死刑は廃止すべきか?それとも存置すべきか?

先日、ニコニコ生放送で死刑は廃止すべきか、それとも存置すべきかの討論番組をやっていましたから、私は熱心に視聴し、自分なりの考えをまとめたいと思いました。双方の論者に存分に自分の意見を述べてもらうという趣旨としてはさすがはインターネット、テレビではなかなかできない突っ込んだ議論がなされたと思います。

死刑については廃止すべきという論者には充分な論拠があるように思える一方で、存置すべきとする論者にも充分な論拠があるように思えますから、一概に絶対どちらかが正しいと言うことは当然できない難しい問題です。私は感情的には死刑を廃止してほしいと思っていますが、それは死刑が執行されたというニュースに触れると、どうしても気持ちが暗くなってしまうというごく個人的な感情の理由に拠ります。ですがそれは私が犯罪被害者遺族ではないから言えるのであって、もし自分が被害者または遺族になった場合、逆の感情を持つことは充分にあり得ます。

とはいえ、私は今の私を軸に考えていくしかないわけですが、被害者遺族の方が番組に熱心に「なぜ死刑でなくてはならないのか」を訴えてくれたことは、私にとって考えるための重要な材料にすることができました。個別具体的な事例については、私は猟奇的な内容を好みませんからここでは述べませんが、被害者遺族の方が訴えていたことには2つの軸があるように思えました。1つは復讐の感情です。犯人の自己中心的な動機により残虐に殺された人の遺族が復讐の感情を持つことは正当だと思います。また、社会にとってもそういう人間を葬り去りたいという動機が生まれてくることはやむを得ないのかも知れません。もう1つの軸は犯罪被害者が置いて行かれているということへの憤りでした。加害者は法律で様々な権利が守られており、法の適正手続きを経て刑が執行されることになります。それまでは生活もできますし、教戒師の人と話し合いを重ねるなどして刑を受け入れる心境になるまでの時間が与えられます。しかしながら、被害者はもちろんそのように手厚く殺されたわけではないですし、被害者遺族に手を差し伸べるということに法や社会が充分に意識しているかといえば、充分ではないかも知れません。本村弘さんは戦って戦い抜いて加害者に対し自分の納得できる刑を科すということができましたが、そこまで戦って疲労困憊しなくてはいけないということにそもそも問題があると言えるかも知れません。

できるだけ人に優しい社会にしたいとは誰もが思うことです。私もそういう社会が建設されることを望んでいます。だとすれば、死刑を廃止すべきと考える人と死刑を存置すべきと考える人の間で一致できる点は、被害者遺族へのケアやサポート、救済のための手立てをできる限り厚くすることではないかと思います。特別会計で予算を組んでそのための公的な組織を作り、重大犯罪の被害者遺族の方は一生涯苦しむことになるでしょうから、生涯をかけてサポートするような仕組みやプログラムを考えていくということにはおそらく異論が出ることはあまりないと思います。運用上の問題が出れば、その時に試行錯誤して改善すべきと思いますから、まずはそういう取り組みをするべきではないかも知れません。廃止派と存置派はこの点では一致できるはずです。

被害者遺族が最も望むことは復讐でしょうけれど、次いで望むことは加害者の真摯な反省と謝罪ではないかと思います。これもプログラムしていく。年に数回、加害者に手紙を強制的にでも書かせる。最初のうちは反省していないでしょうから、表面的な言葉になるかも知れませんが、繰り返し書いていくうちにだんだんと真実な謝罪や反省の言葉が生まれてくるようになるのではないかという気がします。日記を毎日書く人の文章がうまくなるのと同じような感じです。本村弘さんが戦った事件では加害者が死刑から逃れたくて謝罪の手紙を書き始めましたが、報道で見る限り、次第に内容に心や誠意が入り込んでいったように思いますし、それらの反省と謝罪の言葉を読んで、どうしても死刑にしなくてはならないとも言い切れない…と思った人は少なくないと思います。担当弁護士がこの事案を利用して自分の政治的主張を被告人述べさせようとしてそれまでの謝罪と反省の言葉を覆させてしまい、この事例では死刑判決が出されましたが、本村さんがその直後の記者会見で、もし謝罪と反省を覆すようなことをしなければ死刑は回避できたのではないかと話していたことを私は今も時々思い出します。そのような発言があったということは、被害者遺族である本村さんとしても、真摯な謝罪と反省の言葉を読み、心を動かされるところがあったということだと思いますし、多くの犯罪被害者の人たちにもそれはある程度、共通することなのではないかと推察します。

死刑についてはその存廃をすぐに結論することは難しいですが、被害者遺族の方たちに社会が手を差し伸べるということをでき得る限り手厚くしていくということと、加害者に謝罪と反省を徹底的に促す(教戒師のような立場の人がお給料をもらって、根気よく諭し、指導もする)ということを充分に行った上で、それでも遺族の方たちが加害者に対して死刑の執行を望むかどうかを問うてみるというプロセスがあってもいいような気がします。

法理論ということで言えば、私は法理論はド素人ですから、大したことは言えませんが、長期、場合によっては生涯、自由を奪うだけの刑(刑務所や拘置所に隔離する)を支持する立場と、死刑が存在することで社会が殺人を容認しないことを担保すると考える立場に分かれるようです。理論は大切ですが、死刑の執行は最終的には法務大臣の署名がなくてはいけませんから、政治判断に委ねられているとも言え、政治は人の心そのものです。人々が望まない政治は如何に理論的に整合性が取れていようとも、政治として成立しません。社会に参加する人の心が納得する形のものを目指す他はありません。

以上は私なりにより多くの人が納得できるあり方はないかということを考えてみた結果です。

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