ゴッホとテオと日本

後期印象派の画家で、現代でも多くの愛好家から支持されているゴッホは、生前はほとんど作品が売れなかったこともよく知られています。彼は画家としての成功を目指しつつ、画家として活動を始めたばかりのころは思うように絵が描けずに悶々としていたようです。彼は必ずしも楽しい人生を送ったとは言えませんが、少なくとも一人、彼を愛し支え続けた人がいました。弟のテオです。テオは彼自身が画商としての仕事をしつつ、画家としての大成を目指すゴッホを金銭的にも支援し、且つ、精神的にも信頼と愛情に溢れた手紙を互いに交換し合い、支えていたことは大変によく知られています。

ゴッホの作品はいくつかの時期に区分されるようですが、日本人にとって特に有名なのは、ゴッホが自ら命を絶ってしまう直前の時期に浮世絵に触発され、多くの作品を描いたことでしょう。

フランスで浮世絵に対する関心が集まり、LE JAPONという書籍が19世紀の末頃に発行されるのですが、彼はその書籍で紹介されている浮世絵に大きな魅力を感じたようです。ゴッホは何度も作品を模倣し、漢字まできちんと模倣して浮世絵の神髄のようなものをくみ取ろうとしたのかもしれません。「日本に行きたい」「日本に似ている南フランスで暮らしたい」とテオに伝えたこともあったようです。オランダ出身のゴッホですが、テオがパリで仕事をしていた時にパリで兄弟で同居していた時期もあります。ゴッホとテオの美しい兄弟愛が強調されがちなため、この時期、2人の関係がぎくしゃくしたことはあまり伝えられていませんが、おそらくはゴッホは近くいる人には疲れる人で遠くにありて思うのがちょうどいいような存在なのかも知れません。我々もゴッホ個人に接することはなく絵画だけを知っているので、その作品を称賛することができますが、実際に会うとそうはいかなかったかもとも思います。ゴッホのことを悪く言いたいのではないです。彼が人間関係を築くことが不得手だったことを気の毒に思えてなりません。

ゴッホとテオはゴーギャンと交流するようになり、やがてゴッホは南フランスでゴーギャンと一緒に創作生活を送るようになります。ですがやがてゴーギャンとも不仲になり、彼は耳を切るという想像を絶する自傷行為を行うようになってしまいます。亡くなってしまう直前のことですが、この時期に彼の才能は大いに開花し、後世に残る作品を尽きせぬ泉の如くに大量に生み出すようになります。『アルルの跳ね橋』『アルルの寝室』『夜のカフェテラス』『ひまわり』などの名作がこの時期に制作されました。

夜のカフェテラス。明るい黄色が日本の浮世絵から想を得たものと言われている(パブリックドメイン)。

人の心に触れる作品を作るということは並大抵のことではありません。創作とか創造とか、そういったことについて考えれば考えるほど、その難しさを思い知らされるような気がしますから、私にはゴッホが才能を大きく開花させた後、その評価を知る前に、先に精神的な限界に達してしまい、命を落としてしまったように思えてなりません。何かがビッグバンのようにバーッと大きく花開いて、突然クラッシュしてしまうようなイメージでしょうか。

宮崎駿さんの『風立ちぬ』で、伯爵様が「創造的な人生は10年だ」と話す場面がありますが、人には創造できる時期、それが頂点に達する時期と衰退していく時期、余力のみで生きる時期があるのではないかという気もします。普通はだんだん枯れてきて、その枯れ具合がまたちょっといい味になってマニアな客層が残るようにも思えるのですが、ゴッホの場合はあまりに急速に才能が開花し、短期間で仕事をし尽くした結果の死ではなかったかと思えます。溢れる才能があって若くして突然、神様の思し召しのようになくなる人が時々いますが、それは開花が急速すぎてクラッシュしてしまうからではないかと私はよく考えます。悪い意味ではなく、そのような人たちに対して気の毒に思う同情の心境と開花した力に対する敬意の両方が同時に私の中にせり上げてくるのです。

人生は様々ですが、ゴッホのような人生を送るのはさぞかし辛いことと思います。ゴッホが亡くなると、テオも後を追うように病死してしまいます。まるでゴッホを支援するという大仕事を終えたから、神様からもういいよと言われたかのようなタイミングです。ゴッホにとってのせめてもの幸運だったことは、テオの奥さんが兄弟の往復書簡を読み、感動を覚え、それを世間に発表し、彼の絵をプロモートし現代に至るまで子孫たちが作品を守り抜いていることだと言えるでしょう。多くの才能が誰にも気づかれることなく失われていくことを思えば、せめて現代に至るまで衰えぬ称賛を得ているということは芸術家にとっては誉れなのかも知れません。とはいえ生きているうちにいい思いもしたいものですが…。

