしかすると良いかも知れず、ミネラルウオーターの方がおいしいと個人的には思いますし、ペットボトルを使うと一日にどれだけ飲んだか一目瞭然ですので、私は少し迷ったもののお水を買うことにしています。それでもお酒を飲むことを思えば安い安いと思えるわけです。お酒を飲まないだけで出費も一機に減りました。ちょっと私はお酒を飲みすぎる傾向があって、相当それにお金を使ってしまっていたのです。今はそれがなくなって違いに大きく驚いています。ありがたいっすね。ということで、ヨーグルトを食べると健康にいいのではというお話でした。

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お酒をしばらくやめてみた‐替りに水を飲んでみた

この数か月、忙しくてストレスも多かったものですから、ストレス解消についついお酒に走ってしまい、慢性的に体調も悪く、睡眠の状態も良くないという悪循環にはまりこんでしまっていました。

で、疲れを癒そうとマッサージに行ってみたのですが、足も顔もむくんでるし、顔色も悪い。ストレスですか?と言われたので、「ええ、そうなんです。で、寝つきが悪くてついついお酒を飲みすぎてしまうんです」と話したところ、「お水をたくさん飲んでください。デトックスできますから。あと、お酒をしばらく飲まないのはどうですか?」と言われたものですから、そのようにしてみたわけです。

結果、睡眠の質が格段によくなり、歩いたり立ったりするのも楽で、体調はかなり改善されました。やはりお酒はほどほどにというか、できれば飲まないくらいのほうがいいかも知れません。エーコ先生の『薔薇の名前』では、修道院長が修道士たちに「ワインを飲んではならないと律さなくてはいけないところが(最近の若い奴らはなってないから)、ワインを飲みすぎてはならないと言わなくてはならない」みたいな愚痴をこぼす場面がありますが、実際に数日お酒をやめてみて、なるほど、これは飲まないほうがお得だと思うに至ったわけです。足のむくみはかなり改善し、体重も少々減ったように思います。どこかで読んだ話になってしまいますが、お酒を飲むとその分解に体力が使われるので、睡眠に必要な体力が奪われるみたいなことを読んだことがあります。お酒を飲まなければ、お金もかからないですから、財布にも体にも優しいというわけです。

ミネラルウォーターはお金がかかるし、水道水もちょっと…という考え方もあると思いますが、水はもちろん酒より安い!わけですから、ミネラルウォーターで全然オッケーなのでは?と思います。禁煙に成功した人が、たばこを吸いたくなったら水を飲むと話してくれたことがありますが、たばこよりも水の方が健康にいいことは確かでしょうから、積極的に水を飲んでその他の嗜好品は減らしていくというのが21世紀型のライフスタイルなのかも知れません。で、嗜好品を捨ててもっと水を飲もう!水こそ最高の嗜好品とも思ったのですが、仕事柄、日中、あまり水を飲みすぎると授業中にトイレに行きたくなるというできるだけ避けたい現象と向き合わなくてはいけません。私の場合は夜寝る前に、お酒の替りに水を飲むのがちょうどいいかも知れません。

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田山花袋『少女病』の潔さ

田山花袋のあまり知られていないであろう、一風変わった作品に『少女病』というものがあります。30代後半のいわゆる中年男性の範疇に入ってしまった主人公の男性は、将来出世する見込みもなく、古女房とぼろぼろ生まれて来た子どもたちを養うためだけに、行きたくない職場に行くだけの人生を送っています。彼の唯一の楽しみ、あるいは生きがいみたいなものは、街の中や電車みかける若い女性を眺めて愛でるという、ささやかと言えばささやかな、変態的といえば変態的なもの、ただそれだけが楽しみで生きています。自分のようなおじさんの所帯持ちが若い女性とつきあえるとは思っちゃいない。思っちゃいないけど、好きなものはしかたがない。だから眺める。あんまりじろじろ見るとバレるので、怪しまれない程度にちらちらと見て、時には偶然を装って目を合わせるというある種の「コツ」まで会得しています。

少子化、晩婚化、生涯未婚率の上昇が社会問題化している現代人の価値観からすれば、所帯持ちで子どもがぼろぼろと生まれてきているというのはめでたいというか、もしかしたら勝ち組の範疇にすら入るのかも知れないのですが、子どもぼろぼろ生まれてきて人生負けている感があるのには隔世の感を禁じ得ません。

