昭和史60‐少年保護とヒトラーユーゲント

昭和10年代は戦争の時代でしたが、当時の日中戦争は日本がそれまでに経験したことのない戦争でした。過去の戦争と何が違うのかというと、日中戦争は日本帝国の想定を超えた長期戦になったということです。日清戦争は半年程度。日露戦争も一年ないくらい。第一次世界大戦はちょっかいを出した程度で終わっているため、恒久的補給のような気の遠くなるようなことを考える必要がなく、局地戦で勝利して講話するという手段を選ぶことができたわけですが、日中戦争の場合、トラウトマン工作があったにもかかわらず、日本帝国はあたかもそんな簡単に講話なんかするものか、「蒋介石をやっつける」(松岡洋右)まで戦争するという総力戦・長期戦の道を突き進みます。

総力戦ということになれば、現場の戦闘力だけでなくいわゆる銃後が重要で、国民または植民地の人たちの戦争協力を得るためのプロパガンダが必要になりますから、当時はプロパガンダ映画、プロパガンダポスター、プロパガンダ写真と官僚たちはプロパガンダに力を入れていきます。

で、長期戦ということになれば、もはや次世代に託さなければならないという、これもまた気の遠くなるような発想が帝国官僚に生まれてきたように見受けられます。私が追いかけている情報機関の資料の昭和15年5月1日付の号に「少年保護に就て」と題された記事が掲載されています。長々と引用することはやめておきますが、簡単に言うと、不良少年に対して愛の精神で善の道へと指導していくことの必要性を訴えています。当該記事ではそのような少年指導の好例としてヒトラーユーゲントを挙げています。第一次世界大戦で再起不能に思えたドイツがやたらと強いのはアドルフヒトラーがヒトラーユーゲントを組織したからだとしています。短く引用しますが、曰く

(ドイツ)政府が第二の国民即ち青少年の育成に着目し、殊に1934年のヒットラー出現以来は、ヒットラー・ユーゲントを組織し、健全なる育成に、努力したことが、最も大きな原因の一つであると言っても敢て過言ではないと思ふ。

としています。なので、ヒトラーユーゲントをモデルにして、日本も戦争継続の為には次の世代の兵隊になる青少年の健全育成が必要だと訴えているわけです。戦後、ナチスドイツに参加していた人物がイスラエルのモサドのような組織に追われ続けたことは『ナチス狩り』という本に詳しいですし、更にはアイヒマン裁判、他にも戯曲で『ヒットラーの弁明』のようなものもあって、これもモサドが決してナチスを赦さなかったことを理解する手がかりになる作品なのですが、当時ヒトラーユーゲントに参加した少年たちはその後の人生、一生「あいつはヒトラーユーゲントだった」と言われ続けるという意味で、当時は判断力のない少年だったわけですから、気の毒なようにも思えますし、当該記事でヒトラーユーゲントを好例として挙げているのを読んだ時、ついつい「あちゃー」「やれやれ」と思ってしまいます。どうも当時の日本帝国の官僚たちはナチスドイツを理想とし、心理的にナチスドイツに依存していたのではないかと思えます。

『昭和天皇独白録』でも、当時の権力の中枢にいた人物たちはドイツがヨーロッパでの戦争で勝つ確立は100%。と考え、ドイツと同盟している限りは大丈夫。ドイツがイギリスを倒してくれるから、そしたらアメリカも譲歩するだろうという現実から遊離した考えに引っ張られ、更にはドイツが先に単独講和されると日本が置いて行かれるのが不安だと思い込んで、アメリカと戦争を始める前にドイツとの間で単独不講和の約束まで取り付けて、シンガポール陥落後は講話の好機だった可能性がありますが、ドイツがソビエト連邦との戦争で敗け始めていたにもかかわらず、単独不講和の約束があるからとダラダラと戦争していった様子が述べられています。

戦前の日本は今以上の官僚主義で、元老も言わば官僚のトップですし、元老に指名される首相も官僚出身(軍事官僚を含む)で、官僚は基本的には戦争のようなイレギュラーなものは嫌うものでから蒋介石との戦争を国家の究極目標みたいに突き進んで行ったのは今でも理解に苦しみますが、「ドイツがいるから大丈夫」という悪魔の囁きのようなものが当時の国家の中枢関係者の心の中でこだましていたのかも知れません。

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