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谷崎潤一郎『陰影礼賛』と自己嫌悪

谷崎潤一郎の著作である『陰影礼賛』は、西洋化に対する憎悪と日本文化に対する潜在的な自己嫌悪に満ちた文章ではなかろうかと私には思える。

冒頭、谷崎は和風の憚り(お手洗い、トイレ、御不浄のこと)を例に挙げ、その明媚なところを礼賛する。西洋的な真っ白な御不浄には和風のそれの持つ味わいにどうしても欠けるというわけである。

それに引き続いて谷崎は日本の伝統芸能、食器、建築などに陰影がどれほどの演出効果を果たしているかを力説しているが、読者としてはなぜ最初にお手洗いの話を読まされなければなかったのかがどうしても頭から離れなくなってしまう。いかなる文章であれ、大抵の場合、文章の冒頭がその文の命であるとすれば、谷崎には谷崎なりに御不浄から話を始めなければならない理由があったに違いない。

果たして、何故に谷崎は御不浄から話を始めたか。一つの見方として、谷崎は御不浄から能、伝統芸能、食器に至るまで遍くその美意識が通底しているということを言いたかったのかも知れないと言うこともできる。だが果たしてそれだけだろうか?

たとえば『春琴抄』では春琴は目が見えないという不完全さを持っているが、不完全であるが故に他人にはまねのできないコケティッシュさを持ち合わせ、あやしげに人を魅了する人物として描かれている。春琴抄を読んで彼女の容貌を想像し、そのコケティッシュさがおそらくは自分の想像を超えるであろうと思われてため息をついた人は多いはずだ。だが春琴は最後、何者かによって就寝中に熱湯を顔にかけられ、その妖しい美しさを失う。

『細雪』の雪子と春琴はある面でよく似ている。雪子は美しいが行き遅れの「年増」であり、最後はわざわざ書く必要があるとは思えないのに、雪子が何度となく腹をこわす場面で終わっている。これは『痴人の愛』にも共通する女性像だ。『痴人の愛』に登場するナオミはコケティッシュな可愛い美少女だが、前半から着ている服の襟首に垢がたまるなどの描写があり、彼女が決して神などではなく人であるということが暴露されている。しかも成長するに従い世間を知るに従って、慶応義塾の学生と浮気をし、更には外国人の恋人を渡り歩く。この段階で当初の偶像は完全に破壊されているが、主人公の譲治はそれを承知で彼女を養い続けるのである。痴人とはアホを意味するから、まさしくアホな譲治が浮気女のナオミから離れることができずにいるという物語になっている。

さて、陰影礼賛に戻りたいが、『春琴抄』『細雪』『痴人の愛』で見てきたように、谷崎には美しい偶像を破壊したいという衝動があることには議論の余地はないと思える。しかし『陰影礼賛』ではまず美しく書いて後で堕落させるといういつものパターンではなく、最初から御不浄を書き、それを賞賛するというやり方を用いている。平たい言葉を用いるならば、その絶望感はより深刻なものだと言わなくてはならない。日本文化を後から堕すのではなく、最初から堕すのだから実は他の作品に登場する彼が愛してやまない女性たちよりも更に救い難い惨状に日本文化は立ち至ってしまったとする嘆きを彼が書いているように思えてならないのだ。

日本文化は彼と直結していたに価値観に相違ないから、彼は自己嫌悪の表現として、日本文化を御不浄の描写から始めたのである。日本文化が堕落してしまったのは西洋文明の恩恵を不覚にも受けてしまったからであると谷崎考えていたに違いない。その西洋への憎悪の表現として最後のくだりでは西洋文明が生活に入り込んだことを象徴する室内装飾を敢えて全部剥ぎ取りたいという衝動に駆られる心境を、著者は告白しているのだから。

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夏目漱石の『文芸の哲学的基礎』‐分かりやすい明治小説解説

夏目漱石が東京美術学校で行った『文芸の哲学的基礎』という講演は、明治小説とはどういうものかを理解する上でわかりやすいのではないかと最近は考えています。一般に日本近代文学に思想的支柱を与えたのは坪内逍遥で、それを最初に実践したのは二葉亭四迷だと言われます。そのこと事態は間違いではないというか、特に否定するべき要因はありません。ただ、坪内逍遥の『小説神髄』を呼んだ際の印象としては、この人は本当に小説とか文学とかそういったことを理解しているのだろうか…という素朴な疑問でした。人間の真実を描くとしてその範をシェイクスピアに求めていますが、やっぱり坪内逍遥が東京帝国大学でシェイクスピアの講座で単位を落としたことがトラウマになってやっきになって取り組んでみたものの、わかったようなわかっていないような…という印象を拭うことができません。また、二葉亭四迷の『浮雲』は、言文一致を目指し、更に「恋」を描こうとしましたが途中で挫折していますし、言文一致の範を江戸落語の口調に求めたためか冗長で中身がなく、退屈でとても読んでいられません。なるほど落語とは聴くものであって読むものではないという違った意味で感心してしまうような次第になってしまいます。

やはり、小説ってなんすか?と尋ねるならば、永遠の巨人とも呼ぶべき夏目漱石においでいただくのが相応しいのかも知れません。もちろん、現代小説と夏目漱石が直接リンクするとも考えにくく、漱石は今後も読まれ続けるでしょうけれどそれは源氏物語のように教養の一環として読まれ続けるであろうということであって、村上春樹さんと夏目漱石がリンクしてるとか、大江健三郎さんと夏目漱石がリンクしてるとかそんな風には思いません。

そうは言っても、明治小説という日本文学の一ジャンルに対して「あっしには関係のねえことでござんす」と言い切るだけの勇気がありませんから、漱石先生のこともちびっとは勉強しようと思うわけです。そして漱石先生が何を考えて小説を書いていたのか、つきつめれば明治人が小説とは如何なるものかについてどう捉えていたのか、もっと言うと、明治小説とは何かを理解する上で、漱石先生の『文芸の哲学的基礎』は大変に適したテキストなのではないかと思えてなりません。

漱石先生は言います。人間は実在しないと。私も、このブログを読んでくれている人も実在しないというのが漱石先生の立場です。しかし「こころ」はある。この心なるものが幻影なのか実在するのかは議論の分かれるところでしょうけれど、漱石先生が人間は実在しないが心はあると言ったのは、ヨーロッパの観念論哲学を前提とし、更に仏教的「無」の双方から考察した帰結としての人間観、世界観ではないかと思えます。ヨーロッパ哲学では人も物も実在しないが神を感知するために心を神は与え給うたということになるわけですが、仏教では心も夢みたいなものですから、全てをつきつめれば完全な無に到達するわけで、小乗仏教がその真理に近づくことで安心立命を得ようとするのに対し大乗仏教はせいぜいいい夢みましょうぜ、旦那となるわけです。いずれにせよ、漱石先生はヨーロッパの哲学のこともよく知っているし、東洋の哲学のこともよく知っているという稀有な大先生ですがら、そういうのを全て勘案して、当該の講演では心はあると言うことになったのだと思います。心も存在しないと言うことも不可能ではないですが、小説は心を書く手段なわけですから、心もないと言ってしまうと「文芸の哲学的基礎」も何もあったものではない、小説を書く意味もなくなってしまうという点で不都合なので、職業的な信念として先生は心は存在することを前提に講演を進めます。

で、いろいろ短縮して、小説は何を表現する手段なのかということに漱石先生は言及します。ある人は「人間の真実」が書かれていれば小説として成立すると考えるかも知れない。だけれど、ある人は「美」がなければ読むかいがないと思うかも知れない。またある人はヒロイズムが描かれることでカタルシスを得るという娯楽としての役割を小説に期待するかも知れないという風に小説に含まれる要素を先生は分類的に示し、何を書き、何を書かないかの取捨選択が迫られるという趣旨のことをお話しになっていらっしゃいます。

さてさて、これは意外と難しい問題です。人間の真実ってなんなんですか?から始まって美しいの定義ってあるんですか?ヒロイズムと自己満足はどこが違うんですか?と疑問が満載になってしまいます。人間の真実を描こうとするならば、田山花袋先生のような「若い女の子大好き」的自然主義で事足りるかも知れません。しかし、そこは漱石先生です。いろいろ必要だというわけです。人間の真実を描きつつ、美しいもの、例えば恋心を挿入しつつ可能ならヒロイズムを、自己満足的に陥らない程度に上手にヒロイズムをといろいろご注文があるわけで、少なくとも漱石先生はそういった自分の自分自身に対する小説とはかくあるべしという要求に応えようと非常に努力していらっしゃったことが分かるわけです。例えば『二百十日』のようにほぼ世間話に明け暮れながらも金持ちは華族様たちへの嫉妬を描きつつ、最後はちゃんと嵐に遭うというクライマックスも設けられているわけです。『こころ』の場合も、親友を地獄のどん底に突き落として自分だけ幸せになった罪悪感から死を選ぶという流れも、恋の美しさと欲望の醜さ、罪の意識に苛まれ死を選ぶという醜さとある種のけじめ、それを知った語り手が列車に飛び乗るというクライマックス。「先生」「高等遊民」という堕ちたヒーローなどなど。人間の本質は醜い!などと言って憂鬱にひたっているようではまだまだですし、革命的ヒロイズムにひたっているだけではお話にはならないというわけですね。このご講演の記録(現代に残っているのは先生によってある程度加筆修正されたもの)は、漱石先生がどういう考えで小説を書いていたのか、そして明治小説とは何かということの理解に大きな助けになると私は思う次第です。簡単に結論すると、私小説的自然主義はつまらないけど、人間の本質から離れたヒロイズムも意味はなく、私小説的要素を含みつつ読者を満足させるカタルシスへと至る様々なものが統合されていい小説になるという、そういうところに行きつきます。この講演の記録を読めば、漱石先生の小説もよりよく理解できるでしょうし、明治小説もより深く理解できるはずで最終的には現代の文芸に対する理解も深める手がかりにできるかも知れません。

