村上春樹作品の読み方‐不誠実な語り手

村上春樹作品は評価が大きく分かれる。好きな人は徹底的に好きだし、嫌いな人はまた徹底的に嫌っている。私個人は村上春樹作品は嫌いじゃないけど、腑に落ちないところもあって、ちょっと考えるのに疲れてしまって最近は読まなくなった。

村上作品が好きな人はアダルティでアーバンでモダンな雰囲気、洋楽と洋酒と気の利いた言い回し、ちょっとファンタジーが入っているところや文体あたりが好きなのだと思う。私も文体が好きだ。

村上作品が嫌いな人は、主人公の男性がやたらと簡単に異性と関係を持ってしまうことに嫌悪感を持ってしまったり、リアリティのなさを感じてしまったりするのではないかと思う。自然主義小説なら、男と女のすれ違いで泣く話になるし、ロマン主義小説なら大切なただ一人の人と添い遂げるという話になる。どちらにしても男女のことは難しい…というのが近代小説のテーマになるはずなのだが、村上小説はどちらでもない。自然主義小説にしてはイージー過ぎてリアリティを感じることができないし、ロマン主義小説にしてはロマンチックではない。村上小説の主人公は「やれやれ」と疲れ切った様子、飽き飽きした様子でそういうことをするのである。そして村上ファンはその部分について議論することを避ける。だが、あんなに簡単に次々とそうなるのだから、それについて議論しない限り、ファンとアンチが理解し合えることはないかも知れない。

村上小説に於ける男女関係のイージーさについてどう考えればいいのか。ということは私にとって長年の疑問であり、なぜ村上春樹は熱心にイージーな男女関係を書き続けるのか理解に苦しむところではあった。

しかし、よーく考えてみると、おそらく村上春樹氏は潔癖症で本当はそういうことが嫌いなのである。そして、潔癖の真逆でイージーに相手をつかまえる最低な男を書き続けているのではないかということにようやく考えた辿り着いた。

たとえば『ノルウェイの森』の主人公を考えてみた場合、主人公の語りでは直子をどれほど愛しているかということが強調されているが、実際には直子を救うことはできていないし、直子が病気で療養している間も語り手の主人公は次々と相手を見つけている。そして直子が死んでしまった後、さんざん自己憐憫をした後で、性的なことに関するトラウマを抱えていると思しき女性と関係を持って、最後はショートヘアーの女の子から「で、あなたはどこにいるの?」と突き放したように言われてしまい、世界の中心で自分はどこにいるのか分からないという締めくくりになっている。要するに女性を愛しているように見えて実は浅はかで自己憐憫する最低な男、最低な男性モデルを自覚的に、こいつは最低なんだよと作者は言っているのではないだろうか。

男女が恋愛関係に発展するには、通常、それなりの手続きが必要になる。話し合い、語り合い、心境を確認し合い、互いに大切に思っているかどうか、今後も思い続けることができるかどうかを確認し合って、そういう関係になる。普通そうだと思う。真面目な恋愛とはそういうもののはずだ。

村上作品には、普通なら小説の重要なモチーフになり得る男女関係が成立するまでの手続きが省かれている。しかし、作者も現代に生きる自然人である以上、男女関係の手続きを知らないはずがない。他の作品でも主人公の男性は次々と相手を見つけて行くが、その手続きは全て省かれている。手続きがなくそういう関係になったのではなく、手続きを省いて書いていないのである。次々と相手を見つけて行く以上、そのような男は欲望の虜になっているに相違ない。その心の中を察すれば、醜いものがたち現れて来るように思える。醜い部分が存在しないのではない。書いていないのだ。村上作品の主人公の「僕」は、そういう醜い部分を読み手に知らせない不誠実な語り手であり、作者は自覚的にそうしているのである。そして読者に対し、こいつ最低なんだよ。気づいてくれるかな?こいつ、惨めだろ?

と言い続けて来たのではなかろうか。ではなぜ最低な男を書き続けたいのだろうかという疑問が湧いてくるが、村上春樹氏は父親との関係が良くなかったらしい。もしかすると最低な男のモデルは氏の父親であるかも知れない。或いは自分自身のことかも知れない。多分、両方なのではないだろうか。

一応、ファンの人に申し訳ないので、村上春樹氏が最低だと言っているわけではないことは念を押しておきたい。村上春樹氏がなぜか分からないが最低な男を書き続けていて、その理由には自己嫌悪があるのかも知れないという一応、ある程度論理的に考えた上での推論でしかない。

そのように考えると過去に読んだ村上作品のことが少し深く理解できるというか、謎が解けるのではないかという気がする。源氏物語に於ける紫式部の男に対する深い失望と、村上作品に於ける男性的なものに対する深い失望は通底するものがあるのかも知れない。



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