昭和史58‐創氏改名

日中戦争期の資料を読み続け、とうとう創氏改名のところまでたどり着くことができました。私の手元にある資料の昭和15年2月11日付の資料では、皇紀2600年行事についてや、皇紀2600年記念ポスター展覧会のことなど、華々しく「どうだ。皇紀2600年だぞ」という文字が躍っていますが、同時にちょっと厳かな感じで『本島人の内地式姓名変更に就いて』という記事が掲載されています。ここで言う本島人とは台湾人のことです。当該記事によると、姓名変更は明治38年から定められていたものの、昭和15年に至ってようやく実施するに至ったとのことです。

ですが、誰でも創氏改名できるというわけではなく、一定の条件がクリアされていなければならないとされています。それは1、国語常用の家庭(日本語を日常的に使用している家庭)2、日本精神を充分に有し、熱意ある人物という条件設定がされています。なんとなく不明確な、アバウトな基準であることのようにも思えますが、台湾人の人から創氏改名は地元の名士に限られていたという話を聴いたことがありますので、ある程度、エリートでなければなかったのかも知れません。昭和15年初期の段階で日本語教育の台湾での普及率は50%程度だったらしく、それまで台湾総督府が必ずしも熱心に日本語教育を進めていたようにも見受けられません。蒋介石との戦争が始まって、慌てて植民地の人々の日本人化(皇民化)に取り掛かったといったところではないかと言う気がします。日本語を常用している家庭というのは即ち学校教育を受けられる生活環境に居た人たちと言い換えることもできるでしょうから、やはり地元の名士、或いはエリートに限られざるを得ないのかも知れません。条件2の日本精神を充分に有しているかどうかは審査する側の主観に委ねられると思えますが、ここは想像になるものの、行政サイドである程度候補を絞り、「日本精神を充分に有している」ということにして審査を通したといったところではないかと思います。

さて、創氏改名は今に至るまで悪名高い制度で、一般的なイメージとしては日本帝国が強引に嫌がる植民地の人々を日本人化させたという文脈で語られることが多いように思えますが、そのイメージは半分正しく、半分間違っていると言うのが本当のところではないかと思います。上に述べたように、名士、エリートだけが創氏改名できるとすれば、日本式の姓名を名乗ることが「許可」されることは、自分が名士・エリートであるということの証明であり、当時は日本帝国滅亡とか誰も考えていませんから今後のことを考えれば日本風の姓名が使えることはいろいろ有利という意識もあったのではないかと思えます。一方で、行政の側から「あなた、創氏改名しませんか?」と、いわばスカウトされて、もし断ると有形無形の嫌がらせがあったという話も聴いたことがありますから、お上の意向には逆らえないという感じの圧力や目に見えない強制性はあったと言うこともできなくはないと思えます。

そうは言ってもここに来ての創氏改名は、それまで軍夫の志願者を募集したり、徴用令で労働させたりと言った次元を超えて、正真正銘の日本人だという自意識をもたせることは徴兵にも応じさせようという布石にようにも思えます。実際に全面的徴兵が行われるのは昭和20年に入ってからのことで、既にフィリピンも陥落しており、そもそも兵隊をどこかへ送る船を出したら即撃沈されるという滅亡必至の状況下で行われましたから、海外侵略のための徴兵ではなくて良く言えば台湾防衛のため、悪く言えば台湾を焦土にして本土決戦までの時間稼ぎのためと理解することができると思います。太平洋戦争で台湾が焦土になることはありませんでしたが、その理由が蒋介石の意向に拠るものなのかどうか私は知りません。アメリカ軍はそもそもフィリピンも素通りしてもいいのではないかと考えていたくらいですから、疲れるだけの台湾上陸には関心がなかったのかも知れません。それに対して沖縄については米軍は本気で攻略にかかっていましたから、明暗を分けたとも思え、運命という言葉が頭をよぎります。沖縄で戦争に関する資料をいろいろ読んだことがありますが、それは壮絶なものでブログのような場所で簡単に語れるものとも思えませんが、沖縄には「特別の高配」あってしかるべしと個人的には思います。

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