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佐久間象山の海防策

佐久間象山は幕末の蘭学者として子弟に吉田松陰や勝海舟のような超大物がいたことや、アメリカとの交渉事と担当したことなどでつとによく知られています。更に最期は京都で暗殺されるという運命を辿っていますから、尚のことドラマチックで、しかも残っている写真もやたらと迫力がありますから、そういった意味でも印象深い人物です。

松代藩士でもともとは儒学を勉強していた学者ですが、幕府が藩主を海防掛に任命したことで顧問官のような立場になり、急ぎ蘭学に取り組み魏源の『海国図志』を取り寄せたり、オランダ風説書に目を通すなどをして海防のための基本政策のようなものをまとめます。海防策、海防論、海防八策などと呼ばれます。

彼の海防論は目を見張るほど正鵠を射たもので、イギリスが現在、中国を好き放題に切り取っており、中国のことがだいたい終われば次は日本を狙ってくるであろうこと、日本の武士は白兵戦には強いが海戦にはそもそもノウハウが全くないため非常に心もとないこと、仮にイギリスの江戸上陸を阻止することができたとしても、先方は江戸が大都会で食料物資の集まる大消費地であることを知っており、太平洋のどこぞの島を占拠して軍艦を数隻でも浮かべておけば、日本列島の周囲を巡る廻船を襲撃して江戸に大きなダメージを与えることが可能であることなど、シーレーンまで見通して現状の厳しさを藩主に訴えています。その上で、日本では西洋軍艦の建造が長らく禁止されていたが、将軍家慶の英断でそれが可能になったことを高く評価し、まずはオランダ船を20隻ほど購入して操練し、ノウハウを得、ゆくゆくは自前の西洋軍艦が持てるようになるべきと具申しています。西洋からマスケット銃が入って来た時、日本人は見よう見まねでそれを試作し、ゆくゆくは本格的な銃の大量生産国になったという過去の歴史をよく踏まえた上で、まずは西洋軍艦に触ってみようというわけです。また、西洋軍艦は金属でできているわけですが、長崎でいろいろ輸入するために国内の銅貨がどんどん流出しているのを制御し、その銅を用いて軍艦の資材に充てるという提言もしています。鉄の船と銅の船が戦えば、勝敗は明らかでまず間違いなく鉄の船が勝つはずですが、木の船よりは頑丈なことは間違いないでしょうから、とりもあえずも金属の確保ということを考えていたようです。慧眼と言えます。

その後日本では尊皇攘夷思想が強くなり「西洋かぶれ」と見做された象山は上にも述べたように暗殺されてしまいます。ですが、象山はそもそも儒教を学んだ人であるため、人間観や世界観は儒教を基礎にしており、道徳は東洋が優れており、芸術(ここでは技術のこと)は西洋が優れているという発想法が彼の出発点であり同時に生涯を貫いた結論であったようにも思えます。人間性から生活習慣まで西洋風にすべしと考えた福沢諭吉とはこの点で大きく異なりますし、或いは世代の違いというものもあるのかも知れません。
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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』‐死者の旅路

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のいわばハイライトになる場面は、沈んだ船からやってきた家庭教師と、彼が保護する二人のまだ幼い姉と弟と、ジョバンニとカムパネルラが邂逅する場面にあるのではないかと個人的には思っています。

家庭教師と姉弟が幻の銀河鉄道に登場することにより、読者は銀河鉄道は死者の乗る列車だということを理解するからです。そしてさらに、神様の御国へと行ける駅でこの3人は降りることも、この列車が天国へ行く列車だということが分かります。また、カムパネルラが最後にジョバンニに向かってさよならと言い、列車から落ちるようにして姿を消しますが、後でカムパネルラが川に落ちて見つからなくなってしまったことをジョバンニは知ります。他にもいろいろな場面がありますが、あまり長くならないように、ジョバンニ、カムパネルラ、そして沈んだ船に乗っていた3人に絞って、少し考えてみたいと思います。

まず第一に、家庭教師と姉と弟の3人は神の御国へ行くために、途中で下車します。銀河鉄道が死者の乗る鉄道だとすればなぜカムパネルラがそこで下車しないのか、また、神の御国が終点でなければその先どこへ列車がどこへ行こうというのかということが気になります。単純に考えれば、カムパネルラは確かに死んでいるのだけれど、神の御国に召されない、深い業を背負っているということになります。彼にはどこへも到着する場所がなく、列車の走る途中で飛び降りてしまうほか選択肢がなかったのだと言えます。「神の御国」という表現にはキリスト教的な発想法を感じられますが、ちょっと仏教的に言うと、先に降りた3人は成仏し、カムパネルラは成仏できず、無間地獄のようなところへ落ちてしまったことを意味しているのではないかという気がします。先に降りた3人は、ある意味では生きようとし、またある意味では他人を押しのけてまでは生きようとせず、更にある意味ではやむを得ざる運命を静かに受け入れたと言うことができます。一方でカムパネルラは他人を手伝って川に落ちたということになっていますが、多分に自ら命を絶った可能性を示唆しているのではないかという気がしてなりません。それゆえに死者の世界に入ったとしても先に降りた3人のような安寧や安楽、平和を手に入れることができず、闇の彼方へと去って行かざるを得なかったのかも知れません。

