バルビゾン村へ行った時の話

パリの地下鉄のバスチーユ駅から鉄道で一時間ほどのフォンテーヌブロー駅で下車し、自転車を借りて10キロほど離れたバルビゾン村へ行った時のことをだらっと書いてみたいと思います。

バルビゾン村は周知のとおり、19世紀にフランスの若手の画家たちが集まって暮らしていたことで有名で、彼らはバルビゾン派と呼ばれますが、特に有名なのは『落穂拾い』を描いたミレーではないかと思います。中学生の時に美術の教科書で『落穂拾い』をみた私は魅了されてしまい、オルセー美術館に足を運んだこともありますが、一度、フランスの田舎、それも落ち穂拾いの村を見てみたいと思ったのです。

フォンテーヌブローの街で自転車を借りた時の様子がこんな感じです。

フォンテーヌブローで借りた自転車
フォンテーヌブローで借りた自転車

で、バルビゾンまで自転車を漕いだわけですが、フォンテーヌブローとバルビゾンの間には深い森があり、人通りもほとんどなくて、昼間でもぞくっとしそうです。夜ならちびってしまいそうです。

こんな感じの森です。これがえんえんと何キロも続いているわけです。

フォンテーヌブローの森
フォンテーヌブローの森

或いはこんな感じ。

フォンテーヌブローの森
フォンテーヌブローの森 人の気配はしない

そしていよいよバルビゾン村に到着です。こんな感じの可愛い建物が並んでいます。

バルビゾン村
バルビゾン村の様子

手頃そうなレストランで食事をしてワインを飲みました。
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次にアイスクリーム
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お店の人はそんなに働き者ではなく、道行く人も特に親切なわけもありませんでしたが、そんなことは気にしない。
私は村がどこまで続くのかと自転車を漕いでみたところ、すぐに人里は切れてしまい、田園地帯が広がります。そう、これ。僕はこれが見たかったんだ。とひとりごちました。

たとえばこんな感じ

バルビゾン村外れの田園地帯
バルビゾン村外れの田園地帯

もう一枚こんな感じ

バルビゾン村外れの田園地帯
バルビゾン村外れの田園地帯

ミレーの有名な作品である『晩鐘』もこの辺りで祈りが捧げられていたのかななどと思ってみたり。お天気もよく、刈り入れの済んだ田園地帯がまた落穂拾い風に見え、とても満足したという、とある夏休みの思い出のお話でございます。

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私たちは「舛添要一」現象をどう思えばいいのか

今後、舛添要一さんはどこへ出かけても、レストランでもカフェでもホテルでも近くを通りかかった他人から聞こえるでもなく聞こえないでもないくらいの声で「旅行けば三日月 ホテル三日月♪」と歌われるのだろうかと想像すると、とても気の毒に思えてなりません。

振り返ってみれば尋常ではない離婚歴、ナイフをコレクションする趣味など、ちょっと、えっ…?と思う側面を持つ人だと思えてしまいます。もちろん、離婚はきちんと手続きに則ってやっていれば他人がとやかく言うことではないでしょう。ナイフのコレクションもその人の自由ではありますけれど。しかし、自民党が野党になった時のさっと離党するあたりは、自分の利益にならないと見た途端に他人を見捨てるというところがあるのではないかな、そのような性格なので政治資金を私的な娯楽に使う、それも使い続けるということをしてしまったのかも知れません。

政治資金規正法では株と不動産以外、ぶっちゃけ何にお金を使ってもいいということになっていて、同じような使い方をしている人も他にもいるんじゃないかなあと思います。ただ、今回のことでみんなびびってしまってもうやれなくなるでしょうけれど。

今回の騒動について個人的には以下の3つのポイントが気になります。1、法律さえ守っていれば何をやってもいいのか 2、政治資金規正法はざる法だということが天下に明らかになった 3、舛添氏個人批判でカタルシスを得るだけでいいのか。

