小泉純一郎‐功罪

森喜朗首相時代、加藤の乱で加藤紘一さんが失脚し、森喜朗内閣総辞職後にYKKで末席だったはずの小泉純一郎が自民党総裁に当選します。賛否両論ある小泉・竹中改革の始まりです。

細かいことはいろいろ省いて本質的なことを考えてみるとすれば、小泉改革の基本スタンスは小さな政府を理念としており、その理念通りにできるだけ政府のプレゼンスを小さくし、民間に任せられることはこれも可能な限り民間に任せるということに尽きると思います。なぜ民間の方が効率が良くなるのかと言えば、民間では多くの企業が試行錯誤をして最も良いパフォーマンスを出したところが生き残るという「適者生存」の法則みたいなものが働くためで、必然的に大競争社会となり、能力主義となり、勝ち組と負け組の違いがよりはっきりと目に見えるようになります。一方で、能力さえあれば面倒な手続きや前提や前例がいろいろ取っ払われる状態であるために敗者復活がしやすく、失敗から学んで立ち直るというところに人生が期待できるようになるとも言えるのではないかと思います。

不良債権処理が強行されたのも、そもそもパフォーマンスの悪いことをしている企業がお金を還せないのなら、仕方がない。むしろ早く整理して銀行のバランスシートを健全化させた方が広い意味で世の中にためになるとする新自由主義的な発想で行われたものであり、郵政民営化も、上述のような経済原理が働くために結果としては広い意味で国民のためになるという判断が働いたと私には思えます。郵政民営化に関しては小泉純一郎の父親からの因縁も囁かれていますが、個人的な彼の思いがあるにせよ、上のような理論化がなされていることは疑いの余地のないことのようにも思えます。

このあたり、賛否両論あり、どちらが正しいということは簡単には結論できませんが、小さい政府という理念を理解していない、またはその理念を拒否したいという人にとっては小泉改革は単なる弱い者いじめに見えるかも知れません。一方で、小さい政府論者からすれば、その素朴なまでの理念一直の姿勢にある程度の評価を与えることができるということになるのではとも思えます。

大きい政府がいいのか小さい政府がいいのかは、人それぞれの価値観の違いが含まれてくるので、なかなか難しいところというか、議論が埋まって行かない、永遠に議論が尽くされることのない深い溝を感じます。小泉時代の前半では不良債権処理のために多くの人が「情け容赦ない」という目に遭わされ、後半では構造改革と銀行のバランスシートの健全化の効果が表れて好景気に沸きます。ここはもう、どこのポイントをとって議論するかで小泉・竹中改革に対する評価は二分するとしか言えません。小泉純一郎の小さい政府路線はそもそも小沢一郎が日本改造計画で提唱していたものでもあり、小沢一郎からすれば自分がやろうと思っていたことを小泉純一郎がやってしまったという面もあり、この辺りから小沢一郎の政策に関する主張が変節していきます。

外交ではブッシュジュニアに平身低頭していたとも言え、「ポチ保守」とも揶揄されましたが、現実主義だとすれば確かに筋が通っているとも言えます。

印象深いのは日朝平壌宣言で、拉致被害者の人が帰ってきたことで、それまでなんとなく半信半疑でもあった北朝鮮による日本人拉致事件が本当だったということが証明されたことの衝撃は大きかったですが、同時に横田めぐみさんがお亡くなりになったということで話をつけたことなどが批判の対象にもなっています。

政局家として小泉純一郎氏を見るのであれば、奇人変人と言われつつも、実は大事なところはしっかり見極めているということに気づきます。即ち、YKKのメンバーである前に福田系清和会の政治家であるという自覚は常に揺らいでおらず、森政権時代にYKKと清和会が利害相反した時には清和会の政治家としての立場を優先しています。結果としては清和会の支持なくして小泉政権はあり得ませんでしたので、押さえるべきところは押さえておけば後は適当でいいという勘所を知っていたとも言えるかも知れません。小沢一郎の離党騒ぎで主要メンバーの人間関係がズタズタになってしまった田中系政治家との違いが際立っているようにも思えなくもありません。

優勢解散で圧倒的に勝利し、5年の長い政権を終えた後、小泉純一郎は安倍晋三に禅譲し、自民党は麻生・谷垣・福田・安倍の時代に入ります。さらにその後、リーマンショックでいろいろめちゃくちゃになって、民主党時代を迎えることになります。

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