そして次に考えなくてはいけないのは、なぜジョバンニは死んでいないのかという疑問が湧いてきます。ジョバンニは学校でカムパネルラ以外に友達と呼べる相手はいなく、カムパネルラも次第にジョバンニを相手にしなくっていったという物語の前提があります。更に母親が病気で、父親は高い可能性で監獄に入っており、姉は本当に存在するのかどうかも怪しい感じで、学校の後は低賃金労働をして辛うじてパンや牛乳、角砂糖を手に入れる生活を送っています。ある人はそれをして、大正・昭和初期にかけての貧富の格差、労働者階級の辛さ、人間疎外という現象として説明しようとするかも知れません。私もある程度、それには賛成します。ですから、毎日がおもしろくないジョバンニは心の深いところでやけっぱちになっており、星祭りの夜、彼はもしかすると彼も自殺を考えていたかも知れず、それだけ死に近い存在になっていて、死者の旅路に使われる鉄道にちょっとした手違いでまだ乗り込んでしまったと見ることは可能です。また、ジョバンニが銀河鉄道の幻を見ているまさにその時、カムパネルラは川に落ちて死につつあったということを考えれば、ジョバンニはカムパネルラに呼ばれたと見ることも可能なように思えます。

さて、しかしです、銀河鉄道に乗って幸福感を得ていたのはジョバンニでしょうか。それともカムパネルラでしょうか。明らかにジョバンニがより強い幸福感を得ていたように私には感じられます。自分が死んだということを理解していたカムパネルラが多少なりとも憂鬱そうにしていたのは、ジョバンニが真相を知らなかったからだとも言えますが、一方でジョバンニにとっては自分を棄てたと思える友達のカムパネルラが一緒に旅をしてくれるということに深い感動、大きな癒し、そしてこれからもどこまでもずっと一緒に旅をしたいという切ない願いが心の中に宿っていることを読者は感じ取ることができます。とすれば、カムパネルラが一方的に呼んだのではなく、ジョバンニもカムパネルラを深層心理では声をからすほどに、いつも、絶叫せんばかりに呼んでいて、それが呼応関係になったということかも知れません。

しかしながら、ジョバンニは銀河鉄道から生還します。カムパネルラはジョバンニを改めてジョバンニを棄てた、一度拾うふりをしてもう二度棄てたと読むこともできます。友人に棄てられるというのは時に恋人に棄てられるよりも激しく心を痛めつけます。有名な作品ですから色んな意見があるでしょうけれど、私にはカムパネルラがジョバンニを死出の旅の共として不合格を出し、ジョバンニと一緒にいるよりも一人で暗い闇へと吸い込まれていくことを選んだということが、ジョバンニにとってどれほど切ないかということ思わずにはいられません。

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司馬遼太郎『最後の将軍‐徳川慶喜』の頭がいいだけの男の姿

司馬遼太郎さんの『最後の将軍‐徳川慶喜』は文庫本ではわりと薄いもので、すぐに読めてしまいます。『竜馬が行く』や『坂の上の雲』などのボリューム感に比べると、小品いってもいい感じの作品と言えます。『竜馬が行く』、『坂の上の雲』などが登場人物の仔細な人間関係、時代背景に関する豊富な知識と批評、同時代に起きた各事件に関する詳細がびっしり詰め込まれているのに対し、『最後の将軍‐徳川慶喜』では、主人公の思考回路と感情の機微に特化して描かれており、徳川慶喜という人はあらゆる意味で特殊な人と言えますから、その特殊な人物の内面だけに特化してみようという作者の意図を感じます。

たとえば新選組が池田谷事件を起こしたり、長州征伐で幕府軍が散々な目にあったりとしたことは、細かく描こうと思えばいくらでも資料を集めて細かく描けたはずですが、司馬遼太郎さんは今回の作品に関してはそういったことは必要最小限度に留め、徳川慶喜のリアクションとその思考パターン、行動パターンを読み解こうとしています。

で、簡単に言うと、史上初の水戸徳川氏出身の将軍なので、そもそも幕府内に人気がなく、幕府内から冷たい視線で見られているにもかかわらず討幕派からは当然敵の首領としていつでも寝首をかいてやると手ぐすねを引かれ、母親が有栖川宮の人なので、京都の公家の覚えはめでたいものの、公家は時勢次第でどこにでもなびくために全く信用できず、にもかかわらず、短い時間ではあったといえ、日本の最高権力者であり、彼は自分を守るために、ただひたすら自身の頭脳に頼り続けたというような評価が下されています。