まず1ですが、法律に書いてなくてもコモンセンスに抵触するということはあると思います。法律には書くまでもないことは書いてありません。憲法にわざわざ天皇には自然人としての生存権があるとか書いてないのは、書くまでもない当然のことだからです。

個人的には公用車で湯河原へ行くくらいいいと思いますし、ファーストクラスに乗ったり、スイートルームに泊まったりするのも、まあ、いいんじゃないの?くらいに思います。ただ、家族旅行や個人的な飲食を政治資金で賄うというのはコモンセンスに抵触している、そもそもの法律の目的から逸脱していると言えると思います。言い換えれば法律を悪用していたとも言えますので、政治家として資質に欠けるとされても仕方がないでしょう。

次に2ですが、こっちの方が問題としては大きいかも知れません。政治資金規正法は最初からざるにしておくつもりでつくってあったということは正直にショックです。この法律そのものは古いものですが、金権事件が起きる度に法を改正してより政治家に厳しくしているという建前ばかりを聞いていたのに、最初から抜け道ありきで作られているということを私も舛添さんのことで初めてきちんと具体的に理解でき、正直がっかりです。法律そのものを廃止して、政治資金云々全部やめてしまえ。給料の範囲だけで全部やれ。と言いたくなってしまいます。そうした方が若い人にも平等で、新陳代謝も容易になるのではないでしょうか。

最後に3ですけれど、確かに舛添さんの全力で言い逃れする様子を見て、彼に対する印象は最悪なものになってしまいました。最初に公用車ネタやファーストクラスネタの揺さぶりが来た段階の言い逃れモードが繰り返し放送され、みんながうんざりしたところへ家族旅行爆弾という流れを仕掛けた人の腕は実に鮮やかです。東大卒でフランス語と英語が話せて頭良さそうにすかしてる嫌味な奴が実は…というのは本当に面白い展開です。しかし、いじめぬくのはやはり可哀そうです。

不信任決議案も可決されそうな勢いですから、いよいよこれで終了といったところでしょうけれど、辞めたらそっとしておいてあげたいなあとも思います。今後、活躍の機会はないでしょうから、せめて安らかな余生を。できれば今日中にでも辞意表明すれば少しは男が上がるかも知れません。無理か?

天智系と天武系



天智天皇が亡くなり、壬申の乱を経て弟の天武天皇が皇位に就くのですが、「天皇」という呼称は天武天皇から使われるようになったものであるため、天武天皇を実質的な初代天皇だとする学説もあるようです。
 
それはともかく、天武天皇が皇位に就いた時から皇統は天智系と天武系に分かれます。皇位継承の望みがあるのは天武系なので、天武系の皇子たちの足の引っ張り合い、はっきり言えば殺し合いは相当に酷いものです。天武天皇の皇后が持統天皇としてリリーフをしますが、その次の天皇を他の女性が生んだ皇子ではなく、自分の生んだ皇子である草壁皇子を皇位継承者にするため、ライバルになる可能性のある人物をつぶしていきました。

当時の皇室に生まれた人は明日は我が身と冷や汗を拭う思いだったに相違ありません。持統天皇の精力的な政敵つぶしもむなしく、草壁皇子は早世してしまいます。草壁皇子の息子である軽皇子が皇位を継承し、天武系の後継者が奈良時代を築いていくものの、天武系の男系の子孫が潰し合いの果てに適切な人物がいなくなってしまい、天智系の子孫である白壁王に白羽の矢が立ち、彼は光仁天皇として即位します。この白壁王の子孫が今日まで続き、現代の天皇家まで行きつきます。今の天皇家は伏見宮家の系統ですが、伏見宮家も白壁王の子孫になるため、その辺りまるごと天智系になります。北朝も南朝も天智系です。

