台湾近現代史3 大肚王国

オランダ人が台湾の南部を押さえ、スペイン人が台湾の北部を押さえていた時代、台湾の中部は原住民の国である大肚王国が押さえていました。大肚王国の国王はヨーロッパの絶対王政のようなものとは一線を画す存在で、母系社会である性質から国王の権力は住民の生殺与奪までには至らなかったと考えられています。また、17世紀はヨーロッパ人の他、鄭成功が台湾に上陸してきますので、当時としては住民から搾取するというよりは原住民の生活圏の保護という色合いを濃く持った王国と言えるかも知れません。

大肚王国は複数の原住民による連合王国でしたが、パポラ族がその王位を有していたようです。オランダ人が台湾の一部を占領すると、大肚王国とも激しい抗争が起きます。オランダ人は一度は撃退されますが、その後は火力で圧倒し、王はオランダに対する抵抗を諦め、ヨーロッパ人の牧師の調停で協約が結ばれたとされています。キリスト教の布教は許可せず、オランダ人の通行は認めても定住は認めないという状態で、半ば独立した状態を保ったとされています。

鄭成功がオランダ人勢力を排除した後、大肚王国とも激しく対立します。鄭成功は背後にオランダ人が大肚王国を操っているのではないかと訝しんだという話があります。鄭成功と大肚王国との間で決着が着くことはありませんでしたが、18世紀に入ると清朝の勢力が及ぶようになり、一時は激しく抵抗したこともありましたが、後に狭い地域へと追いやられていくことになり、パポラ族は現代でも人口およそ1000人という少数の民族になってしまいました。

このような歴史を知ると、日本時代の霧社事件が起きたことは意外なこととも言い切れず、オランダ人やスペイン人、更に漢民族の上陸も受けて、原住民が抵抗するというある種の歴史的伝統のようなものが数百年続いており、その先に霧社事件が起きたと見るのがより実相に近いのかも知れません。

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