就職試験に有利な作文の書き方

就職試験では作文や小論文を課されることはよくある。従って、それなりにニーズがあると思うのでここで1000字前後の文章を書かなければならないという状況が生まれたと仮定し、合格しやすい文章の書き方を確認しておきたい。

まず最初に注意しなくてはならないのは、自分が今から何を書くのかということを宣言することである。就職試験では予め一定のテーマを与えられていることもあるし、自分でテーマを設定することもあり得るが、仮に自分でテーマを設定する場合は題名によって自分の書くことを宣言しなくてはならない。それはたとえば『戦艦大和の最期』でもいいし、『最近の気象変動について』でもいいし、『政治的指導者の発言の共通項』でもいいし、『湘南に遊びに行った際の注意点』でもいい。どういう題名であれ、読み手がその文章には何が書かかれているのか、自分がそれを読むことでどういう情報を得られるのかを伝えるために、宣言するのである。そのため、分かりにくすぎるものは避けるのが好ましい。一般的に誰でも知っているような名詞を用い、そこに自分は何を付け足すのかということについて説明的な文言を入れることが望ましいだろう。たとえば『戦艦大和の最期』であれば、戦艦大和は有名な固有名詞なので大抵の人は知っているだろうし、そこに「最期」という印象的な文言が加わることで、読み手は最初から戦艦大和が撃沈された様相が述べられているのだろうということが分かる。共通の趣味を持つ人にだけ読んでほしい場合は「黒い三連星」とか「サイド3」となどの一部の人しか知らないような題名を使用してもいいが、その場合にはできれば付け加える文言は一般的に使用されるものが望ましい。たとえば「黒い三連星にみる連続的攻撃の有効性に関する考察」とした場合、連続的、攻撃、有効性というのは一般的に使用される日本語であるため、何が書かれているのかを読み手は想像できる。逆に「黒い三連星のオデュッセウス」「黒い三連星のチャネリング」のような題名であった場合、オデュッセウスが何かを知っている人、チャネリングに対してイメージを持つ人は少ないので、読み手の理解度は下がる可能性があり、それだけ不利になる。どうしてもそのようなあまり知られていない文言を題名に入れたい場合はそれらの文言を手際よく本文で説明することが求められるが、1000字程度の場合、それはある種の冒険になるので避けた方がよい。根気よく長い文章を書く機会があった場合、それは書き手の人生の結晶であり書き手は命がけなのだから、題名は書き手の気に入るものであるべきだし、それについて筆者からどうあるべきかについて意見はない。その場合は思う存分にするべきだ。

さて、宣言が終わった後、書く方向性としては二つに分かれる。一つはなぜ自分がそれについて書くのかを説明するというもので、もう一つは読み手に対し、この文章は読む価値があるということを説明するというものだ。

自分がなぜそれを書くのかということを説明する場合、具体的な経験を書くのがやりやすいだろう。たとえば友人からあることを相談され、その相談に乗るうちに着想を得たとか、電車の中吊り広告を見てあることに気づいたとか、ネットでたまたま見かけたとかそういうものでもいい。自分がその文章を書くにいたった動機や事情を書けば、読み手としては納得しやすい。読み手は唐突なものを嫌う。説明を積み重ねて納得させるということは人と会話する時と同じだと思えばいい。

もう一つはこの文章には読む価値があるということを読み手に伝えるという方法だが、この場合は結論を先に述べてしまうのが効果的だと言える。たとえば戦艦大和は時代に合っていなかったとか、自然環境は引き返すことができないほど破壊されているとか、逆に自然環境の破壊はメディアが伝えるほど深刻なものではないとか、そういった類いの結論を述べるのである。この場合、続きの文章はそれの説明ということになる。付け加えるならば、上に述べたような経験を先に書く場合も引き続いて文章の結論を書くことになるため、私が上に述べた二つの方法論はどちらも説明する前に結論を述べるという点では一致している。

