人生の満足度を上げる5ステップ

本来教養系のブログのつもりでやっているhistoriajaponicaだが、教養を突き詰めると人生とは何か、幸せとは何かへとやがて辿り着く。そこに辿り着かない教養は教養ではなく豆知識でしかない。ブログを書き続けることはそういった思考を突き詰めることにも役立つ。幸福とは何かという問に完全な正解はないが、少なくとも満足度を上げる方法論はある。以下に簡単にその原理から方法論を1、原理、2、初級、3、中級、4、上級、5、達人までの順で述べたい。人生について語るにしては短い文面になるはずだが、神がαにしてΩであるのと同様、ある意味では全てが入っている。

1、原理

人生は主観でできている。客観は存在しない。客観的数字は存在するが、それに意味を付与するのも主観である。従って、自分の人生の満足度も自分の主観の判断による。主観の判断をコントロールすることができれば人生の満足度を上げることは可能だ。物質的な満足度は結果としてついてくるはずである。なぜなら人は自分の主観的世界を生涯をかけて繰り返すようにできており、渇望している人間は更に渇望した人生を作り出し、満たされていると感じている人は更に満たされた人生を創造するからだ。

2、初級

ここで方法論を述べたい。その後に述べる中級、上級、達人の領域もこれから述べる方法論の応用である。方法論としては日記を書くことがお薦めだ。簡単に言うと「よかったこと日記」を、日々書き連ねるのである。嘘を書いて自分をだます必要はない。その手の自己啓発本を信用する必要もない。その日のできごとの中でよかったことを一つ取り上げて日記に記す。それだけで必要にして充分である。初級編なので分かりやすいのを入れるとすれば「好きな人からメールが来た」とか「天気が良かった」とか「おでんがおいしかった」などのようなことである。よかったことを毎日積み上げるようにして書いていくと、潜在意識が「私の人生はいい人生なのだ」と判断するようになり、よりよい人生を創造できるようになっている。逆に嫌だったことを書き連ねる日記を続けると潜在意識が「私の人生は最悪なのだ」と判断するようになり、最悪な人生を作り上げるような原理が働くのである。潜在意識は生き延びることが優先なので、今日まで最悪で生きてこれたのであれば、明日ももっと最悪にすることで生き延びられる確率を上げようとする。今日まで幸福に生きて来ることができたと判断すると、潜在意識を明日生きのびる確率を上げるために、より幸福な明日を作り出そうとするのである。

3、中級

初級を実践するだけで必要かつ充分で、短い人ならすぐに効果が出るし、どんなにひどい状態の人でも2-3年続ければ必ず効果を得ることができる。中級レベルでは「気づき」が効果的だと言える。何気ない、普通なこと、当たり前なことが実は「良かった」ことなのだと思えるという段階だ。今日食事できたのは私が労働した得た対価の結果だが、仕事がなければ対価が得られず、食事の対価を支払うこともできない。仕事ができてありがてえと思うレベルに達するのが望ましい。他にも公共の施設で働いてくれる人のおかげで自分の生活が便利になっていることへの感謝の気持ちが湧いてきたり、なんだかんだ言って付き合いをしてくれる友人に対する感謝の気持ちが湧いてきたり、暮らせる家があることに自分が恵まれていると感じることができたりすれば、中級である。キリスト教の教会に行って主に今日のパンを感謝するのと同じ感じだと考えてもらえれば分かりやすいだろう。

4、上級

過去に対して実は自分が恵まれていたのだと気づくことができるレベルである。日々「おでんがおいしかった」だの「チョコレートがおいしかった」だの書き続けていれば、自分にその程度の経済力が与えられたのは過去の様々な恵みの結果であることに気づけるはずである。大学に行かせてもらえたのは親のおかげであるとか、大学を卒業できたのは〇〇教授が手心を加えてくれて成績をなんとかしてくれたからだとか、会社で今の部署にいられるのは上司が受け入れてくれたからだとか、そういったいろいろな過去の蓄積があってチョコレートが食えるのである。つまり過去への感謝だ。これはわりと難しいが初級‐中級レベルの日記を繰り返し続けているとこの境地へはやがて辿り着くことができる。疑問に思う人は2-3年その日記をやってみてから疑ってほしい。効果は絶大であり、金はかからない。簡単に言うと過去に対する感謝ができるようになったら上級ということだ。

5、達人

ここはなかなか難しい。難しいが、初級から中、上級までこなすことができれば、やがてここへたどり着く。私の場合は最近やっとこの心境に時々なれる場合があるという程度なので、まだまだ達人ではない。ただ、続けることで「おー、そうか」と達人の心境がふと見えて来るのである。それは私自身に仇をなすものへの感謝である。災いに対する感謝だ。たとえば雨で嫌な気分になるとき、恵みの雨と言い換える。簡単そうだが意外とできない。私をイジメた人がいるから、イジメずにいてくれる人に対する感謝の気持ちが湧いてくる。私に災いをもたらす人からも学びを得ることができる。そう思うと、仇をなす人、災いをもたらす人もまた学びと恵みの一環なのだと気づくことができ、その相手に学ばせてくれてありがとうという心境になるのである。これは禅寺のお坊さんが言いそうなことだが、禅寺のお坊さんでもここまで来れる人に出会えるとは限らない。禅寺のお坊さんもここへたどり着くための修行中の人が多く、禅はここへたどり着くための技術論だからだ。ここまで来ると親に対する感謝が湧いてくる。親を赦せないという人はいると思う。私にも親を赦せない部分はある。だが、その親にしてその子でありである。そこを立脚点に親のことを考え直し、少なくとも感謝できる部分もあると考えるようになった。親を赦した時、大抵のことは赦せるようになるだろうし、結果として人生に対する満足度は上がる。上に述べた原理を理解するのに5-10年程度かかった。それから更に5-10年程度かけてようやく達人の域があるらしいと気づけるようになってきた。どういうわけか掃除も少しはうまくはなった。

以上が人生の満足度を上げる全てだ。主観的な満足度は必ず上がることは約束できるし、主観的な満足度が高い人は結果として物理的にも満足できる生活を送りやすくなる。一日一分なので、コストはかからない。スマートフォンやPCで日記を書いてもいいので、ノーリスクと言ってもいい。興味のある人はやってみてほしい。








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