脳と自慰行為の関係を真剣に考えた幸福論

六週間ほど自慰行為をやらないという実験的なことを続けていたのですが、夜毎、「今日はもうやってしまおうか、いやもう一日我慢しよう」という自己内対話がぐるぐると回り続け、ここまで思い詰めるのなら、やってしまおう、自慰をするのが普通のことだと考え、昨日、自慰をしたわけです。この六週間、心身の変化は感じてはいたのですが、その効果が断酒によって得られているものなのか、丹田呼吸法によるものなのか、それとも減煙か、自慰行為禁止かの判断がつかなくなってきており、自分の心身への変化も知りたいという思いもありました。ただ、エッチな画像の助けが必要なので、その方面の検索をかけ、画像の力を借りて行いました。動画はなんとか踏みとどまりました。まあ、こんなものかとその瞬間は思ったのですが、減煙中にもかかわらず、昨夜はすぱすぱと吸いたいだけ吸うという感じになり、今朝も吸いたいだけ吸っていることに気づきました。また、驚くべきことにだるいというか、かったるい感じがありました。もうちょっと頭の回転もちょっとだれた感じになっており、学生から外国語に関する質問を受けた際、ちょっとうまく答えられないというがっかりなことすら起きてしまいました。

見た目にも変化がありました。このところ節制を続けていることで(普段は白米もなるべく避けています)、表情に鬼気迫るものがあるというか、良くも悪くも迫力が出ていて、奥二重の目が細い二重になるという謎の現象も起きており、果たしてこれは自慰行為をしないことの効果なのかどうか疑わしく思っていたのですが、奥二重に戻っており、ああ、なるほど、いわゆるおな禁の効果は少しずつ出ていたのだということが分かりました。

心理的にも変化がありました。帰宅中、断酒したにもかかわらず、お酒が飲みたいという心境になったのです。そこは思いとどまりましたが、食事はいつもよりかなり多めでした(今日は担当するコマが3つもあったので、体力勝負ですから確かに、多めに食べる日ではあるのですが…)。

だるい、頭が鈍る、細い二重が奥二重に戻る、食べる量が増える、お酒がほしくなる、タバコの量が増える

と、マイナスなものが一挙に出てきましたから、いわゆるおな禁は効果があったのだということを、今回久々に自慰行為をやってみて知ることができました。

さて、ここで気になるのはなぜ、なぜ、そのようなことが起きるのかということです。以下はド文系の私の仮説です。エッチな画像を見て自慰行為をすると、脳の快楽系の神経に電気が走るはずです。そして快楽系の神経が刺激されると、快楽系は更に刺激を求めるようになり、「もっと、もっと」という信号を出してくるのではないかと私は推論します。お酒がほしくなったり、タバコの量が増えたり、更に食事の量まで増えたのですから、エビデンス面から見ても悪くない推論です。

ここまで考えて、私は脳そのものの機能ということに考えが及びました。即ち「不幸な人は生涯不幸である」ということの理由が分かった気がしたのです。不幸や不満を感じるとき、脳のそれに相当する部分に電気が流れ、刺激されるはずです。不幸を感じる神経系統が刺激されると、活発化し、もっと、もっと不幸を。と本人の意思とは関係なく不幸を求め、結果として不幸な人生になるのではないかと思えるのです。

快楽と幸福は別なものです。快楽の神経系統が刺激されると、脳の当該部位はより強い刺激を求めるようになり、その衝動に従い続けると最悪の場合は身を滅ぼします。一方で幸福の神経系統を刺激することがもし可能であれば、脳の幸福を感じる神経系統がより強い刺激を求めるようになり、結果として幸福な人生を得ることができるという帰結を得ることができました。

さて、オナニーの話題であるにもかかわらず、幸福を得る方法論へと話題はシフトしてきたわけですが、幸福になるためには快楽の神経系統への刺激をなるべく避ける、不幸の神経系統の刺激もなるべく避ける、幸福への神経系統を強めることを意識するべしということになります。この場合の幸福とは、美しい自然を見てそれを美しいと感じる、普通の街の光景であってもそこに幸福の種子を見つける、退屈な人間関係であっても、そこに幸福の種子を見つけるという努力を必要とするものではないかと思います。この努力を怠ると、退屈を埋めるために快楽を求め、快楽追求体質になってしまい、脳の機能の問題として無限に快楽を追及し続け、破滅するということになりかねません。宝くじで大金を当てた人が不幸になるのは、大金がいきなり転がり込んできたことで快楽系統が極端な刺激を受けてとまらなくなり、無駄にジェット機や無人島を買うという愚かしい行為に走り、野垂れ死にしてしまうということではないかとも思えます。

