脳と自慰行為の関係を真剣に考えた幸福論

六週間ほど自慰行為をやらないという実験的なことを続けていたのですが、夜毎、「今日はもうやってしまおうか、いやもう一日我慢しよう」という自己内対話がぐるぐると回り続け、ここまで思い詰めるのなら、やってしまおう、自慰をするのが普通のことだと考え、昨日、自慰をしたわけです。この六週間、心身の変化は感じてはいたのですが、その効果が断酒によって得られているものなのか、丹田呼吸法によるものなのか、それとも減煙か、自慰行為禁止かの判断がつかなくなってきており、自分の心身への変化も知りたいという思いもありました。ただ、エッチな画像の助けが必要なので、その方面の検索をかけ、画像の力を借りて行いました。動画はなんとか踏みとどまりました。まあ、こんなものかとその瞬間は思ったのですが、減煙中にもかかわらず、昨夜はすぱすぱと吸いたいだけ吸うという感じになり、今朝も吸いたいだけ吸っていることに気づきました。また、驚くべきことにだるいというか、かったるい感じがありました。もうちょっと頭の回転もちょっとだれた感じになっており、学生から外国語に関する質問を受けた際、ちょっとうまく答えられないというがっかりなことすら起きてしまいました。

見た目にも変化がありました。このところ節制を続けていることで(普段は白米もなるべく避けています)、表情に鬼気迫るものがあるというか、良くも悪くも迫力が出ていて、奥二重の目が細い二重になるという謎の現象も起きており、果たしてこれは自慰行為をしないことの効果なのかどうか疑わしく思っていたのですが、奥二重に戻っており、ああ、なるほど、いわゆるおな禁の効果は少しずつ出ていたのだということが分かりました。

心理的にも変化がありました。帰宅中、断酒したにもかかわらず、お酒が飲みたいという心境になったのです。そこは思いとどまりましたが、食事はいつもよりかなり多めでした(今日は担当するコマが3つもあったので、体力勝負ですから確かに、多めに食べる日ではあるのですが…)。

だるい、頭が鈍る、細い二重が奥二重に戻る、食べる量が増える、お酒がほしくなる、タバコの量が増える

と、マイナスなものが一挙に出てきましたから、いわゆるおな禁は効果があったのだということを、今回久々に自慰行為をやってみて知ることができました。

さて、ここで気になるのはなぜ、なぜ、そのようなことが起きるのかということです。以下はド文系の私の仮説です。エッチな画像を見て自慰行為をすると、脳の快楽系の神経に電気が走るはずです。そして快楽系の神経が刺激されると、快楽系は更に刺激を求めるようになり、「もっと、もっと」という信号を出してくるのではないかと私は推論します。お酒がほしくなったり、タバコの量が増えたり、更に食事の量まで増えたのですから、エビデンス面から見ても悪くない推論です。

ここまで考えて、私は脳そのものの機能ということに考えが及びました。即ち「不幸な人は生涯不幸である」ということの理由が分かった気がしたのです。不幸や不満を感じるとき、脳のそれに相当する部分に電気が流れ、刺激されるはずです。不幸を感じる神経系統が刺激されると、活発化し、もっと、もっと不幸を。と本人の意思とは関係なく不幸を求め、結果として不幸な人生になるのではないかと思えるのです。

快楽と幸福は別なものです。快楽の神経系統が刺激されると、脳の当該部位はより強い刺激を求めるようになり、その衝動に従い続けると最悪の場合は身を滅ぼします。一方で幸福の神経系統を刺激することがもし可能であれば、脳の幸福を感じる神経系統がより強い刺激を求めるようになり、結果として幸福な人生を得ることができるという帰結を得ることができました。

さて、オナニーの話題であるにもかかわらず、幸福を得る方法論へと話題はシフトしてきたわけですが、幸福になるためには快楽の神経系統への刺激をなるべく避ける、不幸の神経系統の刺激もなるべく避ける、幸福への神経系統を強めることを意識するべしということになります。この場合の幸福とは、美しい自然を見てそれを美しいと感じる、普通の街の光景であってもそこに幸福の種子を見つける、退屈な人間関係であっても、そこに幸福の種子を見つけるという努力を必要とするものではないかと思います。この努力を怠ると、退屈を埋めるために快楽を求め、快楽追求体質になってしまい、脳の機能の問題として無限に快楽を追及し続け、破滅するということになりかねません。宝くじで大金を当てた人が不幸になるのは、大金がいきなり転がり込んできたことで快楽系統が極端な刺激を受けてとまらなくなり、無駄にジェット機や無人島を買うという愚かしい行為に走り、野垂れ死にしてしまうということではないかとも思えます。