白壁王が天皇に即位するまでの間、天智系の人々はいわば飼い殺し同然で、面白くはなかったかも知れませんが、後継争いで命を狙われる心配もなく、むしろ平和で仲良く過ごせてそれはそれでよかったのかも知れないなあとも思います。
 
皇位を巡って争った系統の人々ではなく、もう一方の系統が栄えたというのは、何がしかの教訓を含んでいるような気もしますが、それは考えすぎでしょうか。

長屋王の悲劇に思う

 長屋王の広大な邸宅の跡地がJR奈良駅の近くで発見されていますが、現在はイトーヨーカドーがその地に立っているそうです。

 長屋王は天武系の皇族として親王扱いを受け、財力も豊かで政治的な発言力も強く、栄華を極めたとも言われていますが、謀反の疑いありと密告されて自害に追い込まれます。

 当時は謀反の疑いがかけられた時点で死を選ぶことが潔いとされ、謀反の疑いがあると告げる使者が門に入った時点で自害することがより美しいとされていたと言います。

 しかし、本当だろうか?と首をかしげなくもありません。謀反の疑いの密告だけでは、本人の弁明も自白も要らないわけですから、当時は政敵に対して陰謀をかけ放題、権力者はちょっと気に入らない相手がいると謀反の疑い有りの一言でどうにでもできるということになってしまいます。そのようなことが常態化して本当に政治が維持されていくものかどうか、不思議に思えてなりません。

 豊臣秀吉は男の子が早世してしまったために諦めて姉の子どもを後継者に指名しますが、その後に秀頼が生まれたので、謀反の疑いをかけて切腹させ、関係者も皆殺しにしてしまいます。

 そのようなことができたのは、秀吉の姉の子どもである秀次には秀吉に対する抵抗力がなく、秀吉の意思次第でどうにでもされてしまう位置にいたからで、そうでなければそこまで罪をでっち上げてそれを押し通すということもできなかったでしょう。

 そう思うと、長屋王の場合、権力があったにも関わらず、たまたま何らかの空白が生じ、手も足も出せないそのタイミングを図られてしまったのかも知れません。その辺りの詳しいことは永遠にはっきりとはしないものなのでしょう。

 実に恐ろしい世界ではありますが、飛鳥奈良時代の殺し合いの時代が終わり、平安に入ると天皇家と貴族はみんな親戚がっちり相互扶助の安定した人間関係が育まれるようになり、保元の乱まで安定が続きます。保元の乱は非常に複雑で簡単には理解できないのですが、またいずれ稿を改めてと思います。

田中角栄・竹下登・小沢一郎を比較する

自民党の主流は長らく佐藤栄作→田中角栄→竹下登の系統が引き継いでいました。ただし、引き継ぎ方は常にクーデター方式で、円満な引き継ぎというものはなく、極端な言い方をすれば親分と子分による血で血を洗う仁義なき戦いを続けていたという見方をしてもいいと思います。

田中角栄、竹下登の両氏は優れた集金力を有しており、21世紀になってからはその系統の末端にいると言っても良い小沢一郎氏が金権、闇将軍などと言われたものですが、田中・竹下両氏のそれに比べればまだまだ規模の小さいものだったのではないかという気がしなくもありません。

竹下氏は大蔵大臣時代にプラザ合意をまとめたことで世界的な脚光を浴び、反田中角栄クーデターをやり切ってみせ、次期首相候補の時も、竹下、安倍、宮澤から誰か一人を中曽根康弘氏が選ぶといういわゆる中曽根裁定でも見事に指名を勝ち獲っています。その裏で何があったについては想像する以外の方法を私は持ちませんが、集金力には極めて優れていた人と言われています(小沢一郎氏はその点、「集金力」というよりは「集票力」かと)。人心掌握にも長けており、田中角栄が派手なパフォーマンス的に(大金をさっと握らせる、泣いてみせる、新品の靴と白いスーツで田んぼに入る)人の心を掴む手法を得意としていたのに対し、竹下氏はさりげなく、目立たないように、後から、ああ、あの人がやってくれたんだと気づくくらいの控えめさで自然と巧みにかつ、たぶん長期的な人心の掌握を得意としていたように思います。その点、理屈、剛腕、裏技でなんとかしようとする小沢一郎氏は田中・竹下的な意味での人心掌握に長じているとは言えません。ディベートの才能を一番持っているのは小沢氏だと思いますが、ある意味ではその才能に溺れてしまったところがあり、それが裏目に出てしまったことも一度や二度ではないように思います。

