台湾近現代史1 近代以前

台湾には日本の縄文時代にあたる一万年ほど前から人が暮らしていたと言われています。しかし、その人たちが今の台湾原住民と呼ばれる人々と民族的に同系統の人々かどうかは確認されるに至ってはいません。

人間は古くから舟での移動を得意としていますので、当時の感覚から言っても中国大陸とは目の鼻の先に当たり、中国大陸から人が渡ってきていたのでは考える人もいるようです。

但し、原住民の人々は漢民族とは民族的な系統を別にしています。彼らは南太平洋からフィリピンにかけてのエリアにルーツを持っていると考える人もいます。原住民の言語はタガログ語とある程度の相似性が認められるそうです。そのため、今でも原住民の人がフィリピン人のタガログ語を聞くと、なんとなく分かるという話も聞いたことがあります。

一方で北方から南下して行ったと考える人もいて、台湾からフィリピンや南太平洋へと散って行ったのだとみることもできるようです。台湾原住民の入れ墨の文化は北海道のアイヌ文化にも共通する部分が見受けられますので、或いはもともと遥か北に居た人たちが南へ南へと辿るように広がって行ったのかも知れません。その場合、魏志倭人伝の邪馬台国では、人々が体に入れ墨をしていたという記述がありますので、或いはこの人たちが邪馬台国の人々だったということもまったくの見当違いということではないかも知れません(古事記との整合性の問題もありますので、機会があればまたゆっくり考えてみたいと思います)。

原住民の部族は相当な数に上り、台湾政府が現状で公認しているだけで16部族あり、非公認の部族も幾つかあるようです。日本統治時代、またはその前の清の統治時代に淘汰された部族もそれなりにあったかも知れませんので、元々幾つあったかは分からないものの、総合すれば決して少なくないと言えます。

原住民の人々は縄文時代の日本人と同じような生活を送っていたとのことですが、色とりどりの衣装のセンスは機織りの技術の発達を示すもので、いわゆるギャートルズみたいな原始人とは一線を画すものだと考えるのが適切ではないかと思います。

彼らが独自の文字を持たなかったためにわかることは少ないですが、現代の部族にも王を戴いている部族もいるため、それなりに社会制度が整えられ、部族間の往来にも秩序があったものと推察することが可能です。

漢民族がいつごろから台湾に移住し始めたかを特定することは難しいですが、清朝の時代には多くの移住があったことは確かですし、オランダ人が漢民族を使い、台湾でプランテーションを計画していたということですので、遅くともオランダ時代には漢民族の移住があったものと考えることができます。

原住民は台湾の広い地域で暮らしていたはずですが、漢民族が平地で農耕を広げていくのに連れてじょじょに山岳部へと居住地域が限られていきます(平地で暮らし続けた原住民ももちろんいます)。

台湾の姿がもう少しよく分かるようになってくるのは、オランダ時代からです。

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