【漢文】孔子の大同と小康と空想的社会主義的ユートピア

春秋戦国時代の春秋と戦国の一線を画す、後の東洋世界に巨大な影響力を与えた孔子は、魯国にとどまり、世を嘆いたそうだ。どのように嘆いたかというと、過去、それもうんとうんと過去の五皇の時代は麗しい理想的な世界だった。どれくらい理想的だったかというと、能力のある者は選ばれて指導者になるが、専制などとは全く違う無視無欲の指導者であり、人々は平和に幸福に暮らしている。どれくらい幸福かというと病気の人や社会不適合な人もみんな救済されていて、困っている人がそもそも存在しない。困っている人がいたら理想的なリーダーがきちんと処理してくれるので安心してみんなが暮らすことができる。失業者はもちろんいないし、他人の家に泥棒に入るようなけしからん者もいないので、家の入口に鍵をかける必要もないというくらいに平和で理想的な世界である。これを大同というらしい。

検証不可能なくらいに昔のことを取り上げて理想的な世界だったといいきってしまうあたりに復古趣味的な孔子個人の傾向を見ることもできなくもないのだが、トマスモアの空想的社会主義を連想させる、かつてあったはずのユートピアのイメージが孔子の念頭にあったに違いない。

大同と小康というものは有名な子曰くで始まる問答のある一節で、『礼記』に書かれてあるのだが、ちょっと話が飛び飛びな感じになっていて、孔子はまず大同について述べた後、現代(当時)について語りだす。その現代というのは信賞必罰で人は私利私欲で動いているが、まあそれなりに秩序は保たれているということになっていて、辛辣に魯国の王を批判するような内容ではないものの、大同にははるかに及ばないので、孔子の舌禍みたいな部分とも理解されている。孔子は一言多い、言わなくてもいいことを、敢えて不用意に言ってしまう性格だったようだ。

で、現代を軽く憂いた後で周の時代は良かったと、今よりは良かったが大同よりは劣るということで、その状態を小康と呼んだ。話が神話的古代ぐらい昔から入って現代に入って中間について話すという流れなので、ちょっと飛び飛びになっており、よく読めば「めっちゃ昔は空想的社会主義的なユートピア」で、「ある程度昔は、そこそこ良くて」「今は普通」ということを言いたいのだということが分かった。なぜ時間軸的に沿って言わないのか、しかも時代が下るにつれてだんだん世も末感が強くなっていると言いたいわけだから、時間軸に沿って話した方が分かりやすいのではないか、なぜそうしないのか、本当に孔子は頭がいいのだろうか。というような疑問を持ちつつ読んだ。

今、漢文を教えてくていれる人がきっちり頭の中で体系化されているので、この漢文も難しいことは難しいのだが、よく理解できた。教えてくれる人も孔子は時々ちょっと問題あると言っていたので、私の疑問も的外れというわけでもないのかも知れない。現代人の我々の価値観から言えば、この一節では理想的な世界では全ての男の仕事があるので、女は家から出なくていいということが書かれてあるため、男尊女卑が孔子の根底にあったということになり、批判されることもあるそうだ。

いずれにせよ、興味深いのはトマスモアの空想的社会主義と孔子の大同の世界がかなり似通っているという部分で、孔子がある種のコスモポリタン的な発想を持っている人だということが分かったのは収穫だった。漢文の世界は奥深いぜ。

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【漢文】易経とは何か

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私は現代中国語ならかなりのレベルで使いこなす自信はあるのだが、漢文が読めない。詳しい人に相談したところ、現代中国語と漢文は全く違うものなので、別途勉強しなければ永遠に身につかないという厳しい現実を教えてもらい、夏休みを利用して漢文の肝になるところだけでも教えてもらうことにした。

で、一発目に教えてもらったのが易経についてである。いわゆる四書五経の一つに入る。で、この易経というのがなかなか奥が深いのだが、漢の武帝の時代までは六経で、武帝の時にされて五経になったらしい。隷書で書かれているそうだ。で、五経博士という特権的専門家が五経研究というのをしたわけだが、鄭玄という人物がこの五経に注釈をつけている。あまりに見事な注釈であったため、経神と呼ばれるそうだ。

で、易経なのだが、明朝以前は周易と呼ばれていたという。周の時代から存在したからだ。伏義という伝説の男(三皇五帝の三皇の一人で、厳密には三皇は「神」の部類に入るそうな)が八卦という占いを編み出したのだが、八卦は方位天地、神羅万象を表すもので、陰陽五行道の原点でもあり、今の韓国の太極旗のマークと同じものを使って方角を見て吉凶を占うというのをやっていた。で、周の時代に文王が64卦に増やしている。八×八で64だから、それだけ細分化して占いの精度を上げることになったということらしい。更にこれを孔子が究めたのが『十翼』と呼ぶのだが、このように時間をかけて洗練されて作られたのが「易経」なのだそうだ。

従って、極めて制度の高い占いの手引書として今に至るまで信用が高く、日本では当たるも八卦当たらぬも八卦と言われるが、中華圏ではもっと精密なものとして扱われている。また、よほど訓練を積んだものでなければ易経を体系的に使用できないので外すのであり、充分に訓練を積めば、かなりの確率で当たるのだという。易占いは確率論であり、たとえば明日告白してオーケーをもらえる確率は〇〇%みたいな感じで出てくるので、イエスかノーかの結果が出るものではない。しかし、それだけにかえって信憑性が高いのだと言えるかも知れない。今でもスポーツの試合でどちらか勝つかに八卦を用いるという人がいて、とある人がやってみたところ「分からない」という結果になり、その試合は逆転に次ぐ逆転の接戦を繰り返し、占いの結果が「分からない」というのも納得であるとの説明をされた。