幸福の神経系統が極端な刺激を受けるとすれば、脳が無限に幸福を追求することになりますが、快楽の神経系統が壊れるくらいの刺激が宝くじに当たることだとすれば、幸福の神経系統が極端に刺激されることは滅多にありません。従って日々の生活の中に幸福の種子を見出していくことが幸福な人生を歩む唯一確実な方法ではないかとも思えます。ああ、お日様があって幸せ。月があって幸せ。木が葉をつけていて幸せ。などのようなことに「幸せだ」という反応を示すように自分を訓練し、突き詰めていくと家族がいて幸せ。家族がいなかったとしても孤独なら孤独の楽しみを見いだせて幸せ。今の仕事があって幸せ。仕事がなかったら自分を振り返る時間が持てて幸せ。いい人に出会うと幸せ。頭に来る人に出会ったら、世の中にはいろいろな人がいるものだと知ることができて幸せ、この程度で済んで幸せ。などなど、様々な日々の出来事にああ、幸せ、幸せという認識を持つように自分を訓練していれば、脳の幸福を感じる神経系統が刺激され続け、脳が幸福な人生を創造するということになります。ですから、いわゆるアファメーションで私は幸せだ幸せだと言い続けていると幸せになるというのは全くの嘘というわけではないわけです。私はついてる、私は運がいいと言うと運が良くなるというのも全く間違っているというわけでもなさそうに思います。おそらくは半分はアファメーションなどによって幸福を感じる脳の部位を鍛え、残りの半分は仕事をがんばるとか挑戦するとかという行動が必要なのでしょう。幸福脳を鍛えることと、行動が車の両輪というわけです。

自慰行為を六週間断ってみて、一回やってみたことで我ながら大きな気づきを得たように思います。さて一つだけ心配なのは、使わなければ機能が低下するのではないかということです。機能が低下することを私は望んではいません。真剣ですから、敢えて書きますが男性器は筋肉の部類に入るのか、内臓の部類として捉えるべきかで分かれてくると思います。もし筋肉と同じ性質を持つとすれば、歩けば歩くほど足腰が鍛えられるのと同様に、男性器も使えば使うほど機能が向上するということになります。一方で、内臓と同じだとすれば、お酒を飲めば飲むほど肝臓への負担を大きくし、極端な場合は病気になってしまいます。お酒を飲めばお酒に強くはなりますが、それはお酒に対して麻痺しているだけで、アルコールを分解する肝臓への負担が変わるわけではないでしょう。

経験的にですが、使わなければ退化するように思えます。ド文系の仮説なので、確実ではないのですが、経験的に、以前実験的に毎日のようにしていた頃のパートナーから「大きい」と言われました。毎日は使い過ぎかな…と考えていたのですが、筋肉同様に発達していたと見るべきように思えます。また、六週間全く使わないことで、小さくなったな、しぼんだかもという印象はありましたから、経験的には筋肉と同じもののように思えます。一方で、解剖学的には性器は内臓の一部として扱われるのではないかとも思いますから、私の経験だけをどこまで信じていいか、或いはおえらい専門家の言うことよりも自分の経験を信じるべきか…など、結論は出しかねるところです。

一応、最後に今後の方針のようなものを書いておきたいのですが、ストイックな生活を送ることで心身に良い効果が得られるということはかなりはっきり言えますので、これは続けたいと思っています。自慰行為についてはしばらくまたやめてみて、再び同様の効果が見られるようになってから、画像や動画に頼らず、想像力で行為をしてみてはまた違った知見を得られるのではないかと考えています。エッチな動画や画像を見ることは、依存症のリスクがあり、脳の働きを低下させる恐れがあると思いますが、想像に頼った自慰行為の場合、脳の前頭前野が鍛えられる可能性は残されています。本当にあほみたいなことを真剣に考えて書いていますが、わりと人生の奥義のようなところに近づいている気もしなくはありませんので、ご容赦願います。


禁煙のご褒美を喫煙にしてみた結果

現在、朝最初一本目は吸わないということに挑戦していますが、朝はやっぱりいろいろ考え事をしなくてはいけないことや、起床後しばらく吸わないものの、目を覚ます必要もあって、やはり午前中には何本か吸ってしまいます。とはいえ、喫煙所を意識的にスルーしてみたり、喫煙衝動を時々我慢することによって、喫煙本数は若干下がったと感じます。喫煙してもいい時には気持ちが弛緩していますので、ついつい多めに吸ってしまい、トータルの本数はそこまでは変わりません。今はそれでもいいと思っていて、自分が長時間タバコを吸わなくても大丈夫なのだという自信を持つことを優先し、敢えてタバコを吸わない時間を作るようにしています。

で、もしタバコを辞める決心したら一生タバコが吸えなくなるという飢餓感や喪失感のようなものが生まれてしまい、よけいにタバコが欲しくなるという精神衛生上よろしくない循環に入ってしまいかねませんから、何時から何時までは絶対吸わないとか、出かけている途中は絶対吸わない(仕事を除く)とかのルールを取り入れようと考えていまして、予定通り我慢できたらご褒美にタバコを吸っていいとしてみたらどうなるだろうかとも思ったわけです。今日、大量量販店にいろいろ買いに行き喫煙所もスルーして一本もたばこを吸わずに帰宅しました。当該の量販店に行って喫煙所をスルーしたのは初めてのことです。

帰宅後も別にタバコを吸いたいとは思わなかったのですが、タバコを吸ってはいけないシチュエーションでご褒美のシチュエーションに入ったわけですから、自分で自分を欺くのもよろしくありませんので、ありがたく一本吸ってみることにしました。まずいとは思いませんでしたが、おいしくもなんともありませんでした。味のないガムのような感じでしょうか。クラクラとはしませんでしたが、こんな味のないものを吸っていても意味がない、タバコを持っている手が疲れる。といったようなことを感じました。