策を弄するという点では竹下氏がぴか一だったのではないでしょうか。田中角栄氏が実利とディールで相手を陥落させるというわりと分かりやすい手法を得意としたのに対し、もう一ひねりできる人が竹下さん。小沢一郎が経世会を割って出るという、いわば反田中角栄クーデターの再現を竹下登氏に対してやろうとしますが、その時、参議院の経世会議員には手を入れないという両者の紳士同盟が交わされたにも関わらず、竹下氏はさっと参院経世会議員たちを引き入れてしまいます。小沢氏はそこで追い詰められてしまい、宮澤内閣不信任案賛成、更に自民党脱党という裏技的無理ゲー(今振り返ればかなりの無理ゲー)へと極端な手法を選ぶようになっていきます。

小沢一郎氏は細川内閣成立させるものの、社会党が嫌いだというわりと幼稚な理由で社会党はずしを画策しますが、裏目に出てしまい、自民党(即ち竹下陣営)が社会党を取り込むという国民が椅子からひっくり返るようなウルトラCで形勢が逆転します(自民社会連立はかなりの無茶ぶりに見えましたが、自社間の気脈は55年体制ができたころから通じていたそうな)。

その後、小沢氏は自由党を作り、小渕政権時代に自民復帰を目指しますが、自分たちで作った選挙制度に縛られてしまい、自民と自由の両方を解党しなければ合流できないという足枷がついてしまい、小渕氏が倒れてしまってその話は立ち消えしてしまいます。

竹下氏が元気な間、小沢一郎氏は結果としてはほぼ手も足も出なかった、周辺でくるくる回っていただけだった、サッカーで言えばただ相手をマークして相手チームのプレイヤーを妨害することくらいしかできなかったと言ってもいいように思います。それだけ竹下氏が策士として上手だったことも示唆しているとも言えるでしょう。

田中角栄氏が首相再登板を目標に鉄の軍団を縛り付けたのと同様、リクルート事件で失脚した竹下氏も首相再登板を狙って何もできない無力な首相を次々と擁立していきますが、やがて橋本龍太郎氏→小渕恵三氏という自派閥の次世代にバトンタッチし、途中から再登板への野心をあまり持たなくなったように見えます。この辺り、最後まで再登板にこだわった角栄氏の方がより執念の人だったと言えるかも知れません。

現在、小沢一郎氏は小政党の党首となった今でも野党共闘作戦で非自民政権の確立に執念を燃やしていると言います。自分が首相になるのがゴールではないため、その分、目標が大きく、一度目標を達成してもまた自民政権が復活するため終わりのないマラソンになっており、政治・政策的に何が正しいかはともかく、政治家人生そのものは悲劇的なものに見えて仕方がありません。

宮澤不信任決議案が採決された時はマスコミでも自民長期政権への批判が激しく、小沢一郎の活躍は颯爽としたかっこいいものに見えましたし、長い間、私は小沢氏に期待と幻想を抱いていました。できれば、安楽な余生を。政治的な意味ではなく、小沢氏個人の幸福な余生を今は望みます。