私は四書五経は知っていたが、そのうちの一つが易だということを知らなかった。いや、ぼんやりとは知っていたが、それが占いだということに気づいていなかった。漢文の易経の存在は知っていたが、中身については何も知らず、言われてみれば易と言えば占いではないかと、説明されて気づいたのである。それだけでも大発見というか奥深き中国古典の入り口に私はようやく立てたわけだが、果たしてそんなに奥深いものをどこまで追求できるのか…自信はない。よく中国の世界観は孔子の時に完成してしまい、以後、変動しないというような言い方をする人がいるが、納得できる。

縄田雄二『一八二七年の幻燈文学』と映画

縄田雄二氏の『一八二七年の幻燈文学‐申緯、ゲーテ、馬琴』という論文が三田文学に掲載されているのを読んで、とてもおもしろかったので、ここで紹介したい。当該の論文ではまず朝鮮半島の文人申緯が一八二七年に書いたとされる漢文の詩を取り上げ、走馬燈を見るような、燈光に関する言及があることを指摘し、続いてゲーテの『ファウスト』の第二部第三幕を独立させて『ヘレネ 古典的ロマン的幻燈劇』としてやはり一八二七年に出版された作品に目をつけている。論文では鴎外による日本語訳を使用し、「夜の生んだ醜い物を洞穴へ入れる」という表現があることに着目している。このような表現は舞台上でメフィストフェレスが幻影的にたち現れたり、或いはいずこへかと消え去ったりする際に光学機会を用いた影絵のようなものが舞台上の壁なりスクリーンなりに映し出されることが念頭にあるのではないかとの当たりをつけている。続いて同時代の馬琴の『南総里見八犬伝』が幻惑的、または幻術的な表現がなされているのも、実はゲーテのように光学機会を使った幻影装置を見たからではないかとの見立てがなされている。即ち19世紀前半に少なくとも世界の三人の表現者が光学機会を用いた幻燈装置を知っていた可能性を指摘している。

縄田氏は文化史家フリードリッヒ・キットラーに言及し

(キットラーは)ヨーロッパにおいて幻燈の地位をロマン派文学が襲い、幻燈が見せたような連続映像を文字により見せるようになったっ経緯を叙しているいる。キットラーは、映画が登場したときにヨーロッパと北アメリカにおいて観客がすみやかに動画の文法をのみこんだのは、こうした文学が先に行われていたからと推測し、他文化圏との違いを述べる。補正したい。東アジアも同様であった、と

としている(『三田文学』2018年夏季号194‐195ページ)。

とてもおもしろいと思った。馬琴が映画の原型になる幻燈装置を見たことがあったとすれば、それはとてもおもしろいことだし、ヨーロッパで可能であったことなら、日本でも充分に可能なことであったはずだということを思い出させてくれる。江戸時代の社会ががヨーロッパの事情に全く疎かったという解釈は古い物になっていて、長崎でのオランダ貿易を通じて世界中のものが日本に流入していたことはよく指摘されていることだ。江戸時代は総じて貿易赤字の傾向があったということだから、当時の人々は輸入品を生活の中に取り入れていろいろ楽しんでいたはずだ。馬琴と同時代人の葛飾北斎がヨーロッパから輸入された絵具を試しに使った形跡があることが指摘されているものを以前読んだことがあるし、娘のお栄の描いた夜の街の陰影がヨーロッパの絵画に似ているという指摘もある。というか、浮世絵の美術館に行って実物を見れば素人の私でも一発で分かる。ゴッホは日本の浮世絵に強く影響され激しい憧れを抱いたが、日本とヨーロッパは19世紀の前半、既に互いに影響し合う関係にあったのだと捉えれば、とてもおもしろい新しい歴史と世界のイメージが頭の中で結ばれてくるように感じられる。江戸にヨーロッパ最新の光学幻燈装置が持ち込まれ、それを馬琴が見たとして、または朝鮮の文化人が見たとして全く不思議でも不都合でもない。

武田鉄也が坂本龍馬の役をやっていた『Ronin』という映画の冒頭では、長崎で竜馬が初期的な映画を観て驚く場面がある。で、何かの解説でみたのだが、一般にリュミエール兄弟の作品が1895年に試写会をしたのが映画の始まりとされているので、1860年代が舞台の『Ronin』では、まだ映画は存在せず、竜馬が映画を観ることはあり得ないが、製作者の映画を愛する思いのようなものがそこには込められているのではないかと説明されていた。

しかし、幻燈装置が竜馬よりもっと早い時代、馬琴の時代に輸入されていて、それを観た人々が存在したとすれば、竜馬が幻燈装置という映画の萌芽に触れる機会があったことは充分に考えられる。『Ronin』という映画は図らずも充分にあり得た可能性に触れていたのだ。

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近代人の肖像写真‐明治天皇と徳川慶喜

多木浩二氏の『天皇の肖像』では、明治天皇の肖像写真の変遷を追いかけている。曰く、明治天皇の最初の一枚目の肖像写真は伝統的な京都宮廷風の衣装の写真だったものが明治初期には若き君主として椅子に腰かけている肖像写真が存在しているが、最終的に背筋の伸ばして身体の均整のとれた理想的な君像に変化し「御真影」として全国の官庁や学校に下賜された肖像写真はイタリア人のキョッソーネという画家に描かせた写真みたいに見える肖像画が使用されており、威風堂々の完成形に至っているというのである。