自分の頭脳だけが頼りであり、稀に見る読書人・教養人であり、あわよくば長く日本を支配してやろうと思ってはいるけれど、それよりも何よりも自分が生き延びるということを最大の目的にして彼は周囲の人をはっきり言えば時には騙し、時には見捨て、必要に応じて沈黙し、必要とあらば誰にも負けない弁舌で演説をし、周囲に舌を巻かせるという、類稀なる才能を彼は発揮します。

頭が良いことはもちろん非常に強い武器ですが、ただそれにしか頼る事ができなかったというのは、またある種の不幸だったのかも知れません。それは本人にしか分かりらないことでしょう。政治家には向いていたかも知れませんが、鳥羽伏見の戦いであっさりと自分の将兵を見捨てたこと、江戸帰還後も松平容保など地獄の底までついてくるはずだった人物を見捨てたこと、それでいて弁舌の才を活かして大奥の支持を取り付け、命だけはとりとめるという辺りに、彼の頭脳のきわだって優秀な部分と、人間として大きな何かが欠けていたことの両方が提示されているように思えます。ただし、当時はちょっとあったらすぐ暗殺の時代ですから、義理人情とか言って、ここは俺が犠牲になってとか言っているとあっさり殺されていたかも知れませんから、自分の命を守るというかなり現代的な価値観に近い目標を持っていたであろう徳川慶喜としてはやむを得ないところだったのかも知れません。

京都で政治の頂点にいた時は多忙を極め、あそこまで仕事をした将軍はいなかったに違いありませんが、日本最高の権力者とはいえいつどこで足をすくわれるかも知れず、人材にも恵まれなかった彼の心境は吊るされた剣の下の玉座に座る王と同じようなものだったのかも知れません。

優秀な頭脳で権謀術数を展開し、自分の都合で人を見捨てまくった徳川慶喜に対する評価はその是非が分かれるところでしょうけれど、あれだけ頭がよくなければ殺されていたでしょうから、まあ、最終的にはやはり彼は自分の頭脳で自分を守ったと言っていいのかも知れません。天のたまものに感謝といったところでしょうか。徳川将軍最高クラスの頭脳を持つものが、最悪のタイミングで将軍になるというのは、何やら運命めいたものを感じなくもありません。維新後、旧幕臣たちが困窮するなか、一人趣味の生活を満喫した徳川慶喜は、やはり冷ややかな目で見られたようですが、そもそも他人に関心のないタイプだったに違いなく、本人は大して気にしていなかったかも知れません。自転車に乗り、多分、自動車にも乗り、油絵を描いて、写真を撮る。多芸多才な趣味生活は自分が満足すればそれでいいというその一点を目的に続けられ、彼は明治天皇よりも長生きし、大往生を遂げます。女性を多いに好んだと言いますが、将軍を続けていた方が女性には困らなかったでしょうから、その点だけが「惜しいなあ」と思ったかも知れません。ここは私の想像です。

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田山花袋『少女病』の潔さ

田山花袋のあまり知られていないであろう、一風変わった作品に『少女病』というものがあります。30代後半のいわゆる中年男性の範疇に入ってしまった主人公の男性は、将来出世する見込みもなく、古女房とぼろぼろ生まれて来た子どもたちを養うためだけに、行きたくない職場に行くだけの人生を送っています。彼の唯一の楽しみ、あるいは生きがいみたいなものは、街の中や電車みかける若い女性を眺めて愛でるという、ささやかと言えばささやかな、変態的といえば変態的なもの、ただそれだけが楽しみで生きています。自分のようなおじさんの所帯持ちが若い女性とつきあえるとは思っちゃいない。思っちゃいないけど、好きなものはしかたがない。だから眺める。あんまりじろじろ見るとバレるので、怪しまれない程度にちらちらと見て、時には偶然を装って目を合わせるというある種の「コツ」まで会得しています。

少子化、晩婚化、生涯未婚率の上昇が社会問題化している現代人の価値観からすれば、所帯持ちで子どもがぼろぼろと生まれてきているというのはめでたいというか、もしかしたら勝ち組の範疇にすら入るのかも知れないのですが、子どもぼろぼろ生まれてきて人生負けている感があるのには隔世の感を禁じ得ません。

さて、この主人公は悩みます。もっと若ければ…と。若い時にもっとたくさん遊んでおけばよかった、自分は人生を無駄にしたと過去を後悔するのです。ある時、市電に乗っていると、ひときわ目立つ美しい若い女性が乗ってきます。彼はさりげなく、偶然そうならざるを得なかったのだと言う感じで彼女に近づき、いつも通り眺めるわけですが、眺めつつも「自分がもっと若ければ…」と慙愧の念に駆り立てられ、残りの人生生きていても碌なことはない、死んでしまいと思った時、電車から地面へ転げ落ち、対抗路線の電車にひかれて敢え無き最期を迎えます。

