昭和史54‐東亜経済ブロック‐遅れて来た帝国

昭和14年10月ごろの資料の読み込みをしたのですが、一方で「来年は紀元は2600年」と華々しく書き立てつつ、物資の不足に相当に悩んでいたことも見えてきます。「日本帝国」は内地の他に千島、南樺太、北海道、沖縄、台湾、朝鮮半島、関東州、南洋と諸方面に広がっていただけでなく、満州国、汪兆銘政権という傀儡政権も作っていたので、影響力を及ぼした範囲はかなり広いため、私もその全てを追いかけることは、まあ、そもそも無理と思ってはいるのですが、植民地の一つである台湾では電力供給の調整、物価の統制、米の消費の抑制の呼びかけ、国債購入の奨励と、これだけ挙げただけでもどれだけ物資に困っていたかが分かります。全て一重に蒋介石政府と戦争するためにここまで国力をつぎ込み、国民には我慢を呼び掛けているわけですから、これでアメリカと戦争をしようというのもそもそも無茶な話と言えますが、もう一歩踏み込んで言えば、アメリカの経済制裁のきっかけになった南仏印進駐の主たる動機は蒋介石包囲にあり、ハルノートを受け入れたくなかったというのも、突き詰めれば蒋介石との戦争を止めるよりはアメリカと戦争した方がまだましだという発想があったと言え、どうしてそこまで、国を潰す覚悟で蒋介石と戦い続けようとしたのか、個人的にはさっぱり理解に苦しむところです。

とある昭和14年10月21日付の情報機関の発行した機関紙では「日満支ブロック」という言葉が出てきます。イギリスやフランスが自分たちの植民地を囲い込んで、そこでうまく回しているのだから、日本も帝国の領域+満州国+汪兆銘政権で友好親善経済ブロック確立というわけです。但し、上述したように物資の確保に汲々としていたわけですから、はっきり言えば、満州国と汪兆銘政権の支配地域の資源も日中戦争の続行のために使用したいというのが本音のように思えます。「紀元2600年」に合わせて東京夏季オリンピック、札幌冬季オリンピック、更には東京万国博覧会まで誘致して盛り上げようとしていたわけですが、それは全てリソース不足のために中止されるという、がっくしな事態に陥って行くわけですから、読んでるこっちががっくしです。当該の機関紙には、帝国の植民地で暮らす華僑の人たちの汪兆銘政権支持の声明のようなものも出されており、果たして華僑の本音がどこにあったのか、本音では蒋介石を支持しつつ、帝国に慮って汪兆銘政府を支持することにしていたのか、或いは一部には本気で汪兆銘を支持して「日満支」親善友好を願っていたのか、もはや永遠の謎ですが、やはりどうしても、そこまでして蒋介石と戦い疲弊しなくてはならなかったのかが、繰り返しにはなりますが、理解に苦しんでしまうのです。当該の機関紙では、何度か蒋介石がコミンテルンで組んでいるから、コミンテルンの拡大を抑えるために、要するに防共のために蒋介石と戦わなくてはならないと書いていたことがあるのですが、その前から日本帝国と蒋介石は戦争状態に入っていたため、順序が逆ということになってしまいます。もうちょっと言うと、一方で防共と言いつつ、ノモンハンでえらい目に遭わされて、その後は日ソ不可侵条約へと発展し、あれほど目の敵にしていたソビエト連邦を友邦と見做して、ソ連が参戦してくるまではソ連の仲介による太平洋戦争の講話を模索するという本末転倒へと日本帝国の運命は流れて行ってしまいます。いろいろなものを読めば読むほど、読みつつ考えれば考えるほど、日本帝国の末路が意味不明なものに思え、日本人として結論としては「がっくし」となってしまうわけです。


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