台湾近現代史32‐西国男の映画史

日本統治時代の台湾で結成された映画愛好家のためのサークルである台湾シネリーグが発行していた機関紙『映画生活』の昭和7年5月20日付けの号と、同6月17日付の号に西國男という人が『映画史小論』という原稿を寄せています。どういう人物なのだろうかと検索をかけてみたところ、往来社の『映画史研究叢書』というシリーズに西国男『発声映画入門』というものが収められており、当時の映画研究者であったことが分かります。5月20日付の編集後記にも、「西氏は『発声映画』入門の著者」と書かれているので、同一人物であることは間違いのないものと思います。ただ、それ以上のことは、プロフィールとかそういったものはぜんぜんさっぱり分かりませんでした。往来社の発行しているシリーズを当たれば、もしかするともう少し詳しいこともわかるかも知れません。言うまでもないことですが「発声映画」とはトーキーのことです。

それはそうとして、この西国男さんが『映画生活』でどういうことを書いているのかというと、主として活動写真と映画の違い、もうちょっと言うとサイレントムービーとトーキーの違いみたいなことが書かれています。要するにエジソンが写真の組み合わせであたかも景色が動いているように見えるスコープを発明したのは活動写真で、ストーリー性のあるものが作られるようになったことで「映画」になり、サイレントムービーとトーキーではどういうことが違うと言えるのか、芸術性のある映画とそうでない映画はどう違うのか、みたいなことを書いています。

ちょっと興味を引いたのは「映画史」を書く上で、冒頭にそもそも歴史とは何かというような著者の持論が述べられていることです。「歴史とは変化である」と彼はしています。変化が起きればそれは記録される。しかし、変化がなければ忘れられる。まあ、確かに正しいと思います。事件が起きた日のことはよく記憶されますが、何もない日のことは記憶されないし、語られることもありません。西氏は、その変化が合理的なものなら進歩であり、非合理的なものなら退歩ということになるが、進歩であろうと退歩であろうと、変化は変化みたいなことを書いており、果たしていわゆる進歩史観を念頭に置いていることは間違いないようです。

西氏は更に科学的に過去と現在の関連性を理解されなくてはならず、その分かりやすい例が進化論であるとしています。中世ヨーロッパでは人間は最初から人間として神によって創造されたと考えられていたが、ダーウィンの進化論によってそれは否定され、そのことによって人間は自分とは何者かをよく理解できるようになったというわけです。そのスタンスで、西氏は映画史を語りだし、技術的な面も含んで議論を展開しています。進化論は近代とは何かを理解する上で、外すことのできない大きな波を引き起こしました。たとえば明治時代には民族改造のようなことが言われ、それは簡単に言えば、西洋人と同じ生活をすれば西洋人みたいになれるのではないかということですが、他にも進化論を応用して社会も進化させようというスペンサーの社会進化論が流行したり、さらに言えばマルクス的歴史観も進化論により教会の神に疑問符が付されたことを出発点としているように思えます。更に付け加えるとすれば、近代の科学技術の発展があったからこそ、ニーチェは「神は死んだ」という言葉を考え出したわけで、19世紀後半から20世紀前半にかけては「進化」が大ブームであったとも言え、西氏の議論はその余波が当時台湾で暮らす日本人にも及んでいたと考えることが可能と思えます。

20世紀後半に入り、ポストモダンがよく言われるようになって、私たちは近代後の時代に入ったみたいなことも言われましたが、そのわりに基本的なことは変わってないような気がするので、私は今は現在も近代が続いているという認識を持つようになっています。ダーウィンの進化論が果たしてどこまで正しいかは議論のしどころかも知れないのですが、いずれにせよ、台湾で西国男氏が当時大流行だった進化論を前提に映画を語っていたことは小さな発見ではないかと思う次第です。

広告



広告

関連記事
台湾近現代史31‐映画と大衆とファシズム
台湾近現代史30‐田中絹代と鈴木傳明と宮崎直介

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA