台湾近現代史21‐映画と検閲

台湾の近現代史を映画という視点から研究されている第一人者として、三澤真美恵先生という、私のような立場の者からすれば遥か高く仰ぎ見なくてはいけないような大先生がいらっしゃいます。その三澤先生の著作に『「帝国」と「祖国」のはざま』という力作の大著があるのですが、先生の著作に拠ると、日本時代の台湾では映画制作が産業として発展するには至らなかったものの、当時の台湾人及び当時台湾に在住していた日本人が旺盛に映画館に足を運び、楽しんでいたことが明らかにされています。その証拠として当時の台湾での検閲料が年々増加している表もつけられてありました。現代人の感覚で言えば、検閲などというのは民主主義国家としてあってはいけないものですが、当時はもしかするとかなり普通のこととして考えられていたのかも知れず、検閲は今で言えば映倫のような感覚で受け取られていたのかも知れません。そこは想像になりますが。

また、台湾人の楽しむ映画と日本人の楽しむ映画、或いは台湾人が通う映画館と日本人と通う映画館には違いがあり、支配者と被支配者の構造があったとも三澤先生の著作では述べられています。

最近、台湾国立図書館のデータベースから入手した資料なのですが、昭和初期、台湾には台湾シネリーグなる映画を楽しむ友の会みたいなものがあり、彼らが発行していた『映画生活』という機関紙みたいなものが残っていて、多くの人が映画評を投稿しています。日本人の名前も台湾人の名前も両方あり、もちろん、ペンネームの可能性がありますから、日本名を使っているから日本人とは限りませんし、台湾名を使っているから台湾人とも限りませんが、日本名、台湾名の両方が差別なく掲載されている様子に私は好感を持ちました。

ちょっと興味深かったのは、昭和7年12月29日付の『映画生活』の編集後記に「映画週刊の座談会の記録の後半は大半発表を遠慮しなければならぬことなので遺憾ながら掲載を中止することになりました」と書かれている部分です。遠慮しなければならない内容とは何なのか…と勘繰らざるを得ませんが、掲載したら検閲に引っかかる、当局から物言いがつくような内容だったのかも知れません。私がかつて台湾の図書館で戦争中の発行物をいろいろ見た際、白抜きになっている部分が所々あり、そういう箇所に出会うと「あ、検閲が入ったんだな」ということが分かるのですが、このような場合はいわゆる事後検閲にあたり、読者は白抜きの箇所に出会うことで、検閲が実際に存在するということを実感することができます。一方で、事前検閲の場合は検閲に引っかかると発行そのものができなくなり、どうしても発行したい場合は指摘された箇所を作り直してもう一回印刷するという形になりますので、一般の読者が検閲の存在を実感することができません。また、発行者も検閲に引っかかるとコストがかかることが心配になるため、検閲にかからないように内容を作るようになり、言論のトーン全体に強い圧力がかかることになります。

日本の台湾統治は約50年あったわけで、少なくともその末期は私がいろいろな発行物を見た経験から事後検閲であったと考えていいと思いますが、50年の間にいろいろな変遷があったかも知れず、時代によっては事前検閲が行われていたかも知れません。今回取り上げた『映画生活』の編集後記の場合、掲載が見送られた理由としては内容が不穏当であったことは間違いないであろうと推測できるものの、それが当局の検閲を恐れた故のことなのか、それとも別の理由があったのかは想像力を逞しくしたところでなかなかはっきりとしたことは見えては来ません。

とはいえ、まあ、そういう言論空間もあったという、今回はそういうお話しでございます。

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