明治初期の普通な感じのする若き明治天皇
明治初期の普通な感じのする若き明治天皇
イタリア人のキョッソーネという画家に描かせた威風堂々たる雰囲気の明治天皇

このような写真の変遷には理由があり、多木氏はまず第一に近代資本主義社会の訓練を受けたことのない人間の立ち居振る舞いやたたずまいのようなものが近代芸術の先駆的存在である写真では映えないということを挙げている。即ち、ヨーロッパの君主や貴族の真似をして一応は写真を撮影してみたものの、どのような雰囲気で撮っていいのかよく分からずに撮影したのが、京都宮廷衣装の写真と若いころの椅子にだらっと腰かけた雰囲気の写真であり、特に二枚目の写真では普通の人という印象を与えてしまう。で、近代国家の専制君主のイメージに合うようにするためにはどうすればいいか、いろいろ考えて突き詰めた結果、キョッソーネに堂々とした雰囲気に描かせて御真影として使用したというわけである。猪瀬直樹氏の『ミカドの肖像』を読んで明治天皇の肖像写真の変遷についてはある程度理解していたが、随分前のことだったので細かいことは忘れていたし、多木氏が写真批評の分野でも活躍していた人なので、芸術批評的な観点から明治天皇の肖像写真が分析されているのが興味深かった。

そして私はふと、徳川慶喜の肖像写真について思い出した。徳川慶喜はそういった方面にずば抜けてセンスのあった人だったため、数枚の肖像写真はどれもなかなかにいい雰囲気で撮影されている。特にナポレオン三世から贈られた皇帝服を着た写真など、文句なしに威風堂々という言葉が相応しく、彼は明治が始まる前の段階から近代人の肖像写真のあり方を正しく理解していたということを示しているように思える。

皇帝服を着た徳川慶喜

ついでに言うと徳川慶喜の40歳ごろの写真はカメラに対して正面を向いており、肖像写真の一般的なポーズだったあさって方向を向いたものではなく写真を見る側と目が合うように撮影されている。

40歳ごろのもの。カメラに視線を合わせている。

たとえば映画女優のポスターでは、第二次世界大戦ぐらいまではどちらかと言うとあさっての方向を向いて撮影されているものが多く、それらは彫像的な美しさを追求する効果を狙っていたが、戦後になってたとえばオードリー・ヘップバーンのようにカメラと視線を合わせて人間的な個性を表現する効果を狙うものへ変化したという内容のものを以前読んだことがある。徳川慶喜の場合、明治の中頃までにカメラと目を合わせるという次世代の肖像写真にまでリーチしていたと言うことができるので、なるほどこの人物は只者ではないと私の思考あらぬ方向へ漂っていったのだった。

(使用した写真は最後の一枚を除き、wikipediaに掲載されているものです。権利関係に問題が生じた場合は削除します。最後の一枚は静岡美術館のサイトhttp://shizubi.jp/exhibition/131102_03.phpに使用されているものを拝借しました。権利関係の問題が生じた場合は削除します)

大正天皇の大嘗祭と柳田国男

柳田国男の『日本の祭』という講義録では、日本各地のお祭りの形態とその起源、天皇との関係などについて議論されている。私は民俗学にはちょっと疎いところがあるので、どこぞのお祭りには〇〇のようなことがなされているというような話にはあまり興味を持つことができなかったのだが、神社のお祭りが天皇との関係に収斂されていくのは興味深いことだと思えた。

天皇家の宮中行事は仔細にわたると言われており、よほどの専門家でない限り判然としない部分があるのだが、平安朝あたりまでわりと真面目に行われていた宮中行事がだんだん手抜きになっていき、大嘗祭のような天皇即位の手続きの一部とすら言える重要行事もやったりやらなかったりだったらしい。他の書籍に拠るのだが、明治に入って改めて宮中行事が見直され、復古主義的に様々な伝統が復活したという側面があるようだ。天皇のお田植は昭和に入ってから始まったものなので、創造された伝統もいろいろあるのではないかと私は個人的に想像している。

で、柳田国男の『日本の祭』に戻るのだが、柳田国男はさすが帝国最後の枢密院顧問官に就任するほどの人なので、大正天皇の大嘗祭にかかわっていたという話が載っている。それだけなら、「ふーん」で済むのだが、大嘗祭は夜を徹して行われる重大行事で、大正天皇の時は京都でそれが行われたのだが、火災の不安があるということで本来なら蝋燭を使用すべきところを蝋燭風の電灯に替えて使用したという話だった。この講義録では、日本の祭が時とともに変化していること、原始古代のままの状態から中国の影響を受けたり、紙などの「発明品」を使用するようになったりなどの事情を判明している範囲で話してくれていて大正天皇の大嘗祭もその一環としての話題なのだが、火災が心配なので電灯を使ったというあたりに私は何かしら納得のいかないものを感じてしまった。というのも、帝国は一方で天皇家の伝統を国家の重大事とやたらと騒ぎ立てて持ち上げておきながら、火災が心配という官僚的な事なかれ主義で都合よく伝統を変更しているということに、なんだか飲み下せないものが残るのだ。

ちょっと言いすぎかもしれないのだが、一方で伝統や歴史などの事大主義的、或いは悪い言い方をすれば夜郎自大的な発想法で国体明徴論争などをやっておきながら、一方で伝統や歴史を都合良く変更していくという行動には矛盾があり、私にはそういった矛盾が「まあまあ、いいじゃない」で放置されたことと、戦争に敗けたこととの間には通底するものがあるような気がしてならないのだ。分かりやすい例で言えば、インパール作戦を根性論で強行し、なかなか失敗を認めようとず、責任を取るべき牟田口廉也中将も帰国して予備役編入で済んだということと、「火災が心配だから」と伝統行事を適当に変更することには重要な部分を曖昧にするという共通項があるように思えてしかたがないのだ。

柳田国男先生のこの講義は昭和16年夏という、日本の近現代史としてはかなり切羽詰まった時期に行われたもので、柳田先生の立場としては「民族的」な精神的支柱を「近代的」に確立しなければならないという思いで歴史の再編集の必要に迫られていたのだろうと思う。歴史は常に再編集されるものなので、再編集されること自体には良いも悪いもない。ただ、矛盾する部分があればそれは矛盾だと指摘することも大切なことだ。そういう時期的な背景があるということを踏まえて読むと緊迫感もあっていいかも知れない。

