昭和史26‐台湾の「施政記念日」

とある情報機関の機関紙を追いかけているわけですが、昭和13年6月11日付の号では、日清戦争で日本が勝利したのち、下関条約に基づいて清朝から台湾に接受される接受式が1895年6月1日、基隆沖の横浜丸船上で行はれましたが、日本による台湾施政がすんなりと平和的に進んだわけではありません。台湾民衆が「台湾民主国」なるものを立ち上げ、その指導者が中国大陸に逃走するなどの珍事もあったものの四か月かけて日本軍が台湾を制圧していくことになり、日清戦争よりも、台湾征服戦争の方が苦労が多かったとすら言われています。で、一応、日本軍が台北を制圧し、その後施政を始めることができるようになった6月17日が施政記念日に指定されていたようです。

当該情報機関の記事では「台湾が永遠に日本の領土になった」としたうえで「今では隅々まで皇民化の運動の焔は燃え、島民挙って日本人たるの喜びに心底より感謝の誠を捧げている」と締めくくっています。ただ、これまでに戦費調達のための皇民化運動を指摘しましたし、時局解説の巡回映画を行ったり、愛国写真の懸賞を募集したりと大変に熱心に、ちょっと強引なんじゃないかなあと思えるほどにそれが進められ来たので、そう簡単なこととも言えなさそうにも思えます。

この時期、台南では徐州陥落皇軍感謝提灯行列が行われたり、慰問金の募集が行われたり、島民の皇民化促進運動が訴えられたリと、なかなかに「必死」という印象を得ざるを得ません。ですから、「日本人たるの喜びに心底より感謝の誠を捧げている」というのがどこまで本当かはちょっと疑問を持ってしまいます。

ここからは想像になりますが、当時の台湾の人たちも悩んでいた、あるいは迷っていたのではないかという気がしなくもありません。当時のレギュレーションのようなものでいえば、日本人とは国家神道に帰依している人というのが一つの基準になっていたはずです。神道は言うなれば日本人だけに通用する「民族」の物語みたいなものですから、そもそも漢人が中心の台湾人や朝鮮民族の人たちにその共有せよというのはちょっと強引すぎることだったのではないかという気がしなくもありません。一方で、当時、日本軍は不敗神話を誇っており(ノモンハンや張鼓峰事件のような都合の悪いものは隠したから)、このまま日本人化していく運命を受け入れるべきなのだろうか、どうだろうか…という迷いが生まれたとしても不思議ではないように思えます。

現代風に言えば、今後はアメリカと中国のG2の時代になるのだろうか…だったら、それを受け入れるしかないのだろうかと思う人がじわっと増えているのと同じなのではないかなあという気がします。



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