長屋王の悲劇に思う

 長屋王の広大な邸宅の跡地がJR奈良駅の近くで発見されていますが、現在はイトーヨーカドーがその地に立っているそうです。

 長屋王は天武系の皇族として親王扱いを受け、財力も豊かで政治的な発言力も強く、栄華を極めたとも言われていますが、謀反の疑いありと密告されて自害に追い込まれます。

 当時は謀反の疑いがかけられた時点で死を選ぶことが潔いとされ、謀反の疑いがあると告げる使者が門に入った時点で自害することがより美しいとされていたと言います。

 しかし、本当だろうか?と首をかしげなくもありません。謀反の疑いの密告だけでは、本人の弁明も自白も要らないわけですから、当時は政敵に対して陰謀をかけ放題、権力者はちょっと気に入らない相手がいると謀反の疑い有りの一言でどうにでもできるということになってしまいます。そのようなことが常態化して本当に政治が維持されていくものかどうか、不思議に思えてなりません。

 豊臣秀吉は男の子が早世してしまったために諦めて姉の子どもを後継者に指名しますが、その後に秀頼が生まれたので、謀反の疑いをかけて切腹させ、関係者も皆殺しにしてしまいます。

 そのようなことができたのは、秀吉の姉の子どもである秀次には秀吉に対する抵抗力がなく、秀吉の意思次第でどうにでもされてしまう位置にいたからで、そうでなければそこまで罪をでっち上げてそれを押し通すということもできなかったでしょう。

 そう思うと、長屋王の場合、権力があったにも関わらず、たまたま何らかの空白が生じ、手も足も出せないそのタイミングを図られてしまったのかも知れません。その辺りの詳しいことは永遠にはっきりとはしないものなのでしょう。

 実に恐ろしい世界ではありますが、飛鳥奈良時代の殺し合いの時代が終わり、平安に入ると天皇家と貴族はみんな親戚がっちり相互扶助の安定した人間関係が育まれるようになり、保元の乱まで安定が続きます。保元の乱は非常に複雑で簡単には理解できないのですが、またいずれ稿を改めてと思います。

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