お酒をやめた後、タバコはむしろ以前よりもおいしく感じるようになり大切に根本まで吸うようになっていて、ああ、断酒したらタバコがおいしいなあくらいに思っていましたから、ささやかながら大きな変化です。想像ですが、体内のニコチン濃度がある一定の量ある場合、時間とともにニコチンの量が下がってくるのを補給する時にはタバコがおいしいと思う反面、ニコチン濃度がどこかの閾値よりも下がってしまってしまった場合、タバコがおいしいとは思わないものなのかも知れません。今、タバコを吸いたいと言う衝動が来ていますが、一日何回か、自宅での喫煙衝動をスルーするの一環として吸わずにいます。ゆるやかに、ゆるやかにですが、こんな風なことを続けて、ブログに書いたりしているうちに、自然とタバコが必要だと思わなくなるようになればいいなあと思っている次第です。

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本の選び方を価格から考える

仕事柄、読書はせざるを得ない日々を送っています。そして仕事柄、おもしろくもなんともない本もコツコツ読んでいかなくてはいけません。いわゆる学術書はぶっちゃけおもしろくないものが多いです。そしてそういう本に限っておもしろくありません。専門家が専門家に読ませる本になりますから、公文書みたいに事実関係や研究成果を緩急つけずにづらづらと書いてあるというものが大半です。この手の書籍は他の専門家から下手に突っ込まれないように用意周到にしつつ、場合によっては資料・史料を換骨奪胎して使用しているため、読者の悦びみたいなものとはちょっと違う感じになってしまうわけです。学者にとっては学術論文はノルマみたいなものですから、売れる売れないに関係なく、そういったものを出し続けなくてはいけません。文章力のない人が、研究成果を出すためだけに書いているものもあります。

この手の書籍には特徴があります。べらぼーに高いわけです。6000円とか8000円あたりならまだいい方で、場合によっては一万円というのも存在します。専門家は他の専門家の書籍を読まないわけにはいきませんから、どんなに高くても固定した購買層がいるというのが背景にあり、一方で非専門家にとっては役に立ちませんから、価格を下げる必要もありません。この手の高額書籍はまず間違いなく退屈です。専門家としてやっていきたい方は我慢して忍耐の精神で読まなくてはいけませんが、そうでない人にとっては、本音を言えばほぼ無価値と言えますし、もっとぶっちゃけると勉強になることが書いてあるとも限りません。先行研究が延々と紹介され、マニアックな資料を分析し、社会にとってはどうでもいい「発見」を公表する場合が多いですが、そんな些細なことはどうでもいい…と思うことが多いです。もしかすると私の修行がまだまだ足りないだけで、もっと道を究めればそういった些細なことにもわくわくできるのかも知れませんが、私はまだそこまで人間ができていません(すみません)。4000円以上の本はだいたいおもしろくないと思っていいでしょうから、読書の悦びに浸りたいという方はそれより下の価格帯のものを選ぶことをお勧めします。4000円以上の本は大抵の場合は大学の図書館に入れてもらうことを想定していますから、よほどのことがない限り個人が自分の資金で買うことを想定していません。

で、4000円より下の価格の書籍の場合、学者以外の人にも読んでもらえることを想定する場合が多いです。3800円とかの価格帯であれば、専門家+一般でそれなりに詳しい人も注目するような内容になっていると見込むことが可能です。3200円なら文章力+内容の深さの双方が入魂されていると見ることができます。2000円から3000円代の書籍であれば、出す側も満を持しており、普通の読者にとっても読み応えのある内容が期待できます。この価格帯で勝負する場合、編集者の方も相当にエネルギーを使っているはずで、専門家からの突っ込みも回避しつつ一般読者からの支持も得られるものを目指しているわけですから、狙い目ではないかと思います。もちろん、3500円とかの本はやっぱりちょっと高いので、大学の図書館か、大学じゃなくても市民図書館で借りられるはずですから、そういったところで無料で借りるのもいいと思います。本は人類の共有財産ですから、お金持ちじゃなくても無料で本が楽しめる社会がよりよい社会だと信じています。

さて、それよりもうちょっと安い価格帯の場合はどうでしょうか。2000円前後のような本ですね。このような場合は専門家よりも一般読者にアピールしたいという感じになっていると思います。一般の読書が好きな人に向けた本という感じです。単行本で1800円とか2200円とかありますが、そういった本がもっとも読書愛好家に支持される内容のものが多いのではないかと思います。たとえば著名な小説家の書かれた新作であったり、ノンフィクションでも社会の関心事の高い事件に関する独自ネタみたいな感じのもので、文章力が鍛え抜かれた人たちが登場するエリアですから、読み応えはばっちり。電車の中やカフェ、自宅でくつろいで本の世界に入り込んで楽しみたいという人に向けたものが多いように思います。長く読み継がれるのもこの価格帯のものが多いのではないかと考えています。