田山花袋と言えば、若い女性にふられて蒲団の中でおいおいと泣くというイメージですが、この作品の場合では死ぬどころか電車にひかれて死んでしまうわけですから、考えようによってはバカがここに極まれりとも思えますが、別に見方をするならば、自分の好きなことに殉じて死ぬわけですから、ある意味徹底した何かを感じさせ、あっぱれと言いたくならないわけでもありません。眺めるのが趣味なわけですから、触ったりするよりよほど良いとも言えますしナボコフの『ロリータ』のように実際にそこまでやってしまうのかという感じでもなく、サガンの『悲しみよこんにちは』のような何歳になっても人生をエンジョイするナイスなパパでもないあたりの小市民さは現代人の我々にも共感できる部分がないわけでもありません。

私は『蒲団』を読んだ時は、こんな無様な話を読まされたくないと思いましたが、『少女病』を読んでみて、そこまで思うなら、それも一つの人生だと好感を持ってしまいました。人間はある程度年齢を重ねれば、自分のことより他人のため、世のため人の為に生きなくてはいけないと禅寺の和尚様から説かれたことがありますし、そういう生き方こそ人の理想とも思います。しかし、一方で、山鹿素行ではないですが、自分に正直に好きなものは好きなんだ、他人がなんと言おうと好きなんだと少なくとも心の中で叫び続け、それになんの呵責もなく、死んでいくのであれば、それはそれでありなのではないかとやはり思えます。

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谷崎潤一郎『小さな王国』から、お金について考える

谷崎潤一郎の短編に『小さな王国』というものがあります。東京育ちの主人公は学者を志してはいましたが、生活のために学者に専念するわけにはいかず、小学校の教師になります。結婚し、子どもも生まれ、家族が増えていきますから、お金がどんどんかかるようになります。もちろん俸給は上がっては行くものの、物価の上昇もあって東京ではとても生活が維持できないと考えた主人公は北関東の某所で教師の職を得て移り住みます。

さて、主人公は小学校で沼倉という少年に出会います。第一印象はあか抜けない、田舎の普通の少年という感じでしたが、話しをさせてみるとそこそこ頭がいい少年だという印象を主人公は抱きます。主人公が驚愕するのは、この沼倉少年が子どもたちに対して通常ではあり得ないほどのカリスマ性を発揮し少年たちを統率しているという事実を知った時でした。しかもジャイアンのように腕力にものを言わせるわけではなく、沼倉少年は物静かに黙考して筋の通った判断をし子どもたちがそれに従うというわけで、得体の知れない、末恐ろしいような気さえさせる、本物のリーダーの資質を持っている少年だったわけです。

そういう児童が反抗的な場合は教師は手を焼くことになりますが、沼倉少年の場合はそういうわけではありません。聞き分けがよく、教室全体の雰囲気を維持することにも協力的で、少年たちは沼倉少年に服従を誓い続ける以上、彼の命じた通りに教師にとっては実にやりやすいペースで物事が進んでいきます。沼倉少年は様々な罰則を少年たちに対して宣言しており、少年たちは制裁を恐れて沼倉少年に従うわけですが、当該の罰則は沼倉少年本人をも拘束を受けるものであり、あたかも法の下の平等が沼倉少年の指導の下に生まれて来たかのようにすら見えてきます。沼倉少年はなかなかの名君主、または颯爽とした大統領みたいな立場と言っていいかも知れません。

主人公の教師は沼倉少年が協力的で助かるなあとしばしいい気分で過ごしますが、再び驚愕せざるを得ない事実を知ります。沼倉少年が独自に紙幣を発行しているというのです。同じ学校に通う主人公の息子が小遣い銭ではとても買えないようなものを時々買って帰るので、問い詰めると沼倉紙幣を使用しているのだと白状します。現物を見てみると、金額を印刷した紙に「沼倉」という判が押されており、この判が押されていれば有効というわけです。この紙幣は沼倉少年の配下の少年たちの間だけで通用するもので、大人たちには絶対内緒というルールがあり、主人公の息子はルールを破ったことになりますが、万引きしたわけではないということを証明するために洗いざらい吐露したというわけです。放課後になると配下の少年たちは某所に集まり、油屋の息子は家から油を、服屋の息子は家から服を持ってくるという感じで市場が開かれ、沼倉紙幣を使って取引が行われるというわけです。

ここまで来ればもはや国家です。主人公ははてどうしたものかと考えますが、それよりも先に自分の生活苦を考えなければならないという現実にぶち当たります。赤ちゃんのミルクが次の給料日が来る前に切れてしまうのです。主人公は沼倉少年に「先生もまぜてくれないか」と頼み、沼倉紙幣を受け取ります。そしてミルクを買いに行き、そこで、あ、俺は今なんてばかなことをしているんだろうと気づくところで物語は終わります。

この物語の面白さはいろいろなものがあって、例えば沼倉少年というある種の天才を如何に描くか、或いは意外と平凡な人生を送ってしまったと思いつつ惰性で生きている主人公に焦点を当てるかということでも違ったおもしろさが見つかるでしょうけれど、ここでは沼倉紙幣について考えてみたいと思います。