幸福の神経系統が極端な刺激を受けるとすれば、脳が無限に幸福を追求することになりますが、快楽の神経系統が壊れるくらいの刺激が宝くじに当たることだとすれば、幸福の神経系統が極端に刺激されることは滅多にありません。従って日々の生活の中に幸福の種子を見出していくことが幸福な人生を歩む唯一確実な方法ではないかとも思えます。ああ、お日様があって幸せ。月があって幸せ。木が葉をつけていて幸せ。などのようなことに「幸せだ」という反応を示すように自分を訓練し、突き詰めていくと家族がいて幸せ。家族がいなかったとしても孤独なら孤独の楽しみを見いだせて幸せ。今の仕事があって幸せ。仕事がなかったら自分を振り返る時間が持てて幸せ。いい人に出会うと幸せ。頭に来る人に出会ったら、世の中にはいろいろな人がいるものだと知ることができて幸せ、この程度で済んで幸せ。などなど、様々な日々の出来事にああ、幸せ、幸せという認識を持つように自分を訓練していれば、脳の幸福を感じる神経系統が刺激され続け、脳が幸福な人生を創造するということになります。ですから、いわゆるアファメーションで私は幸せだ幸せだと言い続けていると幸せになるというのは全くの嘘というわけではないわけです。私はついてる、私は運がいいと言うと運が良くなるというのも全く間違っているというわけでもなさそうに思います。おそらくは半分はアファメーションなどによって幸福を感じる脳の部位を鍛え、残りの半分は仕事をがんばるとか挑戦するとかという行動が必要なのでしょう。幸福脳を鍛えることと、行動が車の両輪というわけです。

自慰行為を六週間断ってみて、一回やってみたことで我ながら大きな気づきを得たように思います。さて一つだけ心配なのは、使わなければ機能が低下するのではないかということです。機能が低下することを私は望んではいません。真剣ですから、敢えて書きますが男性器は筋肉の部類に入るのか、内臓の部類として捉えるべきかで分かれてくると思います。もし筋肉と同じ性質を持つとすれば、歩けば歩くほど足腰が鍛えられるのと同様に、男性器も使えば使うほど機能が向上するということになります。一方で、内臓と同じだとすれば、お酒を飲めば飲むほど肝臓への負担を大きくし、極端な場合は病気になってしまいます。お酒を飲めばお酒に強くはなりますが、それはお酒に対して麻痺しているだけで、アルコールを分解する肝臓への負担が変わるわけではないでしょう。

経験的にですが、使わなければ退化するように思えます。ド文系の仮説なので、確実ではないのですが、経験的に、以前実験的に毎日のようにしていた頃のパートナーから「大きい」と言われました。毎日は使い過ぎかな…と考えていたのですが、筋肉同様に発達していたと見るべきように思えます。また、六週間全く使わないことで、小さくなったな、しぼんだかもという印象はありましたから、経験的には筋肉と同じもののように思えます。一方で、解剖学的には性器は内臓の一部として扱われるのではないかとも思いますから、私の経験だけをどこまで信じていいか、或いはおえらい専門家の言うことよりも自分の経験を信じるべきか…など、結論は出しかねるところです。

一応、最後に今後の方針のようなものを書いておきたいのですが、ストイックな生活を送ることで心身に良い効果が得られるということはかなりはっきり言えますので、これは続けたいと思っています。自慰行為についてはしばらくまたやめてみて、再び同様の効果が見られるようになってから、画像や動画に頼らず、想像力で行為をしてみてはまた違った知見を得られるのではないかと考えています。エッチな動画や画像を見ることは、依存症のリスクがあり、脳の働きを低下させる恐れがあると思いますが、想像に頼った自慰行為の場合、脳の前頭前野が鍛えられる可能性は残されています。本当にあほみたいなことを真剣に考えて書いていますが、わりと人生の奥義のようなところに近づいている気もしなくはありませんので、ご容赦願います。

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