さて、もう少し価格帯が低い場合はどうでしょうか。1600円より低い感じで1000円までの価格帯のものです。いわゆる「新書」が多いです。ソフトカバーの本が中心になるのではないかと思います。ソフトカバーだから悪いとは思いません。本はハードカバーの装丁を見るのも楽しいものですが、そこをソフトカバーにしてより低い値段で多くの人に読んでもらえることは価値あることのように思います。ただし、この価格帯の場合は素人向けのやさしい内容のものが多くなってくるように思えます。全てとはいいませんが、『〇〇だけが知っている〇〇』『本当は〇〇な〇〇』的な本の題名だけが目立ち、読んでみると似たり寄ったりで内容が必ずしも充分とは言えず、ちょっとがっかりする場合も多いです。たとえば書き出しが「突然ですが、もし〇〇は〇〇だとしたら、あなたは信じますか?」的なものであれば、私個人としてはその段階で読む気をなくしてしまいます。素人向けですから、自分が素人だと思う分野のことで、ざっくりと大体のことが分かればいいという程度であれば、これでもいいかも知れません。売る側も薄利多売を狙ってきますので、内容の濃さよりもその時、その時で短期的にぱーっと売れて忘れられていくことが前提みたいになってますから、読む側もそういうものだと思って読むべきものかも知れません。もちろん全ての書籍がそういうわけではなくて、真摯な書籍もたくさんあると思いますから、例外は当然あります。有名な俳優さんが真摯なエッセイを書き、それを購入しやすい金額に設定しているという場合ももちろんあるでしょう。俳優さんやタレントさんであれば、売れやすいため入魂の作品であっても薄利多売を狙えるということもあると思います。

さて、それより安い場合はどうでしょうか。実は意外と狙い目だったりします。コンビニで売っていたりする薄い本などですが、意外にも知らない分野のことを簡潔にまとめてくれていたり、へえと思う豆知識が書かれていたりする上にお値段が安いわけですから、お得感もかなりあります。ただし、本の世界に浸りたいという人が満足できるものではなくて、隙間時間を潰すのにちょうどいいかな的な読み捨て風のものが多いですから、そういうものだと思って読むべきかも知れません。当たりはずれが大きいので、人によって評価が分かれるところでしょう。

一応、例外を言うと、文庫本は別になります。そうでない場合もありますが、文庫は人類の財産である名作を安く提供するという社会貢献の目的で売られているものと理解しています。出版社が社会奉仕のために低価格で名作を提供してくれているのが文庫ですから、感謝して手に取るというのが読書のお作法ではなかろうかと思ったりもします。

では最後にインターネットのサイトはどうでしょうか。有料メルマガや有料会員のためだけのサイトもありますから、そういったところは、それぞれ付加価値の高い情報を提供しているのだと思いますが、このサイトのように無料の場合はどうでしょう。この世界は玉石混交ですねえ。参考になるサイトもあれば、そうでないサイトもあります。本にはできないけど、世の中に問いたいというサイトもありますし、単なるお遊びみたいなサイトもあります。自分のブログは「お遊び」に入ると思っています。独自ドメインとレンタルサーバーで年間数千円ですから、道楽しているつもりでやっています。道楽にお付き合いしてくさる方には感謝しておりますので、どうぞごゆっくり。


読書中の喫煙衝動をスルーする

無理のない禁煙を目指しつつ、少しずつ喫煙チャンスを減らしていこうと考えているところなのですが、現在、外出中の喫煙所一つスルーは無理なくできており、自宅にいるときも何回か喫煙衝動をスルーすることができるようになってきており、まあ、少しは効果があるかなあと思っているところです。

で、気づいたのですが、私は読書中に全然タバコを吸わないという事実でした。あんまり長く読むともちろんタバコを吸いたくなるのですが、隙間時間の短時間の読書中は喫煙したいと思いませんし、自宅で読書をしている時も喫煙を忘れています。これは我ながらなかなかいい、おつな発見です。

自宅では、ついつい「他人に文句を言わせない自分の聖域」という考え方になってしまい、タバコを吸いたくなるとスルーするのが難しくなってしまうのですが、読書中タバコを吸いたいと思わないということに気づいた以上、休日など自宅で過ごす際に読書時間を増やせばある程度、喫煙欲求が抑制されるという帰結になります。読書はその行為そのものが脳にいいというド文系の私なりに仮説を立てているのですが、本は有料ですから、得られる情報の量も濃厚なものが多いです(はずれもありますが…)。と考えると、今まで以上に読書に勤しむことで、喫煙欲求は制御できる上にインプットの質と量も上がるという一石二鳥の効果が狙えるとも思えてきました。現在、自己洗脳中です^^。

お酒を飲まなくなったので、飲酒中にタバコが吸いたくなるということがありません。これは我ながらヒットです。

一番難しいのはPCに向かっている時で、PCでは仕事もしますから、PCに向き合いつつタバコを吸うというのが条件反射になっており、他にもyoutubeを視聴する時のような休憩中も自然とタバコに手が伸びます。PCで仕事をする時にタバコを吸わないというのは、まだ私にとってはハードルが高い(頭脳を使う時はタバコがほしくなりやすい)のですが、youtube視聴中の時や、ネットで適当に検索をして時間を潰すような時に喫煙欲求をスルーできることが次の目標ではないかと考えています。