お金には実態がなく、中央銀行が適当に出している紙でしかないことは、議論の余地がありません。もちろん信用ある国家の発行する通貨には相応な信用がつくわけですが、金本位制の時代のように、完全に担保されているわけでもありません。日本円が日本で流通できるのは、みんなが10000円札という紙に価値があると合意しているからに過ぎず、これはドルであろうとポンドであろうと人民元であろうと違いはありません。そのように考えると、沼倉紙幣は沼倉少年に信用がある限り、少なくとも沼倉信者にとっては実質的に価値があると認めても一向に差し支えないのではないかという気がしてきます。もちろん、沼倉紙幣には弱点があって、それは紙幣と交換し得る物資はその紙幣共同体に参加する少年たちが家から持ってくる(言わば、輸入)に頼らざるを得ません。ましてや沼倉紙幣は大人からの信用はありませんので、円との互換性もありません。従って、闇経済化せざるを得ないという面はあります。しかし、市場が立ち、やがて自分で生産して沼倉紙幣と交換する人物が現れれば、当該の紙幣は円との互換性がなくとも信用を維持しやすくなり、更に発展すればやがては誰もが認めるようになって円でもドルでも交換できるというところまで発展したとしても、それは現実的ではないかも知れませんが論理的にはあり得るわけです。ビットコインと同じです。岡田斗司夫さんの提唱する1オカダも同じような感じだと思います。

この作品が世に出たのが1918年ですから、現代とは違い金本位制が根強く支持されていた時代です。このような時代によくもまあ、通貨は発行したもの勝ちみたいな発想の作品が書けたものだと驚くあまりですが、1917年にロシア革命が起きており、世の中には社会主義や共産主義という新しい価値観が今後どのように広がるのか、全く無視することもできないという空気があったでしょうし、アナーキズムもそれなりに流行していましたから、沼倉紙幣が発行されるという発想は、谷崎本人の脳裡にそのような新しい時代の始まり、今までとは違った未来像がふと立ちあらわれて作品化されたのかも知れません。おもしろいお話しです。人間心理という点からも、政治経済という点からも、或いは近現代史という視点からも楽しむことができると思います。
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【自己訓練】他人の悪口を言わない

他人の悪口を言わない。これって意外と難しいです。つい、言いたくなってしまうことがありますし、どうしても腹に据えかねることがあったらせめて誰かに聞いてもらいたいと思うものです。もちろん、ガス抜きも必要ですから、絶対に一切言わないというのはかえってよくないと思いますが、そういうことは必要最小限にするべきです。

他人の悪口を言う人は、他でも悪口を言っていると思われます。ですから、聞き手は「あぁ、これは俺の悪口も言ってるんだろうなあ」と直感的に思います。そうなると大事なことは話してはもらえなくなってしまいます。人生という観点から言えば、大事なことを話してもらえない、信用されないというのは大きな損失です。そう思うと、他人の悪口を言うのは自分の人生を毀損しているとすら言ってもいいかも知れません。ですから、他人の悪口を言わないというのはとても有効な自己訓練と言っていいのではないかと思います。

批判しなくてはいけないときはありますが、その場合は堂々とかつ紳士的に、批判すべき相手に対してするべきです。また建設的な意見、提案であるべきです。問題解決のために批判するのであって、相手の人格を批判するのではないということを時には相手にはっきりと言うのもいいかも知れません。それだけで平和的に状況をより良いものにできる可能性があります。

是非、自己訓練と思い、他人の悪口を言わないというのを心がけていきましょう。それだけで人格が上がると言えるのではないかと思います。

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【自己訓練】皮肉を言わない

上手に皮肉を言って相手をやりこめることができた時、人は「してやったり」と思い、心の中で喝采を上げ密かに勝利の快感に酔いしれるものです。しかし、それはある意味では危険な行為です。あまりにもうまく皮肉を言われてしまった場合、その人は心中を復讐を誓い、その機会を伺い、下手をすると生涯の敵になってしまいます。ですので、皮肉というのは言わない方が賢明です。

私は人には皮肉を言いたいという願望があるのではないかとも思えます。うまい具合に皮肉が言えるという人は、それだけ頭が良いとも言えます。皮肉を言うのは自分の頭の良さを証明しつつ、嫌いな相手をやっつけるということですから、うまく言ってのけた時の快感はひとしおと言えるかも知れません。しかし、そのような口先だけで勝った気になれるというのはまだまだ人生に対する考え方が未熟だと言えるのではないかとも思います。これこそ自己訓練、自己教育、自己成長の大事なところです。皮肉を言いたいという願望を自分できちんとコントロールするのです。私も皮肉を言われたことはもちろんありますが、その人に対する信頼感はその瞬間に消え失せてしまいます。仕事上で付き合ってはいますが、「信用できない、本心は明かさない」という原則でその人に相対するようになってしまいます。ですので、皮肉を言うのは損なのです。もし皮肉を言いたくなったら、必要な場合は丁寧に冷静に理路整然と問題点を述べる、必要ない場合はスルーするに限ります。皮肉を言わないというのもより良い人生のために効果的な自戒ではないかと思います。

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