アメリカ映画『ザ・マスター』のアメリカの傷

太平洋戦争から帰還したアメリカ人の兵隊が写真屋さんを始めますが客と喧嘩をしてしまい、写真屋さんを続けられなくなります。次にファーマーになりますが、そこでも喧嘩をして居場所を失くしてしまいます。ごくシンプルに言えば社会不適合を起こしてしまいます。深刻なアルコール依存症にも陥ってしまっています。化学合成のこつのようなものをよく知っていて、塗料や現像液のようなものから錬金術のようにアルコールだけを抽出して飲んだくれます。そういう才能があるとも言えます。

居場所も行き場所もなくしたその男がこっそり自己啓発系の団体の会場に忍び込みます。手癖が良くなく、自分に権利が与えられていないものを盗み取りたりという衝動があり、それは性に関しても同じような衝動を持っています。普通だったら叩きだされるはずですが、自己啓発系団体の会長のザ・マスターに気に入られ、その団体に寄生するようにして男は暮らしますが、そこでの生活で様々な自己啓発系のワークを受けていきます。そのマスターは退行催眠などのワークで人の心のトラウマを癒すとの評判でなかなかの人気を博しています。

この作品は特定の新興宗教というか自己啓発系団体というか民間の心理療法系の集団というか、そういうところをモデルとしていると話題になり、そういったことへの批判が込められているという話なのですが、個人的にはむしろ好印象で、社会不適合を起こした男が曲がりなりにもネクタイを締めて他人と握手をして挨拶をしたり礼を述べたりできるようになるのですから、むしろそれなりに効果があるのではとすら思ってしまいました。

アメリカではいわゆる『引き寄せの法則』を夫婦で講演してアメリカ中を旅する人がいたり、バシャールみたいにトランス状態になって宇宙人と交信して人々にアドバイスを与えたりするのが流行ったりしますが、その背景には太平洋戦争だけでなく、朝鮮戦争やベトナム戦争などの帰還兵の心の傷の問題や、もう一歩踏み出して考えれば大競争に不安にさらされている人々の存在があることが、この映画から感じ取れます。むしろそのようなセミナー系の団体が流行るのは、そういう心の傷を抱える人々を大勢生み出す社会の仕組みの方に問題があるからだとこの映画は言っているように思えます。

19世紀の末ごろからヨーロッパではフロイト心理学が流行し、「無意識」にアプローチすればかつては魔女と呼ばれたり悪魔祓いの対象になったりする人が治癒されるのだというある種の期待が膨れ上がって、例えばドイツ映画の『カリガリ博士』はそういうスタンスで制作されています。しかし、この映画の冒頭では男が軍のメンタルケアサービスを受けても一向に良くならない様子が描かれ、紋切り型の手法ではどうにもならないパターンがあるということが察せられるように作られていると思えます。

あるいはトランプさんが支持を集めたのは、このように今までであれば忘れられていた層、または忘れたふりをされた層の揺り返しだったのではと思うと、映画と政治が繋がっているとも言えそうです。

21世紀に入ってからのアメリカ映画には基本、美男美女が重要な役をやりません。どちらかと言えば普通に見える人が主役をはったりします。ちょっと前のアメリカ映画は美男美女ばっかりで、観客にひと時の夢を見させるものが多かったように思いますが、そういうのは多分トムクルーズくらいまでで、今はこの映画のようにぱっと見た感じ普通に見える人の個性が現れるものが多いように思います。これも時代の変化と捉えることができるかも知れません。

映像がきれいですが音楽もいいですが過度な作りこみがなく、その点も好感が持てる映画です。一方で、一瞬映る世界地図はアフリカの西半分くらいがフランス領で、細部に時代考証が宿っています。

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