大学で授業をする直前の時間と直後はどうしてもタバコを吸ってしまいます。授業する目は精神統一のために喫煙し、授業後は頭の中がグルグルしていますので、リラックスするために今はタバコを必要としています。おそらく授業前後が最後の関門になると思いますが、自分にはタバコは必要ないと信じることができるようにすることで、少しずつタバコを減らしてその生活に慣れてゆき、その関門も突破したいと思います。


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自宅での喫煙衝動も時々スルーしてみる

現在、無理のない禁煙に挑戦中です。以前やめたときは20キロ太って抜け毛が増えたために、これではデメリットの方が大きすぎると思い喫煙を再開しました。ですので今回は「無理のない」を絶対条件にしています。

喫煙は現状では習慣化されているわけですから、当然タバコは吸いたくなります。外に出たときは一回だけ喫煙所をスルーするルールを試しているところですが、自宅は他人にとやかく言われる筋合いはありませんから、いくら吸おうと私の自由です。喫煙者にとって自宅は聖域とすら言うことができるかも知れません。で、その聖域での喫煙習慣が最終的には消えていかない限り、タバコを辞めることはできません。そこで、自宅で時々でいいので喫煙衝動が起きた際に敢えてスルーするというのを始めてみようと思ったわけです。

次第に慣れてくれば、自分にはタバコはそんなに必要ないと脳が感じるようになり始め、やがて別に吸っても吸わなくてもどちらでもいいと思うようになり始め、やがて自分には必要ない、と感じるようになれば、タバコはお金がかかるし社会的圧力も強いから、もう吸わなくていいやとなるというのをロードマップとして描いています。このロードマップは突然頭に浮かんだというよりは最近になって禁煙を真面目に考えるようになり、できることから始めようとしてからだんだん思い浮かんできたものですから、何事もまずは少しでいいのでやってみるという好例かも知れません。

今はお酒もやめてエッチな動画や画像も検索しなくなっているので、おそらくは脳のストレス耐性が上がっており、タバコをちょっとぐらい我慢する程度のことなら、さほど苦痛ではなくなってきたというのも大きいと思います。依存症はやめやすいものからやめていき、一番やめにくいのを最後の挑戦にするというのは鉄板ルールと言えるかも知れません。

タバコを吸う量は若干減ったように思わなくもないですが、それでも現状では一日一箱買っています。タバコが切れる恐怖心や渇望感を持たないようにするためです。エッチなDVDや雑誌は「もう見ない」と決めてからも棄てていないのですが、自分にとって必要ないと思うと改めて開きたいとは全然思いません。タバコもおそらく同じようなもので、これは私の場合ということですが、タバコが自分に必要ないと納得すれば、タバコの山が目の前にあろうとも吸いたいとは思わないだろうという戦略です。以前は禁煙するには、覚悟を決めて灰皿もライターも棄てなくてはいけないと考えていたのですが、渇望感が増すばかりで精神衛生上よくありません。それよりもタバコが自宅にいっぱいあって(吸うペースが下がっても買うペースが一定なら、必然的に自宅にあるタバコの量は増えていく)、タバコに充分囲まれているという安心感からタバコを手放すという心理的な手順を踏めるのではないかと今は思います。

一度でも喫煙衝動をスルーすることができれば、「あ、大したことないな」と思えるということが分かってきましたから、少しずつ喫煙衝動をスルーする機会を増やしていきたいと思います。

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喫煙所を一か所だけスルーしてみる

私は大体一日ひと箱吸うのですが、社会的圧力が強いので近い将来タバコはやめなくてはいけないと思っています。お酒は簡単にやめられましたし、エッチな動画や画像を検索するのも簡単にやめられたのですが、禁煙のハードルは高く、半日タバコを吸わないだけでもかなり消耗します。「自分がタバコを必要としている」という思い込みさえなくせばやめられると言う推論を立て、どのようにして自分に学習させていくかが課題になっています。

朝最初の一本を吸わないというのは減煙にはある程度の効果があると思いますから、今、それを実践中ですが、それにプラスして生活空間で出会う喫煙所を一か所だけスルーするというのも始めてみることにしました。

私は禁煙スペースではもちろんタバコを吸いませんから、日常生活での吸う場所は自宅か職場までにある喫煙所と職場にある二か所の喫煙所に限定されています。フルで吸う時は自宅で吸った後、途中の喫煙所で吸い、続いて職場で吸い、場合には喫煙所でコーヒーを飲みながら至福の時間を過ごす、または考え事をする時間に充てるわけですが、そのうち一か所でいいのでスルーするというのを取り入れてみようと思うわけです。というか昨日からそれを始めてみました。仕事の流れの関係で結果としては二度喫煙チャンスを失ったので、当初の計画よりもタバコの量を減らすことができたと考えることもできます。

