昭和史44‐日本帝国と南沙諸島

とある情報機関の昭和14年5月21日付の号では、「新南群島(今でいう南沙諸島)編入の反響」と題した記事を掲載しています。曰く、

新南群島に対して帝国の長年月に及ぶ事業関係並に法的根拠に基づき、同群島が帝国に属すべきことは当然であるが、未だ行政管轄の関係が確立してゐない点に於いてフランスと無用の紛糾を生じたのである。

としています。続いて、各国の反応を当該記事では紹介しています。
英国の新聞では当該の地域が、英領ボルネオ、シンガポールに近いため、イギリスにとって戦略的に近いことを指摘する記事があったほか、スプラトリー島などは英領とする地図もあるが、イギリス側は仏領だと認めているとしたもの、他に、フランスに早く艦隊を送った方がいいと提案している間に日本に先を越されたなどのことが書かれてあります。

フランスの反応ですが日本の当該地域の占領は容認できないとしつつ、日独伊は表面的には敵は共産主義と言っているが、真の目標は英仏なので、そのうち日独伊三国同盟が結ばれるだろうとの見通しがあることが紹介されており、英米オランダにとっても重大な関心事だから、彼等が黙認することはないだろうとの見方が書かれています。後の歴史を知る我々の目から、なかなか正しい見方をしていると言ってもいいかも知れま

アメリカの反応としては、日本がフランス領を編入したのは日本海軍の南進論の現れとしており、蒋介石政権の反応としては、この事態は日本とフランスとの間に禍根を残すだろうけれど、フランスが直接手を下す余裕はヨーロッパの情勢を見て不可能だろうから、「切に」英米の注意を喚起しなけれならないとしています。

南沙諸島は今も世界注視の的になっている一つですが、当時もこういうことがあったという点で興味深いです。
また、これは南進論の現れの一つという意見も上にありましたが、南進すれば東南アジア諸国に植民地を持つ欧米諸国と必ずぶつかり合いになります。当時から帝国の陸海軍はそのつもりになっていたのかも知れません。「日本が南部仏印に進駐すれば、制裁する」とアメリカが言っていたのを無視して南部仏印に進駐したことが太平洋戦争のほとんど最後のステップとも言えますが、日本の南沙諸島編入はその前哨戦といったところかも知れません。日本、英米の双方でいずれは戦争になるという覚悟を固めつつあったと言え、日本の読みではアドルフヒトラーがヨーロッパで勝ってくれるだろうという甘い見通しがあり、この甘さが日本の命取りになったと考えるのが妥当ではないだろうかと思えます。戦争すると、一歩間違えればぼこぼこにやられてしまうわけですから、やっぱりやらないほうがいいですねえ…。

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