京都の天津神社でおみくじをひいた話

数多ある京都の神社の中で密かに人気を集めている小さな神社に天津(あまつ)神社があります。おみくじが良く当たるとの評判ですので、私も一度行ってみたいと思っており、今回の関西旅行で訪問してみました。場所は北野天満宮と平野神社の間あたりで、京都市を仮に四角い将棋盤のようなものだと仮定すれば、正面向かって右手の上あたり、要するに北西の位置にあります。

少し緊張して門をくぐったところ、人影もなくおみくじがひける場所がどこなのかもよく分からず、ちょっと怯んでしまったのですが、建物から神社の関係者と思しきおばさまが出てきてくれました。神社と言えば男性の神主さんというイメージが強いですから、おばさまが出ていらしたことに多少の驚きはありましたし、おばさまは普段着ですので、全く神社らしい印象は受けません。しかし「おみくじですね」と言われ「はい」と答えると親切な雰囲気で畳の上へあがるようにと促してくれました。

畳の敷き詰められた広間の奥に神棚があって、そこに座り二礼二拍手一礼するようにと指示を受け、その通りにすると目の前にガラガラっとふってくじを引くタイプのおみくじの箱があって、おみくじを引いてくださいと指示を受けます。おみくじの箱の隣にはお札がたんまりと積んであり、「相場は1000円以上」ということが分かるようになっています。

おみくじをひくとその言葉を紙に書き留めることができるようになっており、私も書き留めて帰りました。おみくじのお言葉は「縁ありてこそ 信仰に入りぬ よろこんで幸運を守りもらへ」というものでした。神社の方のお話によると、「縁」とは人のことであり、「信仰に入る」とは、縁のある人と人間関係を結ぶという意味なのだそうです。即ち縁のある人に対して感謝すれば、神様はますます守ってくださるということなのだと解説していただきました。大事なことは「悪縁」も縁であるということで、悪縁からも学べるとおっしゃっていただきました。「我以外、みな師なり」と言ったところでしょうか。

私個人にとっては金言です。私はブログをこつこつやるようなタイプですから、人見知りが強い、どちらかと言えば人間嫌い、嫌いな人や苦手な人に合わせていくことができません。嫌いになったらとことん忌避する傾向があります。おみくじにはそこを言い当てられたという感じがしましたので、「良く当たる」と評判の天津神社のおみくじは私にも当たっていたと思います。財布を取り出し「一万円札しかなかったらどうしよう、九千円のお釣りをくださいとはいいづらい…」とちょっと心配でしたが幸い千円札がありましたので、それをお札の束の上に追加して「ありがとうございました」とお礼を述べて立ち去りました。

私の想像になりますが、天津神社のおみくじは全て金言で、誰にでも当てはまる内容のものなのではないかと思います。人には必ず足りないものや、まだまだ人間ができていないという部分があります。そして、貪欲だったり怠惰だったり性格的にねじれていたりというのはある程度誰にでも共通するものですから、どのおみくじをひいてもそれは「当たっている」と言えるのではないかと思います。

とはいえ、だからといっておみくじにご利益がないかと言えばそういうわけでもないと思います。わざわざ京都まで足を運び、更に地図みながら歩き尋ねて神社を訪れ、慎んだ気持ちでくじをひくから心に言葉が響くのではないかと私は思います。ですので、どの言葉をひいてもそれだけの値打ちがあると思えばいいですし、どの言葉をひいても必ず人生の役に立つとも思います。いずれにせよ、私の人生の課題とも言える「人嫌い」を一発でひいたわけですから「天津神社のおみくじは当たる!」と感じました。

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