しばらくは一日に一度は喫煙チャンスを棄てるという行動によって、自分に大してタバコは必要ない、タバコはなくても大丈夫なんだと理解させる自己教育をするつもりです。私の性格は自分でよく分かっているつもりなので、タバコが必要ないと納得すればタバコを見ても吸いたいとは思わないはずです。お酒をやめた後、コンビニでお酒を見てもほしいとは思いませんから、同じような感じになることを目指したいと思います。自宅の灰皿は机の上に置いてありますし、タバコも切らさないようにしています。タバコがないことへの飢餓感を持つことの方が禁煙にはよくありません。今はわりとストイックモードに自分のマインドがセットされていますので、もしかするとだんだん量が減っていき、そのうちタバコのことを忘れてしまうかも知れません(願望)。

タバコを半日やめてみて気づいたこと

今朝から禁煙と思って臨みましたが、半日で挫折しました。禁煙ビジネスの鴨にされたくないという思いが強いものですから、インターネットでいろいろ検索をかけ、自己努力でどんな禁煙方法があるかを調べてみたところ、「朝最初の一本を吸わない」という大変興味深いものを見つけました。朝の寝起きの一本は体が欲しているというよりは単なる習慣みたいなところがあると私も思いましたので、今朝からやってみることにしたのです。

結果、お昼過ぎまで吸わずに過ごすことができましたが、その間、「なぜ私はタバコを吸うのを我慢しなければならないのか」という自問が幾度となく去来し、常にタバコを吸うべきかどうかを考え続けるという状態になり、まあ、とりあえず、寝起きの一本は吸わなかったのだからということで、半日の禁煙には成功したと思い、吸うことにしました。

その結果、気づいたのですが頭がクラクラし、頭重感を覚えました。その頭重感は二時間ほど続き、今日は図書館に行く予定があったのですが、図書館から帰宅するまで、吸いたいという衝動はありませんでした。帰宅してパソコンを開き、ブログを書く時点で吸いたいという衝動が生まれたため、今日のところはこれで「修行」は終了ということにし、今も一本吸ったところです。

今日の成果は自分は半日程度ならとりあえずタバコを吸わなくても過ごせるということが分かったことと、少し間をおいてタバコを吸うと頭がクラクラして気分が悪くなるということが分かったことです。今吸ってみたところ頭重感もなく、むしろ充実した気分になりましたが、「自分は一定の条件下ではタバコを吸うと気分が悪くなる」ということに気づけたことは、タバコを必要としない人間になるための第一歩ではなかったかと思います。

タバコによる健康リスクは確率論に過ぎないと私は思っていますが、社会的圧力には屈せざるを得ないとも思いますので、今後も禁煙の努力は模索するつもりです。朝の最初の一本をとりあえずやめてみるということを続けることは、毎日最低でも一度はタバコで頭がクラクラするという経験をすることになると思いますから、自分の意識の深いところに「タバコは気分が悪くなる」を刷り込むことに効果があるように思います。

以前、半年やめたときは20キロ以上太ってしまい、元の体重に戻すのに苦労しました。当時はむしろ糖尿病の危険を感じ、喫煙を再開しました。今朝はコーヒーを四杯飲みましたので、経済的にはタバコを吸う方がいいという勘定になってしまいます。タバコは依存だということは納得していますので、自分にはタバコは必要ないと思い込ませる努力をするしかないかも知れません。

さて、今回の禁煙への努力は「太らずに」ということと「仕事に支障をきたさない」というあたりのバランスをとりながら、じょじょに進めてみたいと思います。

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そろそろタバコをやめてみようか…



ストイックがマイブームなのですが、とりあえず断酒は2か月成功で、もう全然飲みたいとは思いません。なくても平気ということが自分でもわかっているので、大変らくです。健康効果は抜群で疲れにくくなったし、脳のストレス耐性が上がったことは間違いありません。で、次にやめたのがエッチな動画や画像の検索ですが、これも意外と簡単で、youtubeで討論番組とか見たりするようにしており、他にも本を読むと手段に訴えているうちに全然見たいと思わなくなりました。自慰行為も全然したいと思わなくなりました。あまりに楽なので自分でも驚いているほどです。

さて、あと残るタバコとコーヒーです。コーヒーは社会的に許容されているので、まあ、辞めなくてもいいやと思っているのですが、自分がタバコを本当にやめられるかどうか、自身がありません。一応さっき最後のタバコを吸い、ライターと灰皿とタバコをパソコンの後ろ側に隠しました。目に入ると吸いたくなるけど完全禁止にするとコンビニに走って買いに行くことになるので、いざとなったら吸えることを担保した上での禁煙ということにしてみたわけです。

以前何度も禁煙に失敗していますが、そこには「なぜあんなに楽しいたばこをやめなくてはならないのか」という心理状態が働いていて、タバコをやめることにすいて強い不満を持っていましたから、続きませんだ。あるいは太り過ぎてしまい、しかも抜け毛まで増えたので、緊急再開という感じでした。