写真はwikipediaの田中角栄の項目に掲載されているものを使用しました。数十年のいきさつを知る人から見れば、いろいろな意味で涙を誘ういい写真だと思います。余談になりますが、田中角栄が小沢一郎を「かわいがった」と言われることには疑問を感じています。小沢氏のお父さんが急死されて地盤を引き継ぐという時、角栄氏は「選挙区で辻説法を2万回するように。そうすれば田中派に入れてやるかどうか考えよう」という主旨のことを言ったそうです。小沢氏が本当にそれをやって改めて角栄氏を訪問すると憮然とした表情で「まあ、いいだろう」と言ったといいます。向かう気だけは強いぼんぼんの二代目とはあまりしっくりいかないと角栄氏は感じていたのではという気がします。同じボンボンでも鳩山由紀夫氏や細川護熙氏とは小沢さんは性格がだいぶ違います。この写真を見ても、小沢氏はまだまだ若い、良くも悪くも青い感じです。田中角栄氏の表情が適度に渋いあたりからもいろいろ読み取れなくもない気がします。


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AI時代にはBI(ベーシックインカム)を

今年はAIの話題でにぎわっています。
なんでも近い将来、AIが人間の代わりに仕事をするようになるのだそうです。

自動車の自動運転は近く産業化しそうな感じですから、そうなればバスもタクシーも無人運行ということも決してあり得ない話ではないかも知れません。既にゆりかもめは無人で運行されているということを思えば、近い将来本当にそうなるかも知れません。外国語の勉強も研究や教養以外では必要なくなるかも知れません。翻訳や通訳はAIがやってくれるようになりますから、そのような職業も必要なくなります。農業もロボットが全自動でやってくれますので、農家も必要なくなりますし、役所の手続きも自動化され、工場については言うまでもありません。ロケットも宇宙探査も火星開発も全部AIがやってくれます。スペースコロニーもモビルスーツも短期間で設計、製造してくれることでしょう。エヴァンゲリオンも無人で動くので嫌がる碇シンジを強引に搭乗させる必要もないのです。

人間がやることは「〇〇がほしい」「〇〇がしたい」という要望をAIに伝えるだけになるのだそうです。即ち、労働が必要なくなるということらしいのです。

では、そのような労働なき時代に人は幸せになれるでしょうか?2つの方向性が考えられるのではないかと思います。1つは巨大な資本と一部のスーパーエリートが高い収益を得て、残りの人は仕事も収入もない世界です。しかし、このような世界が実現しても人間が幸せになったとは言えません。そのようなことならAIが実現する必要もないように思います。そもそも大衆が消費できなければ、資本主義が持続できません。ですので、考えられるもう一つの方向性は、ベーシックインカム(BI)を導入し、仕事がなくても好きなことだけをして生きていけるという世界です。AIの発達により生産性は想像を遥かに超えて上がるらしいですから、人間が努力をして生産性を上げるということに意味はなくなります。それならば、せっかくAIが働いてくれるのですから、その果実を全員で分け合うというのは人間を幸せにする一つの方向性ではないかと思えます。

私はわりとグローバリスト的な発想が身についていて、人が努力をして成果を得、その成果を楽しむことは自然なことだと思っていましたが、AIという全く新しい条件が与えられるのであれば、無駄に人が苦労する必要はありません。そもそもどんなに努力してもAIに勝てるわけもありません。

人は政治や芸術などの人でなければできないことをやればそれでいいということになります。政治家はやりたい人が手を挙げて、オンラインで主張を訴え、有権者はワンクリックで投票。いわゆる政治資金は基本的ゼロ。芸術方面でもやりたい人が表現をして、採算は度外視というか、そもそも採算が問題にならない。

本当にそのような時代が来るのなら、気持ちも楽です。技術革新ありがとうです。一人に一台ドラえもん。日本国民全員がのび太になってもいいのです。

しかしながら、果たしてそうなるまでどれくらい待たなくてはいけないものでしょうか。ゆりかもめができたのが20年くらい前ですが、その他の地下鉄やJRや私鉄はみんな運転手さんが働いてくれています。銀行の手続きはかなり機械で済ませることができるようになりましたが、今も銀行窓口の人はいます。AIが人の知能を超える、いわゆるシンギュラリティが起きるのは2040年代と言われていますが、日々技術革新が進むこの世界で、20年以上先のことは未来学です。大学で先端技術を研究する偉い教授の先生が笑って「そんな先のことよりも、現実的なビジネスに生かすことを考えましょう」みたいなことを言うのも頷けます。どうも、働かなくてもいい時代が来ると浮かれるには、もしかするとまだ早いかも知れません。がんばろ…。




