アメリカ映画『トリフィドの日(人類SOS)』のマッチョな冷戦

60年代らしい、レトロな感じのSF映画です。

ある日の夜、流星群が夜空いっぱいに飛び散ります。翌日になると、流星群を見た人は全て失明しています。目の手術のために包帯をしていた主人公の男性ビルは朝になって包帯を解いてもらうはずが誰も来ないので自分で包帯をとります。世界は一変しており、街を歩く人は盲目の人ばかりです。文明が機能しなくなり、人々の規律が失われていきます。ネヴィルシュートの『渚にて』では人類が滅亡するその瞬間まで矜持を守り抜く人々の姿が描かれますが、この映画ではそんなことはありません。ここぞとばかりに悪さをする人もたくさん登場します。

トリフィドという肉食の植物が各地で繁殖し、人を襲います。植物なに動きます。まるで動物ですが植物という設定になっています。各地で人が襲われ、瞬く間に人がいなくなっていきます。

主人公のビルは荒れたロンドンで女の子に出会います。学校から逃げ出して貨車に隠れて夜を過ごしていたために流星群を見ておらず、失明していません。二人はロンドンから離れてボートでフランスに逃れます。棄てられた自動車がたくさんありますから自動車に乗ってパリに行き、パリも全滅状態だということを知ります。ラジオでは「こちら東京、街が火事です」みたいなことも流れています。日本人の役の人は全然日本語が言えていませんので「こちら東京、街が火事です」は私の好意的な解釈です。

フランスの田舎の方で目の見える人に出会います。目の見えない人たちを助けている屋敷へと誘われます。ですが屋敷には流星群を見なかったので失明から逃れることができた受刑者たちが、文明の崩壊をいいことに脱走し、屋敷でどんちゃん騒ぎをしています。なんじゃこりゃと思っているうちにも周囲は肉食植物のトリフィドに囲まれています。

慌ててビルと女の子と屋敷に住んでいた女性との3人で脱出します。残された目の見えない人々は受刑者ともどもトリフィドの餌食です。途中で馬車に乗り換えますが、他の車が見つかると馬も放棄です。わりと簡単に「現実的に」いろいろ見捨ててスペインを目指します。スペインの米軍基地ならなんとか助けてもらえるかも知れないからです。ラジオ放送はほとんど流れなくなっていますが、それでも周波数が合うとアメリカ軍の救援に関する放送を聴くことができます。潜水艦に乗っていた人たちは流星群を見なかったので問題なく行動できるため、生きている人はアメリカ軍基地へ来いと言っています。

最終的にはビルと女の子と屋敷にいた女性は見事危機を切り抜けて、途中で出会ったスペイン人夫婦と生まれたばかりの赤ちゃんも一緒にアメリカ軍に助けてもらうことができます。

灯台で研究生活している夫婦が海水をかけるとトリフィドが溶けることを発見してめでたしめでたし。人々が神に感謝して終わります。

60年代のアメリカらしく、主人公のビルはソフトマッチョな中年男性です。力が強く、喧嘩に強く、知恵と見識があり、いろいろな道具を使いこなせます。ラジオも発電機も修理できます。私のように手先の不器用な男にとってはうらやましい限りです。第二次世界大戦後のアメリカの理想の男性像という雰囲気です。舞台はヨーロッパですが、主人公のマッチョな感じが「this is amerca」という感じです。病室でタバコを吸う場面がありますが、今では考えられません。時代を感じます。

冷戦という時代背景も見逃せません。流星群が核兵器だとすれば、トリフィドなる奇怪な肉食植物は敵のスパイか工作員、或いは敵軍の上陸を連想させます。意思を持って拡大していく様子からナウシカの腐海にもちょっと似ているかも知れません。。最後にアメリカ軍の潜水艦に助けられるというのもそういう意味ではよく考えられています。ヨーロッパまで助けに来てくれる兵隊さんありがとうという感じになっています。『風が吹くとき』の老夫婦が静かに核戦争後の誰もいなくなった世界で死を受け入れていくことを思うと、この映画はそのような危機もアメリカンスピリットで乗り越えることができるぜ、という感じです。

レーガンとゴルバチョフの会見で冷戦が終わったと知った時、少年だった私は「ああ、これからの世界は平和になるのだ。しかも日本は西側で勝った側だから気分いい」と思ったものです。しかし世界はそんなに簡単ではなかったということはその後の歴史を学べば明らかと言えるかも知れません。やがてシン・ゴジラが制作されるのだと思うと、SFから時代を読み取ることもできそうです。

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