昭和史10‐南京攻略戦と植民地

日本帝国時代に発行されたとある情報機関の発行した機関紙の昭和12年12月21日号では、表紙の次のページに大々的に「南京陥落」の文字が大きく書かれ、万歳をする兵隊さんたちの姿の写真や南京市の地図が掲載されています。このブログの昭和史9では「南京陥落のビッグ・ニュース」でフィリピン人も驚くだろうと書かれていたことは述べましたが、今回はそれが現実になったという意味で、悪く言えば大はしゃぎしているといった感じです。その後の歴史の展開を知る現代人にとっては素直な感情で読むことのできない、どうしても苦悶の表情になって見ざるを得ない写真です。これは右翼の人であったとしても、左翼の人であったとしても、その後の日本の悲劇性を考えれば、どちらの思想に近い人であっても苦悶の表情にならざるを得ないのではないでしょうか。

植民地では時局を説明するニュース映画の上映会を積極的に行い、更には地元の古老を招いた時局座談会を開き、十代の子供たちには愛国会のようなものを組織させて入念な「教育」が行われていることも書かれています。私には当時の日本帝国が戦争に勝っているにもかかわらず、非常に必死で焦っていることが読み取れるように思え、そのギャップに対する理解に苦しむところがなくもありません。植民地であっても女学校生徒や婦人会による千人針が行われていて、兵隊さんへの慰問についても入念です。

果たしてここまで植民地の人たちを「日本人化」させたいと考えた動機は果たして何なのか、単に「総力戦」という言葉で結論付けていいものなのかどうか、ちょっと疑問に思えてきます。

この号ではマレー半島での情勢も書かれてあり、マレー半島からシンガポールにかけては華僑が圧倒的に多数の人口を有しており、排日運動も盛んで、日本人の商売人に対するほとんど威力業務妨害と言っていいような活動が行われ、そのための要員も蒋介石政府が送り込まれているなどのことが書かれてあります。それがどこまで本当なのか、情報機関の出している機関紙ですから、これも情報操作なのかどうか、判然とはしませんが、ある程度、そういうことがあったとしても全くあり得ないこととも言い難しとも思えます。まあ、はっきり言えば、自分の目で見たわけではないので分からないとしか言えないわけではありますが。当地の華僑学校では中華民国政府の教科書ばかり使うので、イギリス当局が取り締まりに入ったという内容も書かれてはいますが、ここも果たしてどれくらいの感じのことが行われたのか、言い難し。というところです。読み進めるうちに何かが見えてくるかも知れません。

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