私は自分が躁鬱だと気づきました

最近、ようやくこの年齢になって、自分が躁鬱症なのだと気づくことができました。躁状態の時、自分は万能で完璧な人間だと思い込もうとします。実際には完璧な人間は存在しませんから、必ずどこかで壁にぶち当たります。その際に無理をしてその壁を乗り越えようとします。躁状態なので自分はなんでもできると勝手に思い込み、うまくいかないことが起きればそれは他人のせいだと考えるようになり、他人に対して悪い意見を持つようになり、激しい攻撃性を表現することもあります。

そのようなことをする結果、友人知人は失われ、激しい鬱に入り込み、今度は自分が最低な人間だと考えるようになります。死にたくなり、人生を悲観します。そしてやはりそのようなことになったのは〇〇さんのせいだ。あいつのせいだ。あいつが悪いのだと決めつけ、憎悪の感情を持つようになります。

どちらにしても他人のせいにしてしまいます。被害妄想が強くなり、弁を弄して自分は悪くない、悪いのはあいつだと言い立て、不必要に他人を傷つけます。

このような躁鬱のサイクルをこれまで繰り返してきたのだということに最近ようやく気づきました。今、これを書いている段階で自分は軽い鬱の状態です。これまでお酒を飲むことで紛らわそうとすることが多く、お酒を飲むと躁になってきますから、飲酒が止まりません。躁になるとバンバンお金を使うようになっていきます。止まりません。過度に人生を楽観するようになり、大丈夫大丈夫とほしくもないものを買ったりします。自分は万能な人間だと信じ込んでいますから、自分の判断に誤りはないと思い込み、結果として人生がめちゃくちゃになっていきます。私はまだ今の段階で気づいてよかったのかも知れません。

人生は全て自分で作り出しているとはよく言ったもので、これまでのいろいろなことは私が自分で作り出していたのだということが得心できた気がします。単に躁鬱によって振り子が振れており、自分がそれに振り回され、周囲も巻き添えにしていたのです。

躁鬱と被害妄想の背後には強い劣等感があるということではないのかと私は自問しています。劣等感は誰もが何かしら持つものです。それを受け入れることができない、自分を受け入れることができないことが、根っこの方にあるのではないかという気がします。これまで毎日のように知識発信をしてきましたが、これもまた躁状態になっていたからではないかと思います。今後もブログは続けたいですが、更新の頻度を下げ、大言壮語せず、ゆっくりとしたペースで続けたいです。

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