結論を述べた後は説得的な説明を述べる必要が生じることになる。たとえば戦艦大和が時代に合っていなかったと結論するのであれば、なぜ自分がそう結論するに至ったのかを述べなくてはいけない。この際に注意する点は積み重ねるようにして説明することである。「当時は航空技術が発達したことにより戦艦の砲撃が届かない位置から飛行機による攻撃が有効だったため、各国は戦艦よりも空母の建造に力を入れていた」というような説明が必要になる。文章の展開方法としては、空母の有効性を述べた以上は具体例を挙げなくてはいけない。書かなくてはならない文章の長さに応じて具体例は詳細に述べることもできるし、簡潔に述べることもできる。事例も長さに応じてたくさん挙げることもできれば、一つか二つで済ませる場合もあり得る。戦艦大和に限って言うならば、「戦艦よりも飛行機が優れていることは真珠湾攻撃で証明された」というのが適切なように思えるが、使用する事例を増やしたければ、レイテ沖海戦を挿入することもできるだろう。そしてそれらの事例からなぜ飛行機が戦艦よりも優れているのかを説明する必要が生じてくる。書けば書くほどなぜそうなのかを説明しなくてはならなくなるため、要するに要領よく説明することが文章の本体で果たす機能だということになるだろう。

以上までに事例をいくつか挙げれば、そろそろ結論へと文章は導かれていかなくてはならない。結論は最初に述べているため、その冒頭へと回帰していくと言ってもいい。しかし、事例を挙げた直後に結論を述べるのではない。書き手の分析を入れ込んでいくことが必要になる。その分析はその前に挙げた事例により証明され得るものでなければならないし、読み手が「なるほど」と思うものでなくてはならない。また分析的でなければならない以上、二つの以上の例を挙げた場合、その共通点を探り出すことは説得力を上げることになる。最も望ましいのは読み手に新しい気づきを提供することである。戦艦大和の例ばかりで申し訳ないが、真珠湾やレイテ沖海戦の例を見ると、「大和が有効活用できなかったことは明らかで、それでも乗組員を死に追い込んだのは、海軍の人命に対する考え方に深刻な欠如があったのかも知れない」とか「と言える」とか「と断言できる」とか「と言わざるを得ない」とか「ではなかっただろうか」などの言葉が最後に添えられることになる。この部分は分析になるため、推論を働かさざるを得ず、「かも知れない」という少し弱気な書き方でも問題はない。仮に最後の言葉が多少弱気なものだったとしても、読み手は分析に説得力があるかどうか、先に挙げた事例が分析の根拠として十分なものかどうかで判断するからだ。敢えて言えば「と断言できる」とした場合、読み手は反射的に反論の余地を探そうとするため、文章が読み手と書き手のコミュニケーションだという前提に立てば、「と断言できる」は避けた方がよく、自信を持って言える場合は「と言える」と言い切り、多少自信がない場合は「かも知れない」「ではないだろうか」とするのがいいだろう。傲慢な話し方をする人に対して反発が生まれやすいように、謙虚な文章に対しては反発は生まれにくい。ただ、忘れてはいけないのは事例が分析の根拠として正しいものであり、かつ最初に示した結論に無理なく辿り着けるものでなくてはならない。これができていなければ、最後の言葉がいかに謙虚であろうと読み手は何も学ぶものがなかったとがっかりすることになる。また読み手にとって新しい気づきを提供するという価値を生み出すためには、「時代に合っていないことに気づけば速やかに転換する必要があっただろう」とか「問題に気づけば速やかに対処しなければならないというのは、いつの時代にも当てはまる教訓だ」とか「現代のようにスピードを求められる環境では、戦艦大和の事例を教訓として自分の仕事や生き方に活かせるのではないだろうか」などのように書くこともできる。そこまで展開が及んだ場合、それは読み手にとって明日からの行動を変えようとする動機づけにもなり得るので、価値のある文章だったと判断してもらえるかも知れない。

そして結論を書くのである。この結論は冒頭と全く同じ文言を使ってもいいし、多少を気を利かせてひねった書き方をしてもいい。冒頭と同じ文言を使った場合、冒頭から事例と分析までの一貫性を保てる可能性は高くなるので、無難である。だが、一ひねりあった方がおもしろいとも言える。ここはその時になって、自分が一貫性を保ち、論理的な矛盾を起こすことなく、より気の利いた言葉を引っ張り出すことができるかということになるので、ある程度は運次第だし、その時の体調や心境にも左右される。ただ、読書量を積み重ねることで体調や心境に左右される幅は小さくなるので、読書は毎月払う保険料だと同じだと思ってこつこつ続けることが役に立つ。

筆者はすでにここまでで述べたいことの全てを述べたので、ここで文章を終わらせてもいいのだが、人が話し相手と別れる際に「さようなら」「また今度」「お元気で」という言葉を述べるのと同様、多少気の利いた「結語」を挿入することは無駄ではない。ただし、事例と分析が十分ものであれば、「さようなら」は人の心に響くが、それらが不十分な場合は響かない。事例に基づく分析が重要だということを重ねて強調し、結語としたい。


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