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参院選を予想してみる

安倍政権の支持率は各社によってばらつきもありますし、時期によっても様々ですが、だいたい、50パーセント行くか行かないかのところにあるようです。まずまず高いと言って良いですが、衆議院の解散がなかったということは、できればおおさか維新とも連携して3分の2以上を獲得し、憲法改正に歩を進めたいと考えているのではないかと思います。また、参院選の勝ちっぷりによっては年内解散も考えるといったところでしょうから、実に慎重に慎重を重ねている様子を感じ取ることができます。

さて、いずれにせよ3分の2(162議席)獲れるのか?ということになるわけですが(私個人は特に3分の2以上を獲ってほしいとも獲ってほしくないとも思っていません)、与党系の現有議席が135ですので、27議席の上乗せが必要になります。自民党の改選議席が49、公明党の改選議席が9ですので、その中で旋風でも起きない限り27議席の上乗せはちょっと厳しいのではないかという気がします。

今回の選挙では18歳以上の投票権、野党共闘という二つのこれまでとは違う全く新しい要素が入ってきますし、更に橋下さんが前に出ないおおさか維新がどれくらい健闘できるかは全く読めません(おおさか維新はもしかして厳しい?)。

野党共闘によって民進党系の多少の伸びは期待されていると思いますが、民進党そのものの人気が低く、かつ民主党と書かれた無効票が大量に出ることを考えれば、吉凶占い難し。18歳、19歳の人がどこへ投票する傾向が強いかについてもさっぱり分かりませんが、全体の投票率はそんなに高くならないでしょうからあまり影響はないかも知れません。

G7とオバマ大統領広島訪問の直後という外交的追い風が自民党には吹いていますので、諸事情鑑みて、与党微増、改憲発議に必要な議席には届かず、といったあたりではないでしょうか。

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ナポレオンの棺

フランスのパリのアンバリッドは元々は退役軍人が生活するために準備されたものですが、今は軍事博物館などが置かれた公開の場になっています。馬関戦争の時に長州藩から鹵獲した大砲も展示されているとのことなのですが、私が訪れたときは気づくことができませんでした。(残念!)

しかし、ここで誰もが関心を惹かれるのはナポレオンの棺なのではないかと思います。1821年にセントヘレナ島で亡くなり、後に遺体が掘り返され、1840年にフランスに送られ、この写真のような巨大な棺に納められます。空気の流れはほぼないでしょうから、今もそのままの状態で遺体が残っているかも知れません。

とはいえ、1821年に亡くなって1840年に現在の場所に安置されたのだとすれば既に20年の歳月を経ているわけですから、白骨化していると考えるのが自然です。しかし、掘り返された時は遺体にほとんど劣化が見られなかったことから、現在もヒ素による暗殺説がまことしやかに囁かれています。ヒ素は遺体の保全に効果があるため、イギリスがナポレオンを暗殺したのだとも、ある説ではナポレオンが最後の日々を過ごした建物の材料に使われていたのだとも言われています。

ナポレオンは最後の日々は人生に対する無力感や大西洋の孤島で暮らすことへの心労が激しかったとも言われており、また、亡くなる直前にスケッチされた彼の絵からは相当にお腹が膨らんでいることから、肝硬変を患っていたとする説もありますが、公式には胃癌だったということになっているようです。

