東条英機内閣‐責任とらされ内閣

第三次近衛文麿内閣がアメリカから受けた経済制裁に対する事態の打開を諦めて総辞職し、その後継首相として指名されたのが東条英機でした。アメリカとはどのみち戦争になるだろうから、対米強硬派の東条英機を首相にして敗戦の責任をとらせるのがいいだろうという見方も存在していたらしく、同時に東条英機が首相になれば陸軍もおさまるだろうという国内政局的な見方も存在していたようです。

登場の前の近衛が貴族院出身、その前の米内が海軍、その前の阿部が陸軍でしたから、衆議院がほとんど積極的な存在意義を発揮することができなかった当時、国内政局的には「次は陸軍」という鼻息の荒い人たちを納得させるという意味合いもあったかも知れません。アメリカと戦争すれば即滅亡くらいの認識はあったでしょうから、そういう時に国内事情で人事を決めていかなくてはいけなかったというあたり、日本帝国が変化できない恐竜になっていたことの証左の一つのように思えてなりません。

個人的にはもし松岡洋右が組閣を命じられたとすれば、ちょっと違ったのではないかという気もします。というのも、松岡は対米強硬派と知られてはいたものの、おそらくアメリカとの交渉での引き際も考えることができた当時としては数少ない知米派ではなかったかという気もするからです。国際連盟脱退の際、それを実際に行ったのは松岡ですが、彼本人はイギリスが示した妥協案に乗るべきだと考えており、にもかかわらず東京では「国際連盟から脱退すれば、その決議に拘束されない」という小手先のレトリックがまかり通り、脱退案が浮上し、訓令として松岡のもとに届けられます。松岡は訓令に従って国際連盟を脱退し、その後はひたすらアメリカに対抗できる勢力を確立するためにドイツやソ連と連携を図るという無理ゲーを無理と承知で進めていくことになったわけですが、日米開戦に至るまでの半年ほどの間、リアリティのある対米外交ができた人間がいなかったという現実を踏まえると、やっぱり実は松岡洋右の方がまだましな結果に導くことができたのではないかとふと思わなくもありません。

いずれにせよ、国内では陸軍をなだめなくてはならず、一方でアメリカもそれなりにふてぶてしいですから、その板挟みでどの政治家が首相になってもうまくいくとはちょっと考えにくく、どうせやるなら東条英機に責任を取らせようと考える人がいたとしても、国内政局という観点に於けるリアリティは充分にありますので、まあ、それまでの経緯をいろいろ考えれば、行くところまで行くべくして行ってしまったということかも知れません。

太平洋戦争では緒戦の勝利で国内は狂喜乱舞し、有利な条件で講和に持ち込むという大事なことを誰もが忘れてしまいます。真珠湾攻撃が鮮やかすぎたためにアメリカは闘志満々で、長期戦になればアメリカの勝利は確実でしたから、講和しようとしてもできなかったかも知れません。太平洋戦争ではじりじり敗け始め、サイパン島の陥落で東条は引責辞任ということになります。

東条内閣の次は小磯国昭が組閣を命じられますが、もはやなすすべはなく、この時に首相に就任したことで戦後にA級戦犯に指名され、終身刑を言い渡されますので、気の毒以外の何物でもないのですが、この時代ことはがっくりする以外の言葉が出てきません。


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