紀州のドンファンについて考える

昨年、紀州のドンファンが亡くなったことは大きな話題になった。人が一人亡くなっているにもかかわらず、同情的な意見はほとんど見られず、多くの人が、多分、おもしろがってなりゆきを見守っていたに違いない。

普通に考えれば奥さんとお手伝いさんが怪しいはずだ。年明け逮捕説も見たことがあるが、私は逮捕はないのではないかと思った。多分、もはや証明不可能な段階に入ってしまっているのだろう。警察としてはまずは奥さんとお手伝いさんを別々に取り調べして供述の矛盾をついて自白に追い込むというシナリオを考えたのだと思うが、そういう場合は48時間以内ぐらいにだいたい事態がはっきりしてくる。

取り調べをする側はプロだが、される側は素人なので、警察の取り調べを受けると動揺してしまい自白してしまうというケースは多い。しかし、この手法の欠点は、相手の腹が完全に座っている場合、自白に追い込めるとは限らないということだ。ましてや自白偏重主義は20世紀の手法であって、現代ではあまり通用しない。そして紀州のドンファンの場合、自白を得ることもできなければ、物理的な証拠を得ることもできなかったのだろう。

当の大金持ちは自ら命を絶ったということで処理されるか、ケイゾク捜査にされるかどちらかだという話をちらりと耳にした。紀州のドンファンという本については立ち読みしたことがあるが、あのような人物が自ら命を絶つとはちょっと考えにくい。しかし警察としては、体裁を整えなければいけないし、捜査本部もいつまでも存続させるわけにはいかないのでケイゾクということになるのではなかろうか。

紀州のドンファンが人々の興味を集める人物であったことは否定できない。人生の最期までしびれる話題を提供してくれたことに感謝したい。historiajaponicaは、一応、教養系兼徒然系なので事件について触れることは基本的にしないのだが、紀州のドンファンは、人生について考えさせられる、つかこうへいさんの『熱海殺人事件』風に言えば「いい事件」なので、触れさせていただくことにした。故人のご冥福を祈り申し上げます。



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