田山花袋『少女病』の潔さ

田山花袋のあまり知られていないであろう、一風変わった作品に『少女病』というものがあります。30代後半のいわゆる中年男性の範疇に入ってしまった主人公の男性は、将来出世する見込みもなく、古女房とぼろぼろ生まれて来た子どもたちを養うためだけに、行きたくない職場に行くだけの人生を送っています。彼の唯一の楽しみ、あるいは生きがいみたいなものは、街の中や電車みかける若い女性を眺めて愛でるという、ささやかと言えばささやかな、変態的といえば変態的なもの、ただそれだけが楽しみで生きています。自分のようなおじさんの所帯持ちが若い女性とつきあえるとは思っちゃいない。思っちゃいないけど、好きなものはしかたがない。だから眺める。あんまりじろじろ見るとバレるので、怪しまれない程度にちらちらと見て、時には偶然を装って目を合わせるというある種の「コツ」まで会得しています。

少子化、晩婚化、生涯未婚率の上昇が社会問題化している現代人の価値観からすれば、所帯持ちで子どもがぼろぼろと生まれてきているというのはめでたいというか、もしかしたら勝ち組の範疇にすら入るのかも知れないのですが、子どもぼろぼろ生まれてきて人生負けている感があるのには隔世の感を禁じ得ません。

さて、この主人公は悩みます。もっと若ければ…と。若い時にもっとたくさん遊んでおけばよかった、自分は人生を無駄にしたと過去を後悔するのです。ある時、市電に乗っていると、ひときわ目立つ美しい若い女性が乗ってきます。彼はさりげなく、偶然そうならざるを得なかったのだと言う感じで彼女に近づき、いつも通り眺めるわけですが、眺めつつも「自分がもっと若ければ…」と慙愧の念に駆り立てられ、残りの人生生きていても碌なことはない、死んでしまいと思った時、電車から地面へ転げ落ち、対抗路線の電車にひかれて敢え無き最期を迎えます。

田山花袋と言えば、若い女性にふられて蒲団の中でおいおいと泣くというイメージですが、この作品の場合では死ぬどころか電車にひかれて死んでしまうわけですから、考えようによってはバカがここに極まれりとも思えますが、別に見方をするならば、自分の好きなことに殉じて死ぬわけですから、ある意味徹底した何かを感じさせ、あっぱれと言いたくならないわけでもありません。眺めるのが趣味なわけですから、触ったりするよりよほど良いとも言えますしナボコフの『ロリータ』のように実際にそこまでやってしまうのかという感じでもなく、サガンの『悲しみよこんにちは』のような何歳になっても人生をエンジョイするナイスなパパでもないあたりの小市民さは現代人の我々にも共感できる部分がないわけでもありません。

私は『蒲団』を読んだ時は、こんな無様な話を読まされたくないと思いましたが、『少女病』を読んでみて、そこまで思うなら、それも一つの人生だと好感を持ってしまいました。人間はある程度年齢を重ねれば、自分のことより他人のため、世のため人の為に生きなくてはいけないと禅寺の和尚様から説かれたことがありますし、そういう生き方こそ人の理想とも思います。しかし、一方で、山鹿素行ではないですが、自分に正直に好きなものは好きなんだ、他人がなんと言おうと好きなんだと少なくとも心の中で叫び続け、それになんの呵責もなく、死んでいくのであれば、それはそれでありなのではないかとやはり思えます。



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