オランダ東インド会社とインドネシアの王たち

オランダが三百年にわたりインドネシアを「東インド領」として支配していたことは、わざわざ言うまでもない。インドネシアにはオランダ東インド会社、イギリス東インド会社がともに商館を所有していたが、1623年のアンボイナ事件でイギリス東インド会社の商館員たちはオランダ東インド会社の商館員たちによって皆殺しにされ、当該地域でのオランダの覇権が確立される。

徳川幕府はカトリックのスペインやポルトガルに対しては強い警戒感を持ち拒絶していたが、西欧の新教の国に対しては比較的寛大で、オランダは新教の国であったから交易も行っていた。イギリスはヘンリー8世が英国教会を創設した以降、新教の国の一つとして数えることができたが、徳川幕府がイギリスと交易しなかったのは一重にオランダによって駆逐されたからだと言える。ドイツ語圏の国やフランスはまだ東洋に進出するだけの実力はなく、結果として東アジアではオランダの一人勝ちの時代がしばらく続いた。台湾も一時植民地化されている。ついでに言うとなぜ徳川幕府が新教に対して寛大だったかと言うと、カトリックが東西両インドへの布教に熱心だったのに対し、新教は自分たちの信仰の自由さえ確保できればそれでよかったので、布教することに関心がなかったからだ。

さらについでになるが、東インドは本物のインドからインドシナインドネシアあたりまで。西インドはアメリカのこと。コロンブスがアメリカ大陸に辿り着いた時、喜望峰を通らない地球の裏側へ行くコースでインドに辿り着いたと信じたため、しばらくは東インドと西インドという名称が用いられるようになった。しばらくたって東インドから入って来る情報と西インドから入って来る情報があまりに違い過ぎて何かがおかしいということになり、アメリカがインドの西ではなく全く別の大陸だということに西洋人が気づくことになる。アメリゴ・ベスプッチという人物が西インドは新大陸だと指摘したためにアメリカと呼ばれるようになった。

今回、私が関心を持って述べたいと思っているのはオランダに支配されたインドネシアの王たちの物語である。インドネシアではオランダ支配が始まった後もオランダに忠誠を誓うスルタン王国が連立していた。インドネシアの普通の人々にとってはオランダとスルタンの両方の支配を受けていたということもできるし、オランダから見ればわりと支配しやすい間接支配というスタイルをとったということもできる。

これらの諸侯国はオランダ支配を受け入れ、子息をオランダに留学させるなどして積極的にオランダ化しようとした面もあるように見えるのだが、私の知る限り2人だけ例外がいる。探せばもっといるのだろうけれど、私が知っているのは2人だけである。

1人は1908年にオランダ軍によるジャワ侵攻の際に最後まで抵抗したクルンクン王国の王デワアグンジャンベ2世である。包囲された国王は最後の手勢とともに突撃し戦死したが、最期を見届けたで王族たちは集団自決をしたと言う。鎌倉の北条氏を連想させる壮絶な歴史の一幕とも言えるが、オランダのスルタンには敗れれば集団で自決するという考え方があったようだ。

もう1人はジョグジャカルタのスルタンであるハメンクブウォノ9世だ。第二次世界大戦が終わった後、日本軍は降伏していなくなり、再びオランダの支配が始まろうとしたが、一度オランダの敗退を見てしまったインドネシア人は以前と同じように従うということをよしとせず独立戦争を挑み、スカルノがその先頭に立った。各地の諸侯国のスルタンは依然としてオランダへの忠誠を誓い、独立戦争を妨害する立場をとったが、ハメンクブウォノ9世は独立に協力する立場をとった。おそらくはスルタンの多くがオランダの庇護の下で既得権を守ろうとしたのだと想像できるが、ハメンクブウォノ9世は世の中がどちらに動くかよく見極めができる人物だったのだろう。イギリスが当初オランダ支配の復活に協力していたが、途中であきらめて撤退しただけでなく、イギリスはマレーシアからもビルマからもインドからも引き上げて行くことになる。その姿を見て、ヨーロッパのアジア支配は終わるのだなと悟ったのではなかろうか。独立を果たしたインドネシアは共和国になったが、ジョグジャカルタのスルタンだけは現在に至るまで存続している。ハメンクブウォノ9世の戦略勝ちのような面があるように私には思え、やはり王とか君主とかという立場の人でもその立場に安穏とせず、時代の潮目を見る目を養う必要があるという際立った一例と言えるのかも知れない。今回の話題とは関係ないが、昭和天皇もマッカーサーを抱き込んだという点で潮目を見極めるのがうまい人だったとも私には思える。

善良なものについて‐私の前半生

私は善良なものが好きだ。というより、善良でないものが嫌いだという方が正確だ。ある意味では潔癖症で、それはおそらく父親がかなり本格的なならず者だったことと姉が不良好きだったこと、母が父親以外の男性と性行為をしているのを目撃したことあたりに原因があるのではないかと思う。

で、まず私がどれくらい善良でないもに対して潔癖症かというと『サザエさん』を見て嫌な気分になる程度に潔癖症なのである。サザエはカツオを叱る際に耳を引っ張るが、耳を引っ張るのは暴力だ。カツオは草野球で近所の家のガラスを良く割るが、少年法によって守られているとはいえ器物損壊である。ワカメのパンツ丸出しなのもはっきり言って作者の意図が理解できない。もしサザエさんファミリーが古き良き日本の家庭モデルだと位置づけるとすれば、日本の古き良き家庭像はかなり野蛮なものだとすら思える。サザエさんには、人間は多少不届き不埒でおっちょこちょいでも人間だものいいじゃない、というメッセージがあると思えるが、姉だから弟の耳を引っ張っていいとか、少年だから近所のガラスを割っていいというのは私には甘えに見えてしまうのである。ワカメが少女だからパンツ丸出しでもいいというのも甘えであり、広い意味での色仕掛けであり気持ちが悪い。同じ理由で本当に申し訳ないのだが『となりのトトロ』も気持ちが悪いと思ってしまう。