さて、この主人公は悩みます。もっと若ければ…と。若い時にもっとたくさん遊んでおけばよかった、自分は人生を無駄にしたと過去を後悔するのです。ある時、市電に乗っていると、ひときわ目立つ美しい若い女性が乗ってきます。彼はさりげなく、偶然そうならざるを得なかったのだと言う感じで彼女に近づき、いつも通り眺めるわけですが、眺めつつも「自分がもっと若ければ…」と慙愧の念に駆り立てられ、残りの人生生きていても碌なことはない、死んでしまいと思った時、電車から地面へ転げ落ち、対抗路線の電車にひかれて敢え無き最期を迎えます。

田山花袋と言えば、若い女性にふられて蒲団の中でおいおいと泣くというイメージですが、この作品の場合では死ぬどころか電車にひかれて死んでしまうわけですから、考えようによってはバカがここに極まれりとも思えますが、別に見方をするならば、自分の好きなことに殉じて死ぬわけですから、ある意味徹底した何かを感じさせ、あっぱれと言いたくならないわけでもありません。眺めるのが趣味なわけですから、触ったりするよりよほど良いとも言えますしナボコフの『ロリータ』のように実際にそこまでやってしまうのかという感じでもなく、サガンの『悲しみよこんにちは』のような何歳になっても人生をエンジョイするナイスなパパでもないあたりの小市民さは現代人の我々にも共感できる部分がないわけでもありません。

私は『蒲団』を読んだ時は、こんな無様な話を読まされたくないと思いましたが、『少女病』を読んでみて、そこまで思うなら、それも一つの人生だと好感を持ってしまいました。人間はある程度年齢を重ねれば、自分のことより他人のため、世のため人の為に生きなくてはいけないと禅寺の和尚様から説かれたことがありますし、そういう生き方こそ人の理想とも思います。しかし、一方で、山鹿素行ではないですが、自分に正直に好きなものは好きなんだ、他人がなんと言おうと好きなんだと少なくとも心の中で叫び続け、それになんの呵責もなく、死んでいくのであれば、それはそれでありなのではないかとやはり思えます。

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【自己訓練】他人の悪口を言わない

他人の悪口を言わない。これって意外と難しいです。つい、言いたくなってしまうことがありますし、どうしても腹に据えかねることがあったらせめて誰かに聞いてもらいたいと思うものです。もちろん、ガス抜きも必要ですから、絶対に一切言わないというのはかえってよくないと思いますが、そういうことは必要最小限にするべきです。

他人の悪口を言う人は、他でも悪口を言っていると思われます。ですから、聞き手は「あぁ、これは俺の悪口も言ってるんだろうなあ」と直感的に思います。そうなると大事なことは話してはもらえなくなってしまいます。人生という観点から言えば、大事なことを話してもらえない、信用されないというのは大きな損失です。そう思うと、他人の悪口を言うのは自分の人生を毀損しているとすら言ってもいいかも知れません。ですから、他人の悪口を言わないというのはとても有効な自己訓練と言っていいのではないかと思います。

批判しなくてはいけないときはありますが、その場合は堂々とかつ紳士的に、批判すべき相手に対してするべきです。また建設的な意見、提案であるべきです。問題解決のために批判するのであって、相手の人格を批判するのではないということを時には相手にはっきりと言うのもいいかも知れません。それだけで平和的に状況をより良いものにできる可能性があります。

是非、自己訓練と思い、他人の悪口を言わないというのを心がけていきましょう。それだけで人格が上がると言えるのではないかと思います。

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【自己訓練】皮肉を言わない

上手に皮肉を言って相手をやりこめることができた時、人は「してやったり」と思い、心の中で喝采を上げ密かに勝利の快感に酔いしれるものです。しかし、それはある意味では危険な行為です。あまりにもうまく皮肉を言われてしまった場合、その人は心中を復讐を誓い、その機会を伺い、下手をすると生涯の敵になってしまいます。ですので、皮肉というのは言わない方が賢明です。

私は人には皮肉を言いたいという願望があるのではないかとも思えます。うまい具合に皮肉が言えるという人は、それだけ頭が良いとも言えます。皮肉を言うのは自分の頭の良さを証明しつつ、嫌いな相手をやっつけるということですから、うまく言ってのけた時の快感はひとしおと言えるかも知れません。しかし、そのような口先だけで勝った気になれるというのはまだまだ人生に対する考え方が未熟だと言えるのではないかとも思います。これこそ自己訓練、自己教育、自己成長の大事なところです。皮肉を言いたいという願望を自分できちんとコントロールするのです。私も皮肉を言われたことはもちろんありますが、その人に対する信頼感はその瞬間に消え失せてしまいます。仕事上で付き合ってはいますが、「信用できない、本心は明かさない」という原則でその人に相対するようになってしまいます。ですので、皮肉を言うのは損なのです。もし皮肉を言いたくなったら、必要な場合は丁寧に冷静に理路整然と問題点を述べる、必要ない場合はスルーするに限ります。皮肉を言わないというのもより良い人生のために効果的な自戒ではないかと思います。

