昭和史55‐物資の窮乏

太平洋戦争の二年前、昭和14年の段階で日本は相当に物資の窮乏に悩まされていたようです。私の手元にある昭和14年12月1日付のとある情報機関の機関紙では、電力統制令と白米から雑穀への主食の転換について書かれています。当時は電力を生産するために石炭とダムの建設による水力発電に主として頼っていたわけですが、石炭は軍用品の生産や実際の作戦行動のために石油とともに必要なものとして消費されていかざるを得ません。水力は天候に左右されるため、必ずしも安定しないというわけで、民生部門の電力消費の縮小を意図するようになったわけです。当該の記事ではネオンサイン、エスカレーター、エレベーターなどの無くても困らないと言えば困らないものに制限をかけ、冷蔵庫の新設にも制限をかけるということが書かれています。

更に興味深いと思えたのは、同じ号で白米の食事に制限をかけ、雑穀米を食べるようにとの「お触れ」が出されています。全白米については内地で先行して廃止され、続いて植民地でも廃止されるという流れになっていたようです。お米が逼迫した事情については、旱魃の指摘もされていますが、同時に満州、中国への輸出にかなりの分量を割かなくてはならないとしています。昭和14年の旱魃については他の資料でも指摘しているのを見たことがありますが、雨が降らなければ水力発電にも頼れない、食料も育たないというダブルパンチをくらうわけですから、帝国としては相当に悩ましく思えたに違いなく、それでも蒋介石との戦争を続けるとする執念には驚かざるを得ません。日本帝国ではプロパガンダにも力を入れていましたが、昭和15年の「皇紀2600年」に合わせた東京オリンピックと東京万国博覧会は、国威発揚の宣伝にはうってつけであったに違いなく、それも中止しなければならないほど追い込まれていたわけですが、重ね重ねそれでも蒋介石と戦争をするのは何故なのか、もしかすると戦争利権みたいなものでもあったのか、まあ多分あったろうけれど、私がそれを証明できないというだけのことなのではないかという気がします。

昭和に入ってから、犬養毅以降、軍人首相が続き、軍部の台頭、軍部の独裁というような表現がよくされますが、軍としては戦争という口実があれば、物資が優先的に手に入る、予算が優先的につくわけですから、軍そのものが利権の主体となっており、利権を守るために戦争を続けたという側面もあったのではないかという気がしてしまいます。

手元の資料は昭和17年まであり、ここでぷっつりと突然情報誌は流通しなくなってしまうのですが、それももしや予算がつかなくなったからではという憶測も働きます。とはいえ、昭和17年まで徐々に鬼気迫る内容になっていくでしょうから、とりあえず最後まで追いかけたいと思いますし、そこで機関紙が打ち切りになった理由は最後には推理してみたいと思います。


関連記事
昭和史54‐東亜経済ブロック‐遅れて来た帝国
昭和史53‐「日華親善」言説
昭和史52‐国民徴用令‐「徴用」か「強制労働」か
昭和史51‐映画法と文化映画
昭和史50‐日中戦争とラジオと南洋

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.