さて、今回は私には理論的な支柱があります。すなわち、依存症を排除すれば脳がよくなり、脳がよくなれば人生は自動的に良くなるという脳科学にど素人な超ど文系の私が考えた推論なわけですが、これをタバコに適用したいと思うのです。タバコが依存症であることには私は同意できます。そして、依存症を減らせばそれだけ人生は良くなり成功するという仮説を持っています。この理論武装で自分を納得させようというわけです。実際にお酒をやめたら体調はよくなったし、エッチな動画や画像を見ないことは、脳の機能向上と同時に自分の倫理性の高さに自信を持つことができるというメリットがありました。ですから、タバコをやめて数日でそういうメリットを享受できるかどうかが一つのポイントになると思います。お酒は三日もやめたら全然ほしくなくなった、エッチは動画や画像には「やーめた」と思った当日から関心がなくなりました。依存症はやめられるということも分かったし、依存症を減らせば毎日がより良くなるというエビデンス(体調が良くなり、お金も余るようになり、自分を律しているという自信が得られる)がありますから、私の頭脳に対してそれを説得することは可能です。

ただ、以前辛かったので、果たして今回成功するかどうかには強い不安は感じています。大学で授業するときは強い緊張感とプレッシャーがありますから、もし今からやめて大学の授業をしてみてあんまり辛くなかったら「なんだータバコ吸わなかったおかげで、かえって授業うまくやれたわ」という自信につながり、すっと辞められると思います。この数日が勝負です。わりと単純な人間なので、効果あると確信できれば未練なんて吹き飛んでしまいます。お酒にもエッチ画像にも未練は一切ありません。全く吸えないという状態にするのではなくPCの裏に灰皿とタバコとライターを隠すことで、トリガーはなんとか目に見えないようにしつつもいざとなったら吸えるという状態にしてあります。さて、もう寝ますが果たして成功できるかどうか。数日が勝負です。あ、脳にいいと気づけば、やめられるでしょう。体重の増加はいやなので、水ばっかり飲むことになると思います。続けば報告しますし、続かなくても報告します。とりあえず、まずは明日の朝までがんばって次に昼までがんばってできれば夜までがんばって更に翌朝までがんばることができれば、私の推論では危険状態からは脱すると思います。やってみます。

自慰行為禁止の心身への影響を考えてみる



最近ストイックにはまっている私は、自慰行為というものも一か月やめています。インターネットではあたかも無限の効果があるかのようなことが書かれていますが、実際どうなのかを確かめてみたいというのもあってやめてみたわけです。正直に言うと、身体に対しては大して大きな変化は現れませんでした。自慰行為をすると貴重な栄養素と男性ホルモンが失われるが、反対に自慰行為を禁止すればそれらが体内にためこまれ、顔つきが端正になり、筋肉もついて体が引き締まり、もてるようになるという半分都市伝説のようなことが言われています。しかし、そのような人は自慰行為禁止+筋トレ、食事制限など生活改善に取り組んでいる人が多く、体が引き締まるのは筋トレや食事制限で十分に説明できると思います。肌がきれいになるとか抜け毛が減ると言うのは少なくとも私には実感ができませんでした。顔色が良くなったとは言われましたが、それはむしろ断酒の効果によるものではないかと思います。

以上のように身体に関することだけに限ってみれば、大して効果ないと私は結論しつつあるのですが、精神に関してはかなりの違いがあるのではないかと思います。ネット時代ですからエッチな動画や画像は無限に閲覧することが可能です。自慰行為をする際にそういった動画や画像を見て行う場合が一般的だと思いますが、それらの動画や画像をみることはある種の依存症に陥る可能性があります。依存症は脳のストレス耐性を弱めると私は経験を通じて結論しているのですが、エッチな動画や画像を見ることをやめることにより脳のストレス耐性を更に高めることができるのではないか、結果として脳が鍛えられ、より成功する人生へと歩み出せるのではないかと思います。私は一か月、一切そういったものを見ていないのですが、現在は全く見たいと思わなくなっています。以前は男性である以上、必要だと感じていましたが、全然見なくても困らないということは、私は依存症に陥っていたのだと結論することができると思います。

自慰行為の禁止(いわゆるオナ禁)よりもエッチな動画や画像を禁止する(いわゆるエロ禁)にことにより脳の機能が向上するというのが私の個人的に得た感想です。異性との性行為を望み、同意の上でそれを行うのであればもちろん健全なことだと思いますが、デジタル情報の再構成に過ぎないエッチな動画や画像はやめた方がより健康的に生きることができるかも知れません。少なくとも私は脳の機能が上がったように感じますし、密かにそういうものを見ない男性なのだということについて、自己評価を上げることができました。これは大きいと思います。

以上がいわゆるエロ禁の効果と言えますが、画像や動画を見ずに行うにしても、自慰行為そのものが、ここは意見が分かれるところでしょうけれど、精神にはあまりいい効果はないのではないかと思います。というのも、自慰行為は代償行為ですので、私は個人的には敗北感が伴います。人によっては罪悪感があるそうです。私は他人に迷惑をかけないのであれば、罪悪感を持つ必要は一切ないと考えていますが、代償行為で自分を一時的に慰めていることの敗北感がセットでついてくるのです。自分に対して申し訳ないとも思いますから、自分に対する罪悪感も生まれているのかも知れません。自慰行為をしなければ、敗北感を感じなくて済みますし、もしも、日々自慰行為をするとすれば、私の場合は日々、敗北感にまみれるということになってしまいますから、自己評価を下げることにつながりかねません。おそらく多くの人の心理は私と変わらないと思いますので、敗北感を自分に与えないために、高い自己評価を保つために、自慰行為を禁止するというのは効果があるのではないかと思います。