私の父はほとんど家にいなかったので、父の記憶は希薄だが、帰って来ると酒を飲んで暴れて母を殴り、何度も家のガラスを割り、家を燃やそうとしたこともある。父はギャンブル狂で常にやくざの借金取りに追われていた。パチンコにも入り浸りで私は父にパチンコ店まで迎えに行くよう言われたことがあり、怖くてパチンコ店に入ることができず後で革靴で蹴られたことがある。おそらくその反動のようなものがあって、私は暴力とか暴言の雰囲気のするものは一切受け付けることができなくなってしまった。『名探偵コナン』が殺人事件を娯楽にしていることすら私には受け入れにくい。言うまでもないがギャンブルはパチンコ、麻雀を含めて一切やらない。

北野武の『菊次郎の夏』はやくざ者でギャンブルが好きで口も悪いが実は少年に対して思いやりあふれる態度で接する心優しいおじさんだったという映画だが、私のような性格の人間から見ると口が悪い時点でドン引きである。マーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』ですらはっきり言うとドン引きである。若者のロンリーさと音楽のセンスの良さが評価されているということになっているが、暴言吐き放題に憧れや郷愁は感じない。そういう人は本物を見たことがないからではないかと私は想像している。任侠映画が好きな人も本物との縁がないから憧れるのではないかと私は思う。北斗の拳も気持ち悪い。ヒデブという意味不明な最期の言葉とともに人間が破裂する場面が毎回出てくる作品の何がいいのか分からない。ここまで言わなくてもいいかも知れないが、ワンピースも本音で言えばアウトだ。暴力に対して暴力で対抗し勝利するという価値観そのものを受け入れることができない。不良少年もので大人は分かってくれない的なものも理解不能である。もうちょっと言うと『エデンの東』のようにお父さんに分かってもらえないから悲しいも意味不明である。私は父に理解されたいと思ったことは一度もないし、そんなことの前に暴れないでほしいといつも思っていた。

姉は思春期のころ不良な男子が好きだった。不良というのは未成年なのにタバコを吸ったりお酒を飲んだりシンナーを吸ったりバイクを盗んだりして女の子の心をときめかせる存在だとここで簡便に定義しておく。もし更にエレキギターが弾けてスポーツ万能で何故か分からないがお金を持っていたら完璧である。私は物静かに読書をしていれば満足できる少年期を過ごしていたので、姉にとってはそれが非常に不満だったらしく私はよく読書している行為そのものを批判された。読書を禁止されたこともあった。もっと不良ぽくなれというのである。もっとチャラく、もっとコワくなれと要求されるのである。で、家にいないで外へ行けと言われるのだが、外へ行ってもやることがない。野球やサッカーをすればいいではないかと言う人もいるかも知れないが、私はバットもグローブもサッカーボールも買ってもらったことがないし、私がほしいのは本だけだったから外へ行かされても困るのである。自然、趣味は立ち読みになった。そのようなわけでまことに申し訳ないのだが尾崎豊には全く共感できない。盗んだバイクで走りだしたり、学校のガラスを割って回ったりすることになぜ共感するのだろうか。それはやはり本物を見ていないからではないかと思えてしまう。バイオリンとピアノを習いたかったが、そういったことはやらせてもらえなかった。私はそういった姉の圧力に迎合するためにタバコだけは覚えた。そして時代は大嫌煙時代となり、これはミスチョイスだった。

趣味で暴力を連想させる者は全部嫌いだ。たとえばハードロックとかヘビーメタルも嫌いだ。普通のロックでも嫌いだ。「どうだ、俺、社会に染まってないぜ」アピールがおめでたすぎる。私の場合は家庭に社会性がなかったので社会に染まれなかった。「社会に染まらない俺」アピールをする人は社会性のある生育環境に恵まれていたのだろう。私はXJapanですら理解できないし、Bzですら好きになれない。あー夏休みを歌っていたグループがあったが(名前忘れた)、それも好きではない。姉がそういうのが好きだったので私はますますドン引きすることになってしまった。あー夏休みのグループがTシャツの袖を撒いていることについても「は?」だった。更にまことに申し訳ないのだが姉はビートルズにもはまっていて中高生の時期は毎晩ビートルズをステレオで聴いていたためビートルズも御免である。少年期に夜毎ビートルズを聴かされ続けた私は二度とビートルズは聴きたくない。ごく個人的な見解で本当に申し訳ないのだが、ビートルズのビジネスモデルはおニャン子クラブのそれと同じだと私は思っている。毎晩おニャン子クラブを大音量で聴いている兄を持った経験のある人がもしいれば、その気持ち悪さを理解してもらえるのではないだろうか。チャラいものも全般的に理解できない。もうちょっと遡ればプレスリーがいるが、はっきり言ってダサいと思う。私だけだろうか。前髪はもちろん上げるのではなく下げる方が好きだ。メガネは角ばったものよりも丸いフレームの方が好きだ。強さやデキル男をアピールするものよりも静かに知性をアピールするようなものを私は愛する傾向にある。矛盾するかも知れないがサザンは大好きだった。湘南は大好きだ。ついでになるが横浜のランドマークタワーから関東平野と相模湾を見るのも大好きだ。

ただし、私は聖人のようになりたいわけではないし修道士のような生活に憧れるわけでもない。恋愛にも関心がある。ただ母が父以外の男性と性行為をしているのを目撃したからではないかと思うのだが、性生活に関して何が正しくて何が正しくないのかよく分からない部分が私の内面にはある。性について考える部分が破壊されている。