あるいは、肝硬変と胃癌の両方を患っており、更にヒ素をもられたということもあるかも知れません。

不世出の天才で栄誉栄華を極めた人物の最期がかくも悲しいものだったということは、人生とは何かについて考えずにはいられません。ナポレオン本人の場合は、いわば、自分が負けたのだから仕方がないという考え方もできるかも知れませんが、一緒に島流しにされた側近たちの心情は非常に辛いものだったに違いありません。

ちなみに、ここの博物館では第二次世界大戦に関する展示も多く、当時の日本でルーズベルトのことを故意に怖そうに描いた漫画雑誌の表紙も展示されていましたので、写真に収めてきました。
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(写真は二枚とも筆者がフランスを訪問した際に自分で撮影したものです)




第一次世界大戦から日本陸軍は甘い考えを持つようになったかも知れない

 第一次世界大戦は人類が初めて機械化された兵器が全面的に使用された戦争として有名であり、そのあまりの悲惨さから、戦後は国際連盟の結成など、世界平和を志向する流れが生まれてきます。

 大戦中、イギリスが日英同盟を根拠に日本陸海軍の協力を要請してきます。海軍は要請に応じて地中海に艦隊を派遣し、高い評価を受けたそうですが、一方で陸軍は危険すぎると判断したのか、協力を拒否します。
 一方で山東省にあるドイツの利権はしっかりいただこうという動きは見せていますので、なかなかしたたかと言えばしたたか、義理人情に薄く利にさといと言えば、そうとも言えます。

 少ない犠牲で日本は戦後、戦勝国の一つとして欧米諸国から迎え入れられ、国際連盟の常任理事国の一つとして活躍することになります。
 ただし、あまり時を経ずして満州国問題で日本はその席を蹴り、泥沼の長い戦争から敗戦への道を歩くことになりますので、日本が世界に認められたと手放しで喜べない、ちょっと複雑になる歴史の一場面です。

 当時はヨーロッパ大戦とも言われ、日本にとってはあまり関係のない出来事のように考えられているふしもあり、機械化された戦争の恐ろしさを日本軍があまり理解できていなかったということも、アメリカとの戦争に積極的だった理由の一つに挙げられるかも知れません。

 その点では、時運が伸びているその時期に、少し甘い考えを持つようになってしまっていたのではないかと思うと、やはりいろいろ残念というか、複雑な心境になりますねえ

大正天皇と摂政

 大正天皇は体があまり丈夫ではなかったとも言われています。
 昭和天皇は後に「父は健康状態に優れていなかったので、天皇のような激務には向いていなかったかも知れない」というようなことを述べたそうですが、大正時代もあまり長く続いたわけではないですし、相当にお辛かったかも知れません。明治天皇や昭和天皇の写真を見る機会は歴史が好きな人なら多いと思いますが、大正天皇の写真を目にする機会は自分から求めてグーグル検索をかけるなどをしないとなかなか得られません。

 若い昭和天皇が摂政になり、天皇代理として活躍しますが、ヨーロッパに視察旅行に出かけたり、台湾を訪問したりして、大変活発だったご様子が分かります。

 明治、大正、昭和という三人の天皇を並べてみると、明治天皇は「大帝」と称されることがある反面、実際には政治の意思決定にほとんど影響していなかったようです。当時は明治維新の創業者が多く、彼らが相談してものごとを決めていたので、明治天皇はある意味では言うことさえ聞いていればよく、象徴的な存在としてそこに座ってくれていればオーケー、余計なことは言わないでほしいといったところだったのではないかと思います。大正天皇は既に述べたように、虚弱で政治にかかわることが難しかったようですが、一方で明治創業の大物の数が減り始め、原敬内閣誕生からも分かるように大正デモクラシーのなかなかおもしろい時代へと入っていきます。
 昭和天皇は良くも悪くも政治との関わりの深い人だったと言えます。稿を改めて詳しく述べたいとは思いますが、摂政時代から政治に関わったことで見識が深まり、自分の意見も持てるようになったことと関係するのではないかなあとも思えます。