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【自己訓練】寒いジョークは言わない

寒いジョークは言わない。これって意外と難しいかも知れません。というのも、思いついたジョークは言ってみないと寒いかどうか分からないという場合があるからです。そういう時には、ジョークは言わないくらいでちょうどいいかも知れません。ラサール石井がテレビで明石家さんまさんについて「絶対にうけるという確信のあることしか言わない」と言っていましたが、ジョークというのはそれくらい高度なものであって、センスも問われる甘くみてはいけない分野のように思います。

特に駄洒落は要注意です。実は駄洒落は豊富な知識と言葉の才能みたいなものがないとポンポン出てこないと私は思いますので、もしかすると敬意に値することかも知れないのですが、駄洒落を連発する男性に対しては多くの人が引いてしまいます。駄洒落は特別寒いので、言いたくなっても言わないのが自己訓練と思います。

とはいえ落語で〇〇とかけまして〇〇と説きますというのがあります。あれも駄洒落です。しかしあれは寒いとかそんな風には言われません。やはり、ちょっと高度なテクニック、頓智の聴いた凄い才能なのかも知れません。ちなみに私は全然できません。

どうであれ、寒いジョークは言わないということを心掛け、暖かいジョークが言えるよう、日々自分のユーモアのセンスを磨くべきと思います。がんばりましょう。

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【自己訓練】睡眠は十分にとる

寝る間もおしんで努力することは美徳です。ですが、睡眠不足の状態が続くと努力してもそれが脳にインプットされません。意識も散漫になり、情緒も安定せず、体調不良も起こしやすくなりますから、睡眠時間は充分に確保するべきです。

単に時間というだけではありません。質の確保ということも大切です。自分に合う枕、快適な寝室、日中に適度に疲れることをするなどして、よりよい質の高い睡眠がとれることを日々心掛けるべきです。私の場合、枕はそば殻の枕を使っています。これが自分に一番合うからです。人によっては低反発枕がより眠りやすいという人もいるかも知れません。それは人それぞれですが、睡眠の質の確保のために、自分に合う枕を準備することは、人生の質を上げるために是非にもやっておくべきことです。私はいろいろ試した結果、そば殻が一番いいという結論に達しました。自分に合う枕は何かというのはいろいろ試してみないと分からないかも知れませんから、枕を試すということも積極的にやるべきです。

充分に睡眠をとれば、日中の仕事の能率は上がり、情緒面でも安定しますから、より幸福で充実した人生を送るために有効と思えます。寝る間を惜しんで努力をしなくてはいけない時というのは人生に何度か訪れますから、その時はしかたがないというか、精力的に仕事をするべきですが、一方で不安に追われて仕事を遅くまでやり続けてしまうということもあり得ます。そういうのはあまり人生のプラスになるとは思えませんから、自分でそこは見極めることこそ自己訓練と思います。そしてよく眠りましょう。

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人生、遊ぶことは大事なことです。遊んで楽しい思いをして、生まれてきた良かった。楽しい。そういう時間や瞬間がなければ生きる喜びを感じにくくなり、つまらないなあと思いながら日々を過ごすことになりかねません。ですから、遊びは率先してやるべきです。

とはいえ、分不相応な遊びをしないというのも人生を送る上での大切な矜持のように思えます。お金がないのに見栄を張って高い服を買う、銀座で飲み歩く、不必要な高級品を買うといったようなことは慎まなくてはいけません。もし、そうなってしまう人がいるとすれば、それは躁鬱の傾向があるかも知れませんから、より自重が必要です。私も躁鬱の傾向があるということを自分で自覚しています。躁状態になると後先考えずにお金を使ってしまい、後で後悔するということは自重をしているためにだんだん回数的には減ってきましたが、それでもやはり時々あります。我慢しすぎるとかえって反動が大きいので、適度に自分の緊張した部分を解放するというのがちょうどいいかも知れません。

分不相応な遊びをしないと自戒するのも、大切な自己訓練の一つと思います。逆に言えば、分相応には遊ばなくてはいけません。人生を楽しむということもまた大切なことだからです。感情面で豊かさを感じることは即、幸福感につながります。バランスの問題になってしまいますが、ちょうどいいバランスを見つけることも自分を知るという意味で必要なことかも知れません。

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