いずれにせよ、そういう少年だったので私がひそかに願っていたのは学者か物書きになることだった。但し、これも関係者の方々には実に申し訳ないと思うのだが新聞と週刊誌は嫌いだった。殺人事件の話題が大嫌いだったし、セックススキャンダルについても私は他人に関心がないので、それらの情報はノイズでしかなかった。将来学者になりたい、そのために大学院に進んで博士号を獲りたいと母と姉に話したことがあったが猛反対されやむを得ず就職することにし、せめて出版社に行きたかったが週刊誌と漫画を読む習慣がなかったことは出版社志望にとっては痛手だった。文芸をやる出版社でも週刊誌に向かない人材はダメなのである。真剣な社会科学系の書籍をコツコツと作っている出版社も存在するので、そういったところに就職できなかったことは私の能力不足であり、そういう会社に入社した人のことは心から尊敬している。結果として私は新聞記者になった。新聞社の筆記試験に通る程度には勉強したし、新聞は毎日発行されているので駅の売店で時々買って拾い読みしておけば面接対策はわりと簡単だったから入れたのだ。新聞社に入ってサツマワリをした結果、私は警察の捜査手法については多少詳しくなったし、刑法や刑事訴訟法にも多少詳しくなった。それまで推理小説は全くおもしろいと思わなかったが、その醍醐味は分かるようになったし、事件の筋読みは我ながらいい線をつけるようになったと思う。裁判の傍聴を趣味にする人の気持ちも理解できるようになった。しかし他人の不幸でアドレナリンが出るという職業の性質は好きになれなかった。やはり学者になりたかった。

年齢的にも心理的にも大人になって、私は学者の道にハンドルを切ることにし新聞記者の道はやめることにした。従って私の学者人生は周回遅れか二周遅れくらいである。早いうちに博士号をとった人から見れば終わっている存在に見えることだろう。だが大学院に進み、非常勤講師という立場ではあるが大学に使ってもらえるようになり、紆余曲折もあったがようやく博士論文にも取り掛かることができている。目の前の一応の目標は博士号の取得で、その後のことはそれからまた考えようと思っている。

所得という点で見れば新聞記者と大学の非常勤講師では比較にならない。それでも仕事で本を読み、映画がみれる生活は幸福だ。本を読むことを批判されないことの安心感に共感してくれる人がいるかどうか分からないが、本を読むことが仕事になるのである。私は今の境遇のありがたみを噛みしめている。再出発組であるにもかかわらず、それでギリギリ生活できているのだから、この業界の中では実は私はかなり運がいいと思う。ちょっと話題がずれるが三田文学という雑誌が好きだ。ストイックに洗練されたディレッタントを追求するスタイルは私がそもそも憧れていたものだった。装丁がきれいで紙質も手になじむ。季刊なので追われるように読まなければならないというわけでもないからじっくり読める。三田文学という雑誌は本にしか興味を示さなかった私にとってのフロンティアになった。文芸誌をあれもこれもと読むだけの時間はないので、我ながら三田文学の定期購読はいいチョイスだと思っている。

就職活動と新聞社の仕事で長く本を読まなかったことが今は大きな後悔になっている。だがその後悔も時間を経るに従い小さくなってきている。今は毎日本が読めるからだ(業界を知らない人のために、一応、但し書きをつけるが、新聞記者に本を読む時間はない。新聞記者は人に会って情報を取ることを要求される職業なので、24時間ネタ元に食いつくことだけを考えなくてはいけない。本を読んでいると「さぼっている」と批判される)。

恐る恐る始めたブログだが最近は少しはアクセスも増えてきたので継続は力なりという言葉の意味を実感している。で、このブログの目的は私の個人的なことを語ることではないのだが、一度ばーっとはきだしたいという心境になったので、今回書いてみることにした。独自ドメインで有料サーバーを使っているので、わがままなことを書いたことはゆるしてほしい。感情をそのまま書いているので多分しっちゃかめっちゃかな内容になっていると思う。申し訳ない。

桜井晴也『くだけちるかも知れないと思った音』の美しさ

桜井晴也氏の『くだけちるかも知れない音』を三田文学で読んだ。とても美しい言葉の羅列に私は感動し、感嘆し、作者を称賛したいという願望が生まれ、今これを書いている。

この作品のいいところは美しいだけの作品でしかないところにあると私には思える。内容はないと言ってもいいかも知れないほど抽象的で曖昧で一文が故意にやたらと長く書かれている。もちろんそれでオーケーで、私はこういう作品に以前から出会いたいと思っていたし、過去にたまたま出会った時はむさぼるようにして繰り返し読んだ。多分、私は美しいだけの小説が好きで、落ちとか展開とか事件とかに興味がないのだ。

この作品が美しいと思えるのも単に作者のイリュージョンに釣られただけなのかも知れない。戦争、死体、処刑台、墓地、監獄などの不吉な文言と星、月、動物、農場、銀の婚約指輪、蝋燭などの詩的な美しい言葉が交互に羅列されているため、美しい言葉がやたらと美しく感じられ、不吉な文言も必要以上に不吉に感じられただけなのかも知れない。深く心を傷つけるという趣旨の言葉が何度か出てくるが、誰がいつどこで何故、どのように傷つけるかなどについては描かれない。しかし、だからこの作品は素敵なのだ。深く心を傷つけるという言葉そのものが読み手の心に突き刺さり、果たして私は過去にどれくらいの人の心を傷つけただろうか、そして私はどれほど傷つけられただろうかと反芻せざるを得なくなり、その先は個々の読み手に委ねられる。

