台湾近現代史34‐台湾総督府中央研究所

日本統治時代の台湾で台湾映画愛好家のために結成されたサークルである台湾シネリーグが発行していた『映画生活』の昭和7年5月20日付の号で、「中研 KS生」という人物が『忘れ得ぬ映画』というタイトルで原稿を寄せています。記事の内容そのものは、どうということはなく、『ユーコンの侠妓』や『砂漠の情火』など、聞いたことのないような映画が良かったみたいなことを書いてあるだけで新鮮な発見というようなものは特にありません。敢えて言えば、満州事変以降慢性的な準戦時下と言える時局においてわりと呑気なことを書いているとも言えますし、英米との摩擦が強まりつつあった時期ですから、こじゃれた西洋映画趣味の団体はもしかすると多少は肩身の狭いところもあったかも知れません。同時期の同誌には団体に対する「逆宣伝」に憤慨している記事も見られたますから、逆宣伝が何を意味するかは今も定かではないものの、まあ、いろいろあったのでしょうと察することしかできません。

それはそうとして、この原稿を寄稿した人物の「中研」という肩書です。なんのことか分からず、検索をかけてみたのですが、当時、台湾総督府中央研究所なる機関が存在していたことが分かり、「KS生」なる著者が同機関に所属する人物であったことはまず間違いのないことのように思います。KSはイニシャルであり、生は小生の生と思しいのですが、果たしてそれがどの人物なのか当時の名簿などを探せば特定は可能か、その前にそもそも特定することに意味はあるのという問題もありますが、それはそうとして、この台湾総督府中央研究所なる機関は林業部、農業部、工業部、衛生部、庶務課に分かれていたらしく、商業やサービス業などの第三次産業以外の産業政策を一手に引き受けていたかなり重要な部門であったことが推察されます。

八田与一が台南エリアに烏山頭ダムを造った事績は知られていますが、そういったこともこの中研が絡んでいたに相違ないでしょうし、台湾製糖という満鉄みたいな国策会社もあり(この会社は今も存在します)、それらの事業は当時人口増加が深刻視されていた日本にダムの場合は米を、台湾製糖の場合は砂糖を供給することが求められており、中研はそういった国策を進めていた部署であったろうと推量できます。

果たしてこの記事の著者がイニシャルで寄稿したことにどんな意味があるのか、所属とイニシャルを公開すれば誰が書いたかは当時の関係者であればすぐに分かるようにも思われ、わざわざイニシャルにする必要がどこにあるのかはちょっと要領を得ないというか、想像するしかないですが、民間企業に所属している人であればともかく、公務員の場合は多少は憚られる面があったのかも知れません。或いは単なる茶目っけのようなものだったという程度のことしかなかったかも知れませんが、今回は、台湾総督府中央研究所なる部門が存在したことに気づいたという話題でした。

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