一方で、手軽なストレス解消として推奨するサイトもあるようです。これは考え方によって分かれるところでしょう。私は「エロ禁」をすることで脳のストレス耐性が強まり、結果として自慰行為の必要性も下がるのではないかと今は考えているので、当面はこれを続けてみようと思っています。自慰行為を禁止して筋トレや瞑想、節制、読書などに励む人が顔つきが良くなったり、痩せたりしたなどの経験をネットに報告している事例が多くみられるのは、ストレス耐性が高まった分を自己訓練に励むことができるので、結果としてそういう効果を得ているのではないかと思います。そういう意味では間接的には確実に効果があるとも言えると思います。ストレス耐性が上がれば更にストイック自己改革に取り組むことができていきます。但し、「オナ禁」は結構ハードルが高いですから、他の軽度の依存症をやめていき、少しずつ脳のストレス耐性が上げてから臨むのが理想的かも知れません。

渡辺淳一さんの小説で、自慰行為の際に想像していた女性と結ばれるという内容のものがありましたから、あるいはイメージトレーニングの効果はあるかも知れませんので、そういう効果を期待する人は動画や画像に依存せず、脳内でイメージすることで自慰行為をするというのは方法論としてはあり得ます。確かめたことがないので分かりませんが…

私も節制が進み体重が一か月で5キロくらい落ちています。あと5キロくらい落としたいなあとも思います。糖質への依存が下がり、そんなに食べなくてもよくなった結果ではないかと考えています。今は節制が楽しいので、節制生活を続けるつもりです。私にはまだタバコ依存とコーヒー依存があります。コーヒーはやめなくてもいいかなあとは思っていますが、いずれはタバコをやめようと思います。タバコについては私個人はそこまで健康に悪くないと思っていますし、社会的圧力に負けているとも思うのですが、この世間様の圧力はもはや抗いきれないほど強くなっていますので、どうせやめるのであれば、自分が依存症をなくすことでどれだけストレス耐性があげられるかという新しいチャレンジをする心境で臨めば、やめやすいのではないかと推論しています。

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最近、ストイックがマイブームになっており、食事も糖質系をかなり制限している他、お酒ももちろん飲まないし、エッチな動画や画像も一切検索しないという修道院みたいな生活を送っているのですが、最近になって、ようやくなのですが、時間が余ってくるという感覚を得るようになってきました。

以前なら夜寝る前にお酒を飲みつつエッチな動画や画像を検索するというかなり堕落した感じの生活を送っていたわけですが、当時の私にとっては仕事もがんばってるし、ストレスも抱え込んでいるんだから、寝る前にそれぐらいの自分へのご褒美もあっていいよね。という感覚でした。

しかし、お酒とエッチな動画と画像の検索をやめてみたところ、かえってストレスを感じにくくなり、おそらくは脳のストレス耐性があがったのだと思いますが、それらが全然自分にとって必要ないということに気づくことができました。

で、しばらくは、あー調子いいな程度の感じだったのですが、おそらく脳の機能がより向上(回復かな?)したからなのか、一日に処理できるタスクが次第に増え、夜になると時間が余るようになってきたのです。

やることがありませんから、読書でもするしかありません。しばらくは読書するのがとても嫌になっていた時期がありました。職業がら本は読まざるを得ないというか、読書が仕事みたいなところがありますので、読書という行為そのものが物憂げに感じられるようになってしまい、帰宅後に本に手が伸びなくなってしまっていたわけです。ですが本当に最近になってなのですが、「読書でもするか」という心境になるというか、余った時間を他に消費することができなくなってきてしまい、読書せざるを得なくなってきています。読書は脳にいい効果があるに違いない(はず)と思いますから、今はいろいろなことが正のスパイラルに入っているように思えます。とてもいいことですから、いろいろなことに感謝したい心境です。

正のスパイラルを一応、順番に書くと、お酒を飲まない→脳のストレス耐性が回復する→糖質制限を無意識にやっている→脳のストレス耐性が回復する→痩せる→エッチな動画や画像も見ない→脳のストレス耐性が回復する→読書する←いまここ。な感じでしょうか。今後の理想としては、コーヒーをもう少し少なくすること、掃除をもっと徹底すること、タバコをやめることにつながっていけばいいなあと思っています。あー、まあ、コーヒーは別にいいかも知れないですが。

タバコへの依存が一番強いと思っていますので、これはおそらく最後になるかと思います。その前に回復した脳による掃除モードの発動に期待です。掃除という行為は脳を鍛えるはずですし、生活空間がきれいになれば、脳の機能は更によくなるはずです。私は果たしてどこへ向かっているのかと、多少スリリングですが、いけるところまで行ってみたい、新しい自分に出会いたいという感じを抱いています。では、これから読書します。

あーそうそう、自慰行為もしていません。自慰行為については賛否両論あるようですが、それについてはまたいずれ。