小説の主人公の「わたし」は理由が分からないまま監獄に拘束され、農場で働かされ、看守に監視され、物語の終盤で刑の執行を宣告される。意味不明に刑の執行を言い渡されるというあたりはカフカの『城』に似ているが、『城』の主人公が周囲と激しい軋轢を起こし、最後に死を受け入れて行くのに対し、「わたし」は一切の軋轢を起こさない。しずしずと言われるがままに運命に従っていく。しかも農場主は親切で、看守は愛情深い紳士であるため読者は誰かを呪ったり憎んだりすることができない。読み手には登場する全ての人を愛する以外の手段が残されておらず、いい意味で作品に降伏するしかない。私は降伏した。なぜ「わたし」は起訴もされず裁判も受けていないにもかかわらず心優しい看守から翌日の執行を言い渡されなければならないのか、刑の執行を待つ者が強制労働させられることは妥当なのかという法理法論を考えることはあらゆる観点から意味がない。或いは誰かの心を深く傷つけたという罪が刑の執行の理由になるかも知れず、もしそうだとすればこの世を生きる我々は全て明白な罪びとだとも言えるのかも知れない。

戦争の描写は銃の撃ちあいについて描かれ、広大な農場は東ヨーロッパの平原を連想させる。私はまず第一次世界大戦をイメージしたが、途中から戦闘機が登場し、私は第二次世界大戦に頭を切り替えた。そして最後は継続的なミサイルの発射が描かれ、私はギリギリ第二次世界大戦のイメージに踏みとどまったが、作者はその辺りのイメージはそれぞれの読者の好きにしてくれと考えたのだと思う。

村上春樹氏の作風に似ていると言えば似ているかも知れない。ハルキ作品も美しい言葉の長い長い羅列でしかないと言えるし、ハルキストはそれが好きで読んでいるのだ。池澤夏樹氏の作品の雰囲気にも似ているかも知れない。私は今、頭に思い浮かぶ作家を深く考えずに述べているだけなので、多分、本当に似ているのだろう。

私はこの作品を一読して愛してしまったので、この後何度も再読するだろうし、多分自宅で朗読もするだろう。教材に使うかも知れないが、それはまだ決めていない。

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トランプ大統領の交渉手法はこれだ

ドナルドトランプが大統領に選ばれて一年半、一方で「何をするかわからない」と不気味がられる反面、「めちゃくちゃな公約を公約通りに進めている」とやはり不気味がられている。要するに不気味がられているのだが、彼の全てを知ることはできないものの、彼のアジア関連の外交を見る限り、一定の手法があることが分かる。

中国の習近平国家主席が訪米した際、チョコレートケーキかなんかを食べている時にシリアにトマホークを撃ち込んだという知らせが入ると言う、人の食欲を敢えて萎えさせるような手法で脅しをかけたが、この時の米中間で話し合われた主たる話題は貿易と北朝鮮の核問題だった。トランプは貿易不均衡の是正を要求したわけだが北朝鮮が交渉材料になり、北朝鮮の核放棄を中国主導でできるなら貿易不均衡については目をつぶるというわりと分かりやすい取引が行われた。

で、しばらくそれで様子見に入ったわけで、その間に北朝鮮の金正恩委員長が訪中し、或いは中国主導で北朝鮮の核廃棄もあり得るかという観測も生まれたが、結局のところ北朝鮮サイドが自分たちのバックには中国様がいるということを世界に知らしめるだけの効果があっただけで、中国主導による北朝鮮の核放棄は実現されなかった。その結果を受けてトランプは北朝鮮と直接協議することにしたし、躊躇なく中国製品に大規模な関税をかけることを決心したのである。要するに一旦、チャンスを与えて相手のお手並みを拝見し、話しが違うということになればアメリカファーストの原則で押していくのだ。

この手法は北朝鮮に対しても行われていると私には思える。シンガポールで史上初の米朝首脳会談が行われたが、一方で具体的な中身が何もないという批判があった反面、事実上アメリカの勝利、または事実上北朝鮮の勝利など様々な評価があちこちで行われた。だが、上に述べたようにトランプは一旦相手にチャンスを与えて約束が実行されるかどうかをお手並みを拝見するという手法になるので、現状は北朝鮮が約束を守るかどうかの見極め期間と言うことができる(2018年7月12日)。見極め期間が終わりトランプが相手が約束を守らないと判断した場合、これまでに公言した通りの強硬な手段がとられる可能性は充分にあるわけだが、北朝鮮が核を放棄することは私はあり得ないと思っているので、一切は私の想像だが北朝鮮サイドは如何にしてあたかも約束を守ろうとしているかと信じさせる期間を引き延ばそうと努力するだろう。従っていつまで見極めるかのせめぎ合いということになる。

とはいえ、仮に強硬手段を選ぶ場合、周辺関係諸国との合意や協力は必要になる。日本は敗戦国でアメリカ様の言いなりになるのが宿命ではあるが、安倍晋三首相は押せ押せでトランプ大統領に迫っているはずだが、もう一つの主要なアクターである韓国の文在寅大統領は下げ下げで行くはずである。韓国から在韓米軍を撤退させて台湾にある程度の規模の海兵隊を置くというプランがあるとまことしやかに語られることもあり、にわかに信じることはできないが、絵空事とも思えない。韓国、台湾に関することもトランプ大統領は取引条件を示し、取引が成立するかどうかを見極め、決断するというやり方を繰り返すだろう。ヨーロッパは完全にトランプのアメリカに愛想をつかしているので、欧米連合で国際社会が動くということは当面は考えにくい。日米同盟が世界の一方の軸になり、巨大な中国が一帯一路で場合によってはヨーロッパで仲良くするというカウンターパートという新しい世界の構図が見えてこなくもない。しばらくすればインドも主要なアクターとして浮上してくる。

要するにはっきりしていることは日本がアメリカ様とどこまでも行く以外の選択肢を持っていないということだけで、あとはそれ以外がアメリカにつくか中国につくか現状では何とも言えない。ヨーロッパ、韓国、インド、台湾が果たしてどっちにつくかを見守りたいところではある。繰り返しになるがヨーロッパはトランプを見放しているので中国よりに傾く可能性はある程度あると言える。台湾は政権交代が起きれば大きく政策が変わるので、時期総統選挙の結果を見ないことには何とも言えない。韓国はなんとなく中国につきそうな気がするが、意外と親米勢力も健在なので見通せない。インドは日米同盟につくのではないだろうか。

全て私の想像です。いいですか。私の想像ですからね。念押ししますが、想像ですよ。

目取真俊『神うなぎ』の沖縄戦に関する相克するロジック

目取真俊氏の『神うなぎ』という小説が三田文学に掲載されているのを読んだ。沖縄戦を主題にし、戦火の中、沖縄住民の生活を守ろうとした人物と日本軍との相克が描かれている。沖縄出身の主人公の父親は沖縄戦の最中、アメリカ軍の投降の呼びかけに対して、仲間の住民たちを説得して集団で投降する。主人公の父親はハワイに働きに行っていたことがあるため、アメリカの国柄をそれなりに知っており、本土から沖縄へやってきた日本軍将校からは「アメリカ軍に捕まると男は殺され女は犯される」と教えられてはいたものの、アメリカ軍はそのようなことはしないと判断し、投降することに決めたのである。

アメリカ軍に投降した後、住民は一時的にこれからどうなるのだろうと不安を感じるが、意外なことに「家に帰れ」と言われるので、あっけにとられた風に人々は帰宅し以前と同じ生活を営もうとする。しかし、昼間はアメリカ軍がいるので普通に暮らせるのだが、夜になると日本軍がやってくる。戦局的に不利な日本軍将兵は森の中に隠れており、夜になると食料を求めて住民の家屋へやってくるのだ。沖縄県民を守るために派遣されてきたはずの日本軍が、逆に沖縄県民に食料を事実上略奪するという矛盾とアイロニーが描かれている。

主人公の父親は住民の生活を守るためにアメリカ軍に協力し、アメリカ軍に対する住民側の窓口のような役割を果たすのだが、日本軍将校の目からは利敵行為に映り、ある時、日本軍に捉えられて殺害されてしまう。主人公はその後成長し、季節労働者として東京に働きに行くのだが、たまたま行った居酒屋で父を殺害したと思しき元日本軍将校を見かける。剣術の腕前があり、剣道を教えているというその老人は元日本軍将校らしく精悍な雰囲気を持ち、客や店の人とのやりとりの様子から信頼されていることも窺い知ることができる。主人公は父の死についてその老人に問い質したいと考え、「今さら…」とも思うのだが、やはり抑えきれずある夜、老人の帰宅の時を狙い、声をかける。驚いたことに老人は自分が殺害した主人公の父親のことを明確に記憶しており「君のお父さんは敵のスパイだったんだよ」と言い切る。スパイを野放しにすることは部下の生死にかかわる、従ってスパイを殺したことは適切な判断であったと的確なロジックで主人公を圧倒する。

もちろん主人公にもロジックはある。まず第一に自分の父親が殺害されているのである。問い質す権利があるのは当然だ。それに日本軍が沖縄県民を守ることができなかったから、住民はアメリカ軍に投降したのである。スパイの処断など、戦争に敗けた軍人の言い訳に過ぎない。沖縄県民は多いに苦しんだし、その主たる理由は日本軍が無力であった上に沖縄県民を道連れにしようとしたからだ。私は沖縄の人からいろいろと話を聞くことに努力をした時期があったが、沖縄県の人の心情は沖縄戦に対して深い複雑な感情を持っていることはよく分かった。また、この作品で示されるロジックも明快だ。日本軍が住民を守れないのであれば、住民は自らを守るためにアメリカ軍に投降する以外の選択肢はあり得ない。軍が国民を守るためにあるとすれば、その職責を全うできない軍人はそれを恥じなければならない。

私が感じたのは主人公の父親を殺害した元日本軍将校のロジックと、日本軍将校に父が殺害された主人公のロジックがどちらも完璧だということにこの問題の複雑さが潜んでいるということであり、目取真俊氏はそこを読者に問いかけたのではないかということだった。主人公の父がアメリカ軍に協力する姿は日本軍から見ればまごうことなき利敵行為であり、それは戦時下であれば死に値するとして矛盾はない。将校が部下に対して責任を負うことは正しいことで、部下の命を守るために利敵行為を行うスパイを殺すことは、ロジックとして一貫している。一方で、住民を守るためにアメリカ軍に協力することは、これもまた全く正しい行為だと言える。日本軍が守れないのなら、そうするしかないではないか。住民の命と生活を守るためにはそうするしかないではないか。一貫していて矛盾がない。

太平洋戦争についての議論を考えるとき、我々が袋小路に入り込んでしまうのは、それぞれがそれぞれの立場で一貫して完成したロジックを持っているからではないかと私には思えるときがある。しかも戦後70年以上を経て、それぞれのロジックには磨きがかけられ隙のないものに進化している。互いに相手の立論を崩そうとあの手この手を繰り出すが、双方の立論があまりに立派にできあがってしまっているために互いに崩し切れず、議論は平行線を辿るのだ。

立論がいかに立派なものであろうと、戦争は人が死ぬ。悲劇がある。戦禍で犠牲になった人にとってロジックは関係ない。どれほど素晴らしい立論を示されても、現実に苦しんだ人にとってそれは関係がない。戦争は言うまでもないがしない方がいいに決まっている。

さて、太平洋戦争を直接経験した人は少ない。ましてや戦争中に将校なり政治家なり当事者の立場だった人はほとんど生きていない。この『神うなぎ』という小説でも、戦争が終わってから40年後ぐらいに老人と主人公が対決するような設定になっている。もう少し前までは戦争は現代人の物語だったが、今はもうそういうわけにもいかないくらい戦争は遠い記憶になろうとしている。ただ、目取真俊氏がそれでも今、この時代に『神うなぎ』を書いたのには、沖縄にとって戦争は風化させるわけにはいかない現代人の問題だということを問